特殊スキル“強運”だけでホラー映画の世界を生き抜く美少女は、俺です。

エノコモモ

特殊スキル“強運”だけでホラー映画の世界を生き抜く美少女は、俺です。


「ん…」


小さな物音で目が覚めた。ぼんやりする視界を横に向ければ、部屋の隅、だいぶ太ったネズミが餌を探して、うろうろと床を歩いていた。


彼の音かと妙に冷静に納得した瞬間、頭のはじっこで痛みがずきりと響く。


「ここは…?」


そこで我に返り、自身の置かれた状況を見る。見覚えのない部屋だ。窓は付いていない。光源は天井からぶら下がったランタンの灯りのみ。湿気と淀みを纏った空気から見るに、どこかの地下室だろう。


「っ…!?」


起き上がろうとして息を呑む。体は手首と足首を固定しているベルトによって、硬い台へと戻された。


「な…!」


突然の異常事態を理解する間もなく、大きな音を立てて部屋の扉が開いた。部屋全体が揺れるような恐ろしい物音。そしてその音の発生源へ視線を走らせて、俺の心臓は縮み上がる。


大柄な影。不気味な被り物。そして一等目を引く派手な色のエプロン。奴が抱えるチェーンソーが残酷な音を立てる。有無を言わさず、俺に向かって振りかぶった。


「うわあああっ!!」


さて。急で悪いが、この時叫ぶ俺の近くでは別の出来事が同時に進行していた。


先程大きく扉を開けた衝撃だろう。部屋の壁に固定してあった棚ががくっと落ちる。それと同時に、飾ってあったボーリングの玉が棚からこぼれた。重量級のかたまりは、ちょうど釘が腐食した床板の端っこに落ちたらしい。重さと衝撃の反動で、反対側の床板が跳ね上がる。


「あ、」


俺の目には、先程その辺りを徘徊していたネズミが、綺麗な弧を描いて宙を舞う様が、まるでスローモーションのように映った。


ネズミはそのまま、殺人鬼の顔にくっ付く。重ための齧歯類に視界を塞がれて平静でいられる人間は居ない。目の前の男も当然、呻き声をあげてネズミを振り払おうと体を捻る。するとチェーンソーを持っていた手が、机の角に当たった。その衝撃で刃が向きを変え、主を襲う。部屋いっぱいに響き渡る断末魔。


「わ、わああ…」


目の前で起きた惨劇に、俺の口からは嘘みたいな悲鳴が漏れる。そして殺人鬼の体を刻むついでにチェーンソーの刃の一部があたって、俺の手首を固定していたベルトが外れた。


「……」


解放された手で残りの拘束具をそっと外す。体を起こし下を見れば、引き続き餌探しに戻ったネズミの姿。どうやら彼も無事だったらしい。


「次は…もうちょっと残酷じゃない方法で助けてくれると助かるな…」


ポケットに入っていたスナック菓子の包装を剥いて渡すと、彼は嬉しそうにかぶり付いた。






「ああ…」


この世界では珍しい抜けるような晴天の下。謎の宗教団体が村に来いと勧誘を行う隣で、俺の口からは盛大なため息が漏れる。


「今日こそは終わったと思った…」


視線を落とせば手首にはベルトの痕。悪夢のような一幕だったが残念ながら夢ではないのだ。


さて。現代日本に暮らす普通の学生だった生活が一転、異世界へ転生する運びとなった詳しいいきさつは省く。


結論から言えば、普通ならば剣と魔法の世界へ行くところ、何がどうして、俺はホラー映画の世界へと転生してしまった。


「なんで…!」


俺の口からは心底この状況を疑問視する声が出る。そもそも俺はホラーとかそういうジャンルは苦手なのだ。


それでも、まだ可能性はあった。転生先によっては、チェーンソーと合体し死霊を刻みまくる男の無双物語として再スタートを切ることだって不可能じゃなかった。


「なんで女の子なんだよ…!」


しかしどうして何の因果か、俺は美少女として転生してしまった。


そしてホラー映画における少女の役割は二極化する。人畜無害な見た目で人を殺しまくる少女(仮)や気が狂った男の世界に現れる双子の水先案内人など、所謂お化け屋敷で言う脅かす役に回ることも多いが、そうじゃない場合はどうなるか。


大抵は被害者だ。ある時は主人公の行動の原動力として、そしてある時は事件の悲惨さを分かりやすく表す引き立て役として、彼女達は活躍する。


つまり、この世界において、ただの美少女は格好の的。サイコパス共の餌食になるのを待つのみの存在であった。


(本当になんでこんなことに…)


先程みたいに謎のチェーンソー男に切り刻まれそうになることなんて序の口。無機物であるはずの人形が刃物を持って襲いかかってきたり、謎の黒電話のある地下に監禁されたり、足首を鎖に繋がれ知らんオッサンと知らん部屋に囚われていたこともあった。


そしてそんな超か弱い存在である俺は、肩と頭を大いに落としながらコンビニに入る。


「……」


入ってすぐのところに陳列されていたのは発注ミスか、レジ前のワゴンにこれでもかと積まれたぬいぐるみ。どうやら最近人気の愛玩動物を模したものらしい。ワゴン横には「絶対に真夜中に食事を与えるな!」とのキャッチコピーが貼られている。キラキラした真ん丸の瞳を横目に、奥へ進んだ。


「これお願い」


コーラの瓶を手に取ってレジカウンターに置く。すると店主が、誰に言うでもなく呟いた。


「良いところに来たもんだ…」

「え…?」


不穏な空気を感じ取った時には遅かった。瓶のコーラが床に落ち、割れた音が響く。


「人間狩り――マンハントの始まりだ!」

「わーっ!」


店主のジジイから向けられたのは黒く光る銃口。それに驚き仰け反った瞬間、俺は炭酸飲料で濡れた床に足を取られた。仰向けでひっくり返るように倒れていく体。発射された弾は俺の眼前を通り後ろへ抜けていく。これら全ての映像が、まるでスローモーションのように映る。


さて。前述の通り、こんな目に見えてか弱く力の無い美少女なんてこの世界じゃ完全な餌。俺には突然巻き込まれた人間狩りに対抗できるような、父親や母親から授かったサバイバル能力なんてものはない。とどのつまり、ただの美少女な俺が跳梁跋扈するこの世界を生き抜くことなど不可能である。


筈だった。


「ヒャハハハハ!これだから止められねえぜ!」


イカレた笑い声をあげる店主をよそに、俺が間一髪避けた弾はぬいぐるみを積んでいた金属製のワゴンに当たった。跳弾を起こし、弾はそのまま天井へ進む。そして照明器具に当たったことで、更に跳弾を起こした。


「グンッ」

「あ、」


弾はそのまま見事に店主の眉間を貫いた。妙な呻き声をあげて、男は倒れ込む。


そして本来狙われたはずの俺と言えば、床に落ちたぬいぐるみに頭を包まれていた。口からは悲鳴みたいな声が出る。


「もう嫌だこんな生活…!」


俺の転生にはある女神が関わっている。様々な事情が重なりホラー映画の世界に美少女として転生すことになってしまった俺の境遇を、あまりにも酷だと判断したのだろう。彼女は俺にある力を授けた。


何の知識も能力もない少女がこの世界を生き抜く唯一の術。それがこれ、“強運”だ。





「はあ…これが精神病院に入院してる男の妄想話だったらどんなに良かったか…」


今日だけでも何度目になるか、もう数も覚えていないため息は止まらない。あの後バックヤードからはみ出る人の足に気付き、とりあえず通報だけして逃げてきた。この世界の警察が役に立つのかは疑問だが。


「いくらスキルがあっても身が持たねえよ…」


“強運”に助けられてこそいるが、この力は厄介だった。何せ自分でもどういうタイミングで何が発動されるのか分からないのだ。毎回寿命が縮むような目に遭うし、悪人とは言え目の前でエグい死に方をされるのもだいぶ心臓に悪い。


工事中の看板の脇を通り抜け、のろのろ自宅アパートに戻る。表の玄関を開け、そろりと室内に入ったところで、呼び止められた。


「おかえり!」


その声にぎくりと震える。ゆっくり振り返り、声の主を見る。


「あ、ああ…ただいま…」

「ずいぶん遅かったじゃないか」


玄関を入ってすぐ横の部屋から出てきたのは、大家のおばちゃん。彼女は腰に手を当てて先を続ける。


「若い女の子の帰りがあまり遅くなっちゃ駄目だよ。あれ?そんな人形持ってたかい?」


目敏く俺の手元を示す。さっきの銃撃事件で俺の頭を救ったぬいぐるみ。俺は少しずつ足を階段に向けながら頷く。


「あ、ああ…。ちょっとそこで買ったって言うか、金だけ置いてきたって言うか…」

「彼氏に貰ったのかい?熱々なんだから!こりゃおめでたも近いね!」

「だから彼氏なんて居ないし、めでたいことも一つもないってば…」


このご時世大いに問題になるセクハラ発言にぞわぞわしながら反論する。いくら体の性別が女になったからと言って、俺に男と付き合う趣味はないし、妊娠なんて以ての外。


しかしながら大家のおばちゃんは聞いちゃいない。何せこの世界の若い女性は大半がギャル。そして大抵、マッチョな彼氏とところ構わず致すとんでもない貞操観念の持ち主なのである。


