第5話 秘密の場所

二人は喫茶店で会計を済ませ、外の空気を吸いに行った。東雲は人通りのない路地裏へ向かい、ルナも後を追った。


「すまんがここで一服させてもらうよ」


慣れた手つきでポケットから電子タバコを取り出し、筒状のスティックに吸い物を詰め込む。


「それ、何を咥えているの?」


「煙草といってね、この世界で僕が初めて作った代物だ」


真っ白な煙を吐き、肩がゆれる。単調なリズムを刻んでは、また同じ動作を繰り返す。


「昨夜もすすってたわ。おいしいの?私も一口いいかしら」


「ルナ、歳はいくつだ」


「十六よ」


「だめだ。君には早すぎる」


「葡萄酒を飲める年齢でもだめなの?アルコールよりきついのかしら」


ノーストンでは、飲酒は十六歳から認められていた。


「二十歳になってから自分の判断で吸いなさい」


「十八歳になれば結婚もできるのに……どうして二十歳からなのよ」


「そうだね、二十歳未満の子が吸うと、亡くなりやすい、依存しやすい。この二つが主な理由だね」


彼女は寒気を感じた。その原因となる品物から一歩遠ざかった。


「シノンは当然二十歳以上なのよね」


「当然、発明者たる私は今年の一月に二十歳を迎えた。そして煙草を吸った。あぁ、一つ勘違いしないでくれ。二十歳を超えて吸ったからとて、吸わない人よりはなくなりやすいし、依存することになる」


「そんなのやめちゃえば」とルナは冷ややかな蔑視とともに言葉を投げかけた。


「それが賢明だ。だから私はこいつを商品として売り出してはいないし、その気もないよ」


口ではそう言ってみるが、やめる気配がないことは誰の目にも明らかだった。


彼は吸いさしを携帯用灰皿にしまった。活力が戻ったように、短く気合を発した。


「そろそろお互いの生活へ戻るとしよう」


「そうするわ。剣術の稽古が始まっちゃうもの。シノンは研究室でタバコの危険性について論文を書くのかしら」


いじめるように目を細めながら、彼女は冗談めかして言った。


「それもいいかもね。でもこれは趣味で作ったものなんだ。本業は教壇に立つことだよ」


東雲の口から出た事実に、彼女は虚を突かれたように飛び上がった。


「あなた教諭だったの?それもダンドルベルケンの……」


ダンドルベルケンは才能の街と揶揄されることがある。各々に最適な能力を人為的に引き出せる技術が確立されたがために、そう呼ばれた。


しかし、人にとって才能は、所詮は道具であり、使い道までは教えてくれない。


才能を公益に活用するために、学園は「教壇」と呼ばれる施設を作った。子供たちは四半期ごとに丸一日、教壇へ入れられる。そこでは人道的に肯定されることを勧める「教諭」が教鞭を持つ。ここで才能に対する倫理観が強固なものになるため、国は教諭の選定を厳しく審査する。合格率は小数点以下という難関職である。そのため、教諭になったものは国中から尊敬された。ダンドルベルケンには現在、五人の教諭がいる。


「私も君と同じくらい、有名人なのさ」


「でもおかしいわ。教諭の名前なら全員覚えているわ。東雲ヒガンという教諭はいなかったはずよ」


「私は名前を二つ持っているんだよ。東雲ヒガンは転生……。いや、抽象世界の名前なんだ。この具象世界ではアルボール・シルバ・ノインと呼ばれている」


ルナは眉間にしわを寄せて、言葉の意味を理解するよう努めた。その甲斐もむなしく、使える情報だけをまとめ、整理するようにつぶやいた。


「アルボール。18歳で教諭になったっていう、最年少の人理者ね。まさかシノンが……」


「教壇の歴史なんてまだ二十年そこらだよ。最年少も最年長も、仕事は手探り状態なのさ、色々とね」


「すごいわ……そうとは知らずに勝手にニックネームまでつけちゃって」


ルナは偉人に無礼をしでかしたかのように、さっと血の気が失せていった。


東雲は彼女の発言に思わず笑いだした。片手の手首をゆらゆらと振りながら、飄々とした口調で言った。


「ルナの渾名なら気に入っているよ。なんせどちらの名前にも当てはまるからね」


彼はなだめるよう努め、彼女の心は幾分か安らいだ。


「それに、そう萎縮することはないよ」


言葉にとげはないのだが、目元には暗い影が差しこんでいた。その真意がどこにあるのか、彼女にはまだ察することができないでいた。


(たまにだけど、ひどく傷ついた顔をするわ)


彼の横顔を下から覗きながら彼女は思った。弱った動物を労わるような、慰めの瞳で彼を見つめていた。


「そろそろ行かなきゃな、私たちの用事もあるし」


「えぇ、お互い慌ただしい時期ですし。それでは、また今夜」


軽い会釈と共に、二人は手を振って別れた。一方は左折し、もう一方は右折してそれぞれの目的地に向かって歩き出した。


路地裏には風が通り抜け、陽射しが影を作る。鳥のさえずりや道行く人々の陰鬱な足音が聞こえてくる中、二人の存在感はすぐに薄れていった。その先には、それぞれの変わらぬ日常が待ち受けている。



