車いす乗りのたわごと
空歩
第1話 クリームパンとの格闘
手足が不自由だと自分の身体にしばしばおどろかされる。
不随意運動(手足の動きを“随意”に制御できない)があるとなおさらだ。ふいにフットレストに落ち着いていた足が跳ね上がり、掴んでいたものを握りつぶしてしまう。そんな厄介にも愛らしい体と四十余年付き合っている。
妻と交際していた頃、よく東北と関西を互いに行き来した。私は新幹線で関西へ、彼女は夜行バスや新幹線で東北へ。電動車いすに乗ってしまえば1人で小用は足せたので、新幹線も1人で乗った。
ある関西からの帰り、新幹線で食うために老舗パン屋のクリームパンを買った。ちゃんと食えるように、ホームで彼女にパンの包装を開けた状態でビニール袋に詰め、そのビニールも手の届く位置に吊るしてもらった。こういう手順が障害者市民の勘所である。これ崩れると、行動力が極端にに落ちる。
よし、準備万端整った。
名古屋を過ぎたあたりでパンに手を延ばす。
―ん、やわらかい!?
しまった! パンの質感を確認していなかった。
たいていのクリームパンというやつは、皮にある程度「パリッ」と固さを感じるものだが、今手に掴みかけたものは、その手ごたえがない。それは皮が薄く、クリームがぎっしり入って、口に入れるとそれがいっぱいに広がる…ことは容易に分かった。だが問題は、口に運ぶまでの行程である。
ある程度想定して、力の加減をした右手指は、力を抜くことも入れることもできない。抜けば、パンの強度が落ちた状態で袋へ戻る。入れれば間違いなく皮は破れて手や服がクリームにまみれる。
一人緊張感に包まれたまま、私は前者を選択した。仕切り直しである。対象の状況は分かった。問題は、この繊細なクリームパンを私の粗野な手が扱いきれるのか。これを見極めることだった。1度握ってしまい変形した、繊細なパン。これのどこを責めればいいか。日ごろの食事で食品の“重心”をつかむのは得意だ。だが、普段使いのフォークは、今ない。右手のみで口に広がるクリームを得る必要があった。
意を決し、もう一度手を延ばす。比較的利く中指、親指を主戦に挑んだ。変形していない箇所を2指で挟み、持ち上げる。
力を入れないように―意識すればするほどこわばるのが私の身体。百も万も承知で慎重に口へと運ぶ。当然一口でいかなければならない。さもなくばクリームにまみれるのだ。
慎重にいけば時間もかかる。繊細なパンはクリームの重さに皮が破れ始めてきた。
もう一かばちか。
手の勢いを強め口に放り込む。二筋ほど、ジャンパーに流れた。
高揚しつつ、モグモグと濃厚且つ甘みを抑えたカスタードクリームを味わった。旨かった。
一息ついて見渡すと、誰もジャンパーにクリームを垂らした車いすのおっさんなど気にしていない。当然だ。
ティッシュでジャンパーをふき、パンが3つ残るビニール袋に手を伸ばした。
車いす乗りのたわごと 空歩 @tom-ku_ho
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