終章

36.瞳の中の物語

 数年後、近づいてくる夏の足音に胸を躍らせた。

 朝の光が差し込む寝室のベッドで、太輝はまぶたを開け、青空を見上げた。あの夏もこんな空の色だったろうