神話越え

「ハッ……」


 目を覚ますと、俺は全裸で廃墟の中で寝ていた。服は身体の動きに耐えきれずちぎれてしまったのだろう。もう随分日が高く登っている。廃墟と言っても、屋根も壁もほとんどなにも残っていない。ただ、辺りには家だったはずの残骸が延々と続いている。どれもこれも赤く染まっていた。


 よくはわからないが、周りには一切の命がないことが気配で分かった。アドルの能力なのだろうか。比喩でなくアリ一匹いない。微生物は流石に分からないが。


 見渡すと死体が数百と転がっていた。思わず吐き気が込み上げてくる。顔が潰れたもの、腕がないもの、胴がえぐられたもの、指の先だけが転がっているもの。時々犬や猫の死骸もあった。人間がやったとは誰も思わないだろう。竜巻が通ったのだと思うほうがよっぽど自然だ。


 これをやったアドルを……救えと?


 無理だと思う。一流の精神科医でも連れてくればよかったのになぜ俺なんだ。神様は似てるからとか言っていたが、いくらなんでもおかしい。


 辺りを物色すると、服屋だったのだろうか、大量に服が落ちていた。着てみるとだいぶ生地が荒く、着心地が悪いが仕方がない。火事泥棒のようなことをしたくなかったが、これも仕方がないことだと思う。


 俺は山の方に向かって走り始めた。一刻も早くここから立ち去ってしまいたかった。






「はあ、でっ伝報! 伝報! 急ぎ、はあ、急ぎ開門せよ! ノースホーン伯爵へ繋がれたし!」


 フェッタブルク西門に疲労困憊の伝令兵、ボーツァが現れたのは、怪物襲来から5時間後のことだった。フェッタブルクはこの国――ブルーデン大公国の東の要であり、他国からの侵襲を尽く退けてきた最強の要塞フェッタ城、その城下町である。


 千人の兵が殺害されたシサム村と、その怪物の死刑執行に失敗し崩壊したヴァルト町からは他の街に比べ随分と遠い場所にあるが、ボーツァがフェッタブルクまで走り続けてきたのには、あのフェッタの兵ならば、という期待があった。


 ボーツァはヴァルト町出身である。目の前の惨状から自分だけ逃げるようなのは断腸の思いだったが、仲間に蹴り出され、馬もない中泣く泣く数十キロの道を走り通して来たのだった。


 だから、


「無理じゃ」


 ノースホーン伯爵のそのような言葉は、あってはならないはずだった。


「なぜですか!」


 立場も忘れボーツァが反駁するとノースホーン伯爵は目を細めた。歴史的にも稀に見る優秀な将軍である彼の、数百本のシワからは哀れみの心がにじみ出ていた。


「君の話では、その怪物が目覚めてわずか数分でヴァルト町中央部が壊滅したのだろう。ヴァルト町には数百の兵がいたはずじゃ。千の兵を殺害したのは数回に分けて行われた合計の数だそうじゃが」


 そこでノースホーンは言葉を切り、部屋の端に待機している兵に何やら指示を出して退出させた。部屋にはボーツァとノースホーンだけが残っている。


「君には全てを話そう。そうでないと納得してもらえんでな。だが、ここまで来たら隠すこともままならんじゃろう」


 低い声でノースホーンが言うと、小さな声にもかかわらずボーツァは圧倒された。数十年間、最高指揮官として戦争の最前線を走り続けた男の威厳だった。


「千の兵じゃが、あれはたまたまシサム村の近くに駐屯していたわけではない。それは君も薄々分かっとるじゃろう」


 ボーツァは頷いた。シサム村というのはのどかな峠村で、兵士が誰もいないこともよくあるほどだ。事件があった場所の周辺は親が子供を放っておけるような危険のない場所だから訓練にもならない。そんな場所に千人の兵が出動するなど普通は考えられない話だった。


「あれはもともと、トロルを討伐するために送られた者たちじゃ」


 トロルとは人型の強力な魔物だ。緑の皮膚を持ち、人を見かけると襲いかかってくる。普通は兵士1人が1体と相打ちであると言われる。しかし知能は低く、強さの割には恐れられていない。女王を中心に群れを作る魔物の一種である。


「しかしトロルの生息地は……」


「そう、トロルの生息地は通常、我が国南部地域だ。我々は長年、手を出すことすら叶わなかったのだ。しかし……」


 そこでノースホーンは重苦しそうに目を閉じた。


「今年に入ってのことだった。――トロルがニタオ川を北上してきたのだ。その周辺のいくつかの村を壊滅させながらな」


「なんと……」


 ノースホーンは口を閉じたが、それがボーツァのような末端の兵士に伝えられない理由がボーツァにも理解出来た。ブルーデン大公国は多くの大国に囲まれている。強大な軍事力でその地位を保っているものの、わずかでも綻びが見つかれば、そこを狙われることは明白だった。


 そして、トロルを討伐しようと集められた精鋭千名が、あの怪物に殺されたのだ。


「あれ、北上してきたトロルはどうなったのですか?」


「それこそ君に言いたかったことじゃ」


 ノースホーンが手を鳴らすと、部屋の扉を開け、1人の兵士が入ってきた。ボーツァの1.5倍はあろうかという身長に加え、鍛え上げられた肉体は神話の軍神を想起させた。


「この男は、わしの手持ちで最強の男、ミカラムじゃ。ボーツァよ。こやつはトロルを何人倒せると思うかね?」


「私には分かりかねます」


「この男はな、かつてトロルを18、1日で倒しきった男だ。もちろん披露や怪我でしばらく寝込むことにはなったがな」


「ああ、彼がそうなのですか!」


 トロルを18体葬った男がノースホーンの部下にいる、という噂はボーツァも聞いたことがあった。それこそ怪物的記録である。


「ああ。その上で話そう」


 ノースホーンは一呼吸おいて、そして口を開いた。


「北上したトロルは全滅した。比喩ではない。北部に一切のトロルは最早残っておらん。それを一晩で成し遂げた。それがあの怪物じゃ」


 ボーツァは絶句した。そんな話は神話ですら聞いたことがない。


「その数は部下の推定では万を超える。――意味が分かるな? もはやわが国1国で対処出来る問題では無いのだよ。ミカラムが百人居ても戦えんさ」


 それは敗北宣言に等しかった。ボーツァはミカラムを見上げた。自分が100年鍛えてもこの男に勝てる気がしない。


 重苦しい雰囲気の中、すすり泣きが部屋に響いた。

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異世界自殺遂行記〜憧れの異世界転生かと思ったら、最凶最悪の殺人鬼に「憑依」しました。頑張って死にます〜 青海老ハルヤ @ebichiri99

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