第6話 私が殺らなきゃ、殺らなくては

鬱蒼とした森の中に拓けた場所があり、そこには草木が生い茂っている。その中に荒廃した屋敷が佇んでいた。森の奥深くに位置し、木々に囲まれたその場所はまるで自然の中に埋もれたような印象を与える。


その屋敷は、かつては高貴な家柄の人々が住んでいた場所だった。しかし、何らかの理由でその家族は屋敷から姿を消し、それ以来、荒れ果てた屋敷は誰にも手入れされることなく、ただ一人で寂れていた。


それは不気味な雰囲気を漂わせていた。草が伸び放題に生い茂り、窓は割れたままで、壁は剥がれ、床は腐食し、屋根は朽ち果てていた。しかし、その荒廃した屋敷には、何か神秘的なものが宿っているように感じられた。それは、誰にも説明できない不思議な感覚だった。


ルナは魅入られたように、茫然と立ち尽くしていた。屋敷に意思などないのだが、彼女はその建物から漏れる陰気な気配が自身を歓迎していると感じられた。


先刻からの恐怖心は何処かに消えていた。彼女はポータルを手元の鞄にしまい、荷物を抱えながら屋敷へ足を運んだ。


「シノン!着いたわよ!どこにいるの」


声を張り上げて名前を呼ぶが、応えはない。透き通る声が屋敷の奥へ消えていく様は、この屋敷がたどった歴史の縮図のようだ。枯れ、消えていく。彼女はそんなことを思い、急に心細くなった。


近づくにつれ視界を埋めていく屋敷の片隅で、妙な建物が目に入った。外観の整った礼拝堂。それは屋敷との時間の整合性が狂わされるように整然とそこにあった。


彼女は救いを求めるような足取りで礼拝堂へ歩みを変えた。いじめを受けた子供が、まだ両親の帰らぬ家を目指すような必死さで駆けた。


夜露に濡れた草木を、その冷たさを布越しに感じながら、礼拝堂へと近づいていく。


平屋ほどの大きさはあるこじんまりとした礼拝堂。その扉がひとりでに開き、彼女は足を止めた。部屋の中から独特な匂いが流れでた。深い甘みとほのかな苦味が混ざり合った、濃厚で鮮烈な香りがした。


ルナは外気へ流れる灰煙を認めると、その奥の方を覗いた。


月明かりの届かない部屋の中から、人影が闇の中から出てきた。しかし、それは彼女の期待した人物ではなく、女性のシルエットをかたどった闇そのものだった。


彼女は短い悲鳴をあげ、抱えていた荷物が腕の中から滑り落ちる。顔を引きつらせながらも、腰に帯刀してある刀の柄へ手を伸ばした。すると人影は言った。


「ルナ!遅かったじゃないか」


その声は東雲のものであり、彼女は半分抜きかけた刀をピタリと止めた。


ルナより頭一つ小さい人影がゆらりと横へずれると、部屋の中から東雲が出てきた。


「まったく、来ないかと思ったよ。……刀を構えてどうしたんだ?」


「シノン!」


彼女は胸をなでおろし、月光を映した白刃を鞘に納めた。一息ついて、疲労の痕跡を表情に浮かばせながら、はにかみながら言った。


「この人影はなに?あなたの能力なのかしら」


彼女は指をさし、その方向に二人は視線を向けた。そこには月明かりに照らされた低木のほかに、何もなかった。


「ルナ、何を見た?」


彼女は事情を詳しく話した。東雲は軒並みならぬ表情を佇ませながら聞いていた。聞き終わると、険しい表情を残したまま言った。


「それは、おそらく生霊の類だろう。近年、科学では説明のつかない現象がそこかしこで噂になっていた。魔法の才のあるものが、イタズラにポルターガイストのような事象を引き起こしたのだろうと考えていたんだ。人に直接的な影響を及ぼすものじゃなかった。


しかしその現象は不規則に、数を増やし始めた。今や死亡した事例も発生している。それでいて犯人を特定できてない。私が思うにね、これは人の意思が形になった結果だと考えている」


「意思が形に?そんなことってある?それができないから人は、言葉や行動を通じて生きてきたわ」


「私の考えを伝える前に、まずは部屋に入ろう。君、靴を忘れてきたね」



部屋の中に入ると、そこは意外に明るかった。3つある天窓が月明かりを運び、目を凝らさずとも内観を捉えることができた。扉から奥の祭壇まで、一人通れるほどの幅があり、左右には長椅子が4つ配置されてある。しかし、その内の左2つは無残に破壊されてあり、右側の前方の椅子だけが辛うじて機能していた。


奥の三段上がった場所に祭壇らしきものがあった。それは無理やり引きはがしたように、木材の断面が細かに際立っていた。


(外から見たら綺麗な礼拝堂だと思ったのに、中はお屋敷とそう変わらないわね。ここは自然に朽ちたってより、人が壊していった、というところかしら)


ルナは観察した感想を述べながら、礼拝堂の中から外へ振り返った。草木の緑から屋敷を囲んでいる崩れた堀の白色まではっきり見ることができた。不気味な違和感を覚えながらも、その印象は東雲の声によってかき消された。


「そこに座っていいよ。まだ使えるはずだから。それと足のサイズを聞いていいかな?」


彼女は首をかしげながらサイズを教えた。彼は祭壇の壇上に腰をかけると、宙へ手をかざした。施しを受けるように天井へ向けた手のひらから淡い光が放たれた。その光の中から、黒い形のものが徐々に形を成し、彼女の履いていたブーツが生まれた。


ルナは目を大きく広げた。その瞳に、次第に好奇の色うかんできた。たまらず声をあげた。


「それがあなたの才能なのね、シノン」


「そうだ。【構築魔法】それが私の能力だ。作ることができれば、分解もできる。前例のない魔法体系だ」


「すごいわ。たくさんの可能性があるのね」


「とはいえ、魔力消費が激しくてね。私個人の魔力では作れる大きさも、個数も、上限がある」


彼はテーブルの傍らにブーツを置き、彼女に目配せをして着用を促した。彼女は濡れた靴下を履き替えてからブーツに足を通した。


「ジャストよシノン。靴底がだいぶ軽くなったわ」


感謝の言葉とともに笑って見せた。頭上から降り注ぐ白い光よりも、それは眩しく屈託のないものだった。


「それはよかった。下引きの素材は想像で作ったからね、軽く感じるのはそのせいだろう」


彼も創作物の出来栄えに満足しているらしく、鼻を鳴らした。


彼は上機嫌の顔から瞬時に落ち着いた様子を取り戻した。


「さて、話の続きだが。意思が形になるとは、あくまで他人がイメージしやすいように出力した言葉に過ぎない。概念としてこうですと説明もできない。ただ、私はそうした事象をこの目で確認し、おおかたの推察をつけている。


それは人の意思を捻じ曲げ、狂わせる。昨日まで親しかった家族が、一夜を境に殺し、死肉の上で踊り明かすほどに、狂わせる」


東雲は声を低く、胸につかえる物を吐露するようにいった。


「ルナ、これは比喩なんかじゃない。既に同様の惨劇をいくつか目の当たりにした。あれは、人のすることではない。我が子をその手で殺め、その亡骸を何に使うのか、大根おろしのように擦っている母親。家族のために働きっぱなしの父親を、息子は労いの言葉ではなく、酸性の液体をかけた。その後、熱湯をかけてはまた……」


彼は震えていた。赤く染まった顔面は怒りや悔しさ、その果てに行き場のない現実への憎悪となって表れていた。ルナは静寂に、それでいて同様の感情を抱きながら聞いた。


「狂人にはある特徴があった。まず、このブルダンスにおいて、ダンドルベルケンの夜にのみ現れる。しかし、一度狂ったら朝がこようと狂い続ける。それから、家族のいる者だけが今のところ発症している。そしてここが重要なんだが、狂人となったものはその人には見られなかった能力を発現している。


才能を人為的に引き出すダンドルベルケン、そして家族の誰かを狂わし、能力をひけらかす様に行使する。これらから予想できる人格は何だと思う?」


ルナは間髪入れずに返答した。


「自己中心的で満たされない承認欲求がある人物。自分自身の利益や喜びのために他人を利用する。人の感情や権利を無視し、自己満足的な行動をする、前時代のダンドルベルケンだわ」


東雲はうなずいて答えた。


「私もそう思う。これはダンドルベルケンの初期に起こった悲劇に似ている。ただし今回は、皆がその歴史を知っているし、何より私たちがいる」


彼は人差し指で自身と彼女とを交互に指しながら言った。


「もちろんよ。私たちでこの街を守るのよ」


彼女は努めて上品に笑った。端正な顔立ちの奥には轟々と決意の灯が燃え盛っていた。


「いい瞳だ。真っ直ぐに自分の道を進み、邪魔者は斬り伏せる。よい剣士の瞳だ」


彼はルナの瞳ではなく、それを取り囲む眼窩をぼんやり見つめながら言った。彼女はどう反応すべきか迷い、それが何を示唆しているか考えた。


(そう、きっと血を見ることになるわ。これからたくさん。狂った人がいなくなるまで)


眉間にしわを寄せながら、笑みを浮かべていた。不釣り合いな印象はなく、それは彼女の魅力を妖しく引き立てるものとして受け入れられただろう。しかし、東雲がその表情を見ることはなく、彼もまた己が内面に向き合っていた。


東雲はふけた思想から目覚めた。祭壇から腰を上げて扉の方へ歩いていく。その一連の動作は職人が段取りをするように、最低限で最短の動きをしていた。ルナはそのあとをただ黙って追った。


屋敷と礼拝堂、その対角線上に大樹があった。二人は勾配の緩い下り坂を抜けると、大樹の元へと辿り着いた。


その樹木の幹は100人が手をつないで輪をなしても収まりきらないほどの大きさだった。ルナはただその大樹に圧倒され、風にそよぐ枝葉の音を聞いていた。


幹の表面には亀裂がはしっており、大人一人が無理なく通れる程に裂けていた。東雲はその隙間を通っていき、すぐに暗がりへ姿を消してしまった。


ルナも恐る恐る暗闇へと進んでいく。むせるような木香と奇怪な脈音とが彼女の歩みを妨げた。口と鼻を手で押さえながらも、躓くことなく進めている。この道は起伏がなく、足元は意図してならされている。彼女はそれに気づいてここが人工的に開かれた通路なのだと確信した。


進んでいる方向から少しずつ光が透けて見えた。東雲との距離は案外近いらしく、彼女は安堵のため息をついた。


光が突如としてルナの前方をおおった。


(ようやく出口なのね)


期待と不安に駆られてやや急ぎ足で飛び出た。すると、何かにつまずき態勢を大きく崩した。倒れかけた身体を男の腕がとっさに抱いてくれ、転倒はまぬがれた。ルナが恥ずかしそうに笑うと、彼は目じりの皺を深めて優しく微笑んだ。


彼女はつまずいた物に目を向けると、それは鉄製のパイプだった。根のようにそこら中に伸びており、光源の元へ収束している。


「ここにはよく来ることになるから、次からは足元に気を付けたほうがいい」


彼の忠告を心半ばで聞き入れて言った。


「これは……」


彼女が目にしたのは光と奇怪な脈音の正体だった。それは巨大なカプセルだった。中身は銀の砂粒が暗黒空間にぶちまけたような、夜空を彷彿とさせる光景が収められていた。パイプから脈を打つ鼓動が聞こえると、銀粒はさらりと浮かんでは沈んでいった。


東雲は彼女の手を握り、夜空のカプセルの元へ手を引いた。彼女が茫然と見上げる側で彼は語り聞かせるように言った。


「私たちはこれからダンドルベルケンの秘密を解くことになります。それは教壇の秘匿を暴くことと同義です。やることは単純で」


彼は教壇で学生らに諭すときと同じように、ゆっくりと優しく、それでいて力強く説いた。


「私以外の教諭四人を殺すだけです。その思想子孫、残らず鏖殺するのです」


ルナはゆっくりと眼球だけを動かして東雲を盗み見た。彼の目元には微かな笑みが浮かんでおり、その瞳はどこか別人のように感じられ、焦点は彼女へ向けられていた。

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咲き誇る美少女は二人だけの秘密の場所で待ち合わせを ドンカラス @hakumokuren0125

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