力石
葛西 秋
力石
石碑は、路傍にあるものである。
もちろん神社仏閣にも数多く存在する。
だが近代以降、土地の開発が進んだ時に行き場を無くした石碑が近所の神社やお寺に持ち込まれた例が多くあり、もとの場所の記憶を無くしてしまった石碑が積まれている場合も珍しくないのだ。
一方で、神社仏閣にしかない石碑がある。正確には石であり、それが今回の話の主旨である力石である。
力石は江戸時代に多く作られ、この石を持ち上げられるかどうかの力比べが全国津々浦々の地域で行われた。重さは百キログラム程度から重いものでは三百キログラムを超えるものがある。
百姓は米を担ぎ、商人も樽を担ぎ、人力による物資の運搬が当たり前だった時代、筋肉自慢、強い力をもった者はそれだけで賞賛の対象だったのである。
そんな地域の力自慢は正月に神社の奉納の儀式として奉納されることがある。祝いの席とは言え神前で行えばそれは神事、本番用の力石はもちろん、本番前の練習用の石も用意されたという。
練習用の石は加工されていない自然石の場合もあったが、本番に使う石は丸く、主に卵型に形が整えられた石だった。持ちやすい。
力石の表面、特に練習用の力石には何も刻まれていないことが多い。本番に使われた力石は、その石を持ち上げることができた者の名前と石の重さが刻まれた。
しかしこの力石、練習用も本番用も、石碑に比べて彫刻の彫りが浅い。その結果、少々人手が足りない神社仏閣の裏手に回ると妙に丸まっこい石がぽつんと置かれ、しかも何も書かれていないため、訪れた石碑愛好家を惑わせることが多々生じるのである。
ただただ丸い。あからさまに人の手によって加工されているのに、けれど何も記されていない。いったい何を祀っていたものだろうと考えこんでしまうのだが、なんてことは無い、力石ならば祀られているのはマッチョな筋肉とその持ち主の功績である。
すでに人力によって重いものを運ぶことが無くなった現代で、力石の風習は次第に忘れられているというが、刻まれた文字が元から浅かったことも風習風化の促進要因だろう。
風習それ自体が忘れられつつある力石だが、伝承自体に欠落がある力石が安芸の宮島、厳島神社に今もある。
なんでも福島左衛門太夫正則という人が厳島神社参詣のおり、ついでに宮島のてっぺんまで登ってみようとしたところ、登山道の脇の力石の前で怪異に遭ってその先に進むことを諦めたのだという。そこで道を引き返したから「太夫戻りの石」とも呼ばれているという。
その怪異って、なんだ。
実はこの怪異自体について述べている資料と述べていない資料が存在する。
述べている資料によると、正則はそこで天狗に遭ったのだという。そして戻った。
天狗はまあ、怪異だけれども。
天狗とはノーコンタクトなんかい、と突っ込み不可避。
厳島神社の力石、別名「太夫戻りの石」にまつわる怪異はこれ以上伝承で語られていない。
何があったんだろう。
もともと力石なのだから、天狗と正則との間で力勝負があったことは間違いない。どっちかが勝ったのだろう。そしてその結末が、伝承を消してしまう原因だったのではないか。
だとしたら、どっちが勝った場合、伝承が消されたと考えることができるのか。
素人石碑愛好家の想像力は汲めども尽きない豊かさである。
さて、ここまで読んでくださった方はどう思われるのだろう。
天狗と人間、どっちが力石の筋肉勝負に勝ったと思いますか?
力石 葛西 秋 @gonnozui0123
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