ーーーーーーーーーーーーーーーー


ルナは剣術道場の門下をくぐると、後ろから声をかけられた。


「ルナじゃん!今から稽古?」


「ロップ!そう、今からなの。ロップもそうなのかしら」


ロップと呼ばれた女性は彼女の友達であり、二人とも楽しそうに手を合わせた。


その友達は小柄でメガネをかけ、黒髪のショートヘアが活発な印象を与える。彼女は紺のスカートが短く、見るからに元気いっぱいであった。


「あたしはこれから実験だよ!コンクリートをセメントに変えてくるの、今度は能力の範囲を広げてみるつもり」


粘土をこねるような手つきで言った。彼女は土魔法の才覚があり、将来は建設の研究職に就きたいと話していた。


夢を語る姿も、今も挑戦を続け、楽しそうに現状を話す。ルナは彼女のことを共に成長できる数少ない友人として慕っていた。


「そういえばさ、港区で才能を潰す薬を売買してる連中がいるって話したじゃない?あれの続報があるの」


(大量の血痕を残して、現場には謎の土崩れが)


「なんと今度は大量の血痕が発見されたんだって!大変よね、でも誰がやったのかは皆目見当もつかないそうなの」


ルナは昨夜、ロップのゴシップネタに釣られ、彼の地へ馳せ参じた。


(同じ土魔法使いでも、ロップと犯人じゃ天国と地獄ね)


彼女は自分の守りたい世界に、覚悟を新たにした。


(そうよ、悪いことばかりじゃない。私やロップ、それにシノンだっている。他にもたくさん、悪いことをしようなんて人は、ほんの一握りのはずよ。だからやらなきゃ、私が)


彼女は自分の内に秘めた情熱と若さを見つめ、世界の闇に立ち向かう準備を整えた。それは、彼女にとっての青春の意味があり、同時に退廃的な自己から逃れるための唯一の道だった。



ーーーーーーーーーーーーーーーー



稽古を終え、ルナはアーデル邸の玄関でブーツを脱いでいた。外は夕闇が空の大半をおおった。彼方には追いやられ、赤々とした空がかすかに見える。


手入れの行き届いていない庭園の奥に、立派な石造りの屋敷が佇んでいる。その屋敷は、かつての華やかな面影を辛うじて残していた。雨風を受けて、赤茶けた屋根は数枚割れており、窓辺には建付けの悪いガラスがいくつもあり、風が吹きつける度に静かに部屋の中をこだましている。


そして、屋敷の中は陰鬱な雰囲気が漂っている。かつては華麗な装飾品で埋め尽くされていた部屋は、今ではただ空虚に広がっている。カーテンは日光のせいで退色し、壁紙は剥がれる手前であった。木製の床は腐食が進んでおり、何とも言えぬ嫌な匂いがする。このような屋敷で生活する貴族たちは、湿ったな雰囲気に包まれ、身動きが取れないような気分に陥ったに違いない。


玄関広間の中央扉が音をきしませながら開いていく。奥から老夫婦と、二人の主であろう女性がゆっくりとした歩幅でルナに近づいてきた。


「ルナ、おかえり。昨夜はお友達の家にお邪魔したのよね?楽しかった?」


「はい、お母様。お互いの将来にいい影響を与える時間でしたわ」


彼女の母は笑った。目じりには皺がぎっしりと詰まっており、生涯の苦難の層が刻まれていた。


「ルナお姉様」


広間の両脇にある階上、東棟へ伸びる方角からルナの妹が降りてきた。


「メル、勉強の方は順調かしら」


「はい、お姉様。近頃は花粉が散ってましたので、弧を描くように海の彼方へ飛ばしました」


「風が弱かったのはあなたの仕業だったのね」


メル・アーデルは彼女より二つ年下の妹である。髪色は同じだが妹は肩にかかる位置で切りそろえている。姉より落ち着いた口調、それでいて知的で神秘的な雰囲気がある。その印象を決定づけるのは輝かしい容姿にそぐわぬ、光が消えた瞳孔であった


家族は談笑しながら時を過ごし、給士の老夫婦は晩飯をそろえ終えると、静かに脇へ下がっていった。


いつも通りの日常、守るべき対象たちと触れ合いながら、ルナは約束の時間を待った。家族との時間を終え、自分の部屋で一人静かにベットで寝そべった。


少しの休眠を経て、彼女は身支度を整え始めた。昨夜と同じ服装、彼女独自の戦闘スタイルと好みの洋服を合わせた服装だ。


(……靴をもってくるべきだったわ)


玄関に置きっぱなしにしており、習慣から部屋に靴を持っていく発想が抜け落ちていた。自身の間抜けさにため息をつきながら、どうしようもないと諦めた。


普段は履かない黒タイツに厚めの靴下をかぶせた。鏡で確認すると、案外気に入ったそうで、密かにくるりと回ってみせた。


あと数分で約束の時間となる。必要な物をあらかた手元に集め、時間を確認する。不安や勇気といった多彩な感情が駆け巡る。息が浅くなり、胸の鼓動が聞こえてくるようだ。姿見を前に荷物を抱えながら、両手で移動ポータルを握る。目をつむると鼓動は先ほどより強く、大きく感じられる。


風のさざめき、建物がきしむ音、普段は気にも留めない音が取り止めもなく入ってくる。


(長い。一分経ったかしら。怖い、なぜだか、とても怖いわ!)


拳に力が入り、唇はぎゅっと結ばれていく。


変化は突然訪れた。鐘の音が鳴り響いた。風が頬を伝っていき、草木の匂いを運んだ。そして閉じた瞼に光が差し込むように感じられた。


ゆっくりと目を開くと、目の前には月光に照らされた荒廃の屋敷が佇んでいた。

鐘の音がまた一つ、鳴り響いた。                                                                                       

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る