「そういえば、同じ階に新しい入居者が入ったからね。仲良くするんだよ」

「ああ…うん…」


ありがたい忠告にも、俺の態度は素っ気ない。


大家のおばちゃんはいつもニコニコ笑顔、優しくて面倒見が良い。一見めちゃめちゃ良い人だが、俺は警戒を緩めない。この世界の人間がまともな訳ないからだ。


「うわっ!」


そんでもって部屋に戻ろうと階段を上がった俺の前に現れたのは、ゾンビであった。固まる俺を前に、彼は何をするでもなくそこに突っ立っている。するとゾンビの背後から、男性が顔を出した。


「どうも~。うちのペットがすみません」


その言葉と、ゾンビの首元に付いた鉄のかたまりを見て思い出す。この首輪は確かテレビCMで見かけた。ゾンビの首に付けると従順になるとかなんとか。男性は笑顔でぺしりとゾンビを叩く。


「よろしくお願いします。できるだけ静かにするようにするんで。ほら!行くぞ!」


男性に引っ張られ、ゾンビはガーと呻き声を発しながらのろのろ歩いていく。


「匂いだけ気を付けてもらえれば…」


異常な光景を前に、俺と言えばもう悟りきった聖人みたいな顔で見送るぐらいしかできないのである。






(なんだ…?)


夜中。いつも通り部屋に戻り、いつも通り就寝した俺は、ふと違和感に起こされた。


「っ…?」


そこで体が重いことに気が付く。一瞬、拘束や狭い場所に閉じ込められている可能性を疑うが、すぐに選択肢から掻き消される。体は当然としても、指先すら動かせないからだ。


「おい。人間」


その瞬間、上から声がした。慌てて視線を送った瞬間目に入ったのは、俺の体の上に立つ影。あり得ない光景に息を呑む。


「っ…!?」


(な、なんで…!?)


慌てて視線を走らせるが、ここは俺の部屋だった。これだけ物騒な街だ。当然鍵は何重にもかけてあるし、扉だって窓だってそんな簡単に破れるような作りじゃない。この状況で起きたら部屋に誰かがいると言う異常事態に、俺は完全にパニックに陥る。


「ふむ…召喚は成功か」


そんな俺の様子など意に介さず、目の前の影は両手を広げて宣言した。


「我が名はヴァンドルフレイル。人間に仇なす悪魔よ」


続けて、俺を見て首を傾げる。


「此度の依り代は女の腹に宿る赤ん坊と聞いていたが、何かの間違いか?」


(あのババア!!)


俺の心からは恨み節が飛び出る。だって俺が妊娠していると思っていて、悪魔を召喚しそうな人物は1人しか心当たりがないからだ。


「まあ良い。我にはペイモンのような、宿る肉体に対する制約はない。若い女の体は最高だとパズスも言っていたしな」


目の前の悪魔は口元に手を当て1人呟く。


「この、っ…!」


その間に俺は、重たい右手を何とか動かし、枕元にあった木製のネックレスを手に取る。十字架だ。サイコキラーやゾンビが平気で跋扈するこの世界。悪魔と対峙することだって予想してた。これは対抗するための武器だ。意を決して投げる。


しかし俺のなけなしの攻撃は、ぺしりと情けない音を立て悪魔にぶつかった後、床に落ちた。当の悪魔は眉1つ動かすことなく鼻で笑う。


「このヴァンドルフレイルを前に、こんなもので身を守れると?」


(ま、まずい…!)


最終兵器を否定され、俺の頭で警鐘が鳴る。


ここは家だ。いくら俺の“強運”があっても、撃退できるような外的要因などまず無い。何より、相手は俺に力を授けた神と相反する存在。十字架すらものともしない悪魔だ。一体何で攻撃すれば効果があるのかも分からない。


「今回の召喚には部下も連れてきた。これは布石なのだ。愚かな人間共を従え、この世界を手に入れる為のな」

「っ…!」


いよいよ年貢の納め時かと背中一面に冷や汗を掻く。そんな怯えた様子の俺を前に、ヴァンドルフレイルは両手を広げ声高に宣言した。


「そうだ!恐れよ!この世の支配者!我が名はヴァンドルッ」


その瞬間、体の上にいた悪魔は、轟音と激震と共に視界から消えた。


「……」


俺と言えば一瞬何が起こったのか理解できず、その場から動けなかった。


しばらくしてやっと体を起こすと、最初に見えたのはもみくちゃになった部屋。ガラス片や壁の一部は散乱し、棚に飾ってあった筈のぬいぐるみは、どこか悲しげな目で床に転がっている。


そんでもって、潰れた部屋の奥に突き刺さったのは巨大な鉄球。そういえば隣の工事現場に鉄球をぶら下げたクレーン車があったなあなんて思い起こす。


つまり話はこうだ。何らかのでクレーンが暴走し、付属した鉄球が俺の部屋を直撃、ちょうど俺に襲いかからんばかりだった悪魔を吹き飛ばしたと。


「……」


そもそも市街地に鉄球つきのクレーンがあるのはおかしいとか、明日からの住まいの心配とか、色々思うべき事柄はあった。けれど非日常が続きすぎ感覚が麻痺した俺の口からは、一言だけが漏れる。


「悪魔って物理攻撃効くんだ…」


随分解放感に溢れた窓から下を見ると、ヴァンドルフレイルが連れてきたらしい部下の悪魔が、聖なるメリケンサックで殴られていた。






「待て!俺には銀歯がある!俺はXじゃない!」


大通りを挟んだ向こう側で響き渡る悲鳴と銃声。世界は今日も今日とて物騒である。地球外生命体に寄生された人間の頭部がカサカサと俺の横を通り抜けていく。


「うーん…。やっぱりこの部屋かな。駅から遠いけど築浅だし家賃安いし」


そして俺と言えばのんきに、手元の資料を見ながら呟いていた。


この世界に来て早1ヶ月。どんなに恐ろしい世界でも、人間とは慣れる生き物だ。悪魔も倒した今、俺に怖いものなどない。


そしてこの時の俺は不動産屋に立ち寄った帰りだった。何せ俺の部屋は大破。家主のババアは人に悪魔を取り憑かせようと企むとんだ悪魔信者だし、先日首輪が外れたゾンビに噛まれて隣人共々無事にゾンビの仲間入りを果たしていた。アパートは取り壊され、何やら新しくぬいぐるみのロボットで客を楽しませるファミリー向けレストランになるらしい。


「他にしなきゃいけないことは、引っ越し業者に相見積もりとることと、壊れた家具の買い換えと…」


これから発生するであろう仕事を指折り数えながら、交差点に差しかかったところだった。


「おい。人間」


その声に顔を上げ、息を呑む。


「っ…!し、死んでなかったのか…!」


そこに居たのは、つい二日前に“強運”の犠牲になったヴァンドルフレイル。


「あのような屈辱ははじめてだったぞ」


俺の目の前で、彼は確かに鉄球に潰され死んだ筈だ。しかし悪魔に人の常識など通用しない。


「不死のヴァンドルフレイルとは我のこと」


彼は五体満足で肩を揺らして笑う。俺を見て目を細めた。


「貴様も只の人間ではあるまい。特別な加護を受けているな」


事実を指摘され、心臓がぎくりと震えた。彼はすべてを見透かしたように続ける。


「クク…良いぞ。このヴァンドルフレイルが相手だ。並みの人間では器不足」


悪魔は余裕然と笑う。そして自身の胸元に手を差し入れた。


「この切り札をもって、今ここに宣言するぞ!必ず貴様を手に入れると!」

「っ…!」


(ま、まずい!)


俺の頭の中で警鐘が鳴り響く。ヴァンドルフレイルが懐から何かを取り出そうとしていたからだ。何せ前回とは訳が違う。俺の能力を知った上での襲撃だ。何か対策を立ててきたに違いない。それが俺の唯一の武器である“強運”を帳消しにするような道具だった場合、俺に身を守る術はない。


懐から取り出した何かを掲げ、地獄の王は口を開く。


「我とおとっ、」


そして次の瞬間、視界から消えた。


「……」


視線を動かすと、車が塀にめり込みシュゥウと音を立てて煙をあげているところだった。どうやらまたまたにも、暴走した車が悪魔だけを吹き飛ばしたらしい。例の“切り札”とやらは発動すらできずに終わったようだ。


「……」


今日もあちこちから悲鳴のあがる曇り空を見上げ、俺は呟く。


「今日も平和だなあ…」


そう。この時の俺は知らなかったのだ。今後引っ越した先の事故物件で線香を武器に死神とバトルすることになるなんてことだとか、ヴァンドルフレイルが出そうとしていた切り札が何故か可愛らしい便箋だったこととか、何やら「お友達から始めたい」と書かれた切れ端が宙を舞っていることも。


当然、地獄の王とやらから執拗に求愛を受ける究極のホラー展開が待ち受けていることなんて、予想だにしていなかったのだ。

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