第五章 運命の女神は意地悪【KAC20235】

いとうみこと

第5話

 噴水広場はファミレスとかおりの店の中間くらいにあって、歩いても五分とかからない場所だ。商店街のイベントや夏祭りが開かれるそれなりに大きな公園の中に、子どもたちが安心して水遊びできるごく浅い池と噴水がある。昼間は冬でもそこそこ賑わっているが、この時間ともなると週末でもない限り人影はまばらで、肩を寄せ合うふたり連れや酔い潰れたサラリーマンがたまにいるくらいだ。


 予想通り香が広場に着いた時には他に人影はなく、噴水脇のベンチに男がひとりポツンと座っていた。近づくにつれそれがあの桃野ではないかと気づいた香は、いっそこのまま帰りたいと思う反面、好奇心が湧き上がるのを感じた。泰葉やすははここにいるのがだと言ったが、何故桃野がなのか。それに香がヒロインで桃野がヒーローという泰葉の謎の言葉の意味も桃野は知っているのか。聞き出す相手が泰葉から桃野に替わっただけだと香は自分に言い聞かせた。


 香の足音に気づいて男が振り向いた。やはりあの桃野だ。桃野は来るのが香だとわかっていたのか驚いた様子もなく立ち上がり会釈した。


「お待たせしました」


「いえ、それ程でもありません」


 ふたりの間に沈黙が流れた。桃野は視線を落としたまま口をつぐんでいる。香は自分が会話の主導権を握らなければ時間だけが過ぎてしまうとすぐに悟った。


「泰葉が無理を言ったみたいですみません」


「いえ」


「お聞きしたいことがあるんですけど」


「はい」


 桃野は相変わらず視線を逸らしたままだ。薄暗いのもあって表情が読めず、何を考えているのか全く掴めない。どう切り出したものかと迷っていると、一陣の風が香のスカートを揺らした。春とはいえ三月の風はまだ冷たい。水辺は殊更冷えるようだ。


「ここは少し冷えますね。場所を移しましょうか」


 意外にも桃野が口を開いた。


「駅の近くに遅くまでやっているカフェがあります。そこはどうですか?」


「いいですね。そうしましょう」


 同意して歩き出そうとしたその時、香が不意に何かに躓いてバランスを崩した。


「危ないっ!」


 その声と同時に桃野の腕が伸び、見た目からは想像できない力強さで香の体を抱きとめた。引き締まった胸板と逞しい上腕二頭筋に包み込まれ一瞬香の息が止まる。本屋での最悪の出会いを帳消しにする圧倒的なシチュエーションがそこにはあった。


 しかし、運命の女神は残酷だった。なんとその時桃野の両手が香の胸を鷲掴みにしていたのだ。


「何すんのよっ!」


 香は思い切り桃野を突き飛ばした。桃野は大きくバランスを崩し、片足ケンケンで後ずさる。そしてその先では今まさに水が噴き出そうとしていた。

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第五章 運命の女神は意地悪【KAC20235】 いとうみこと @Ito-Mikoto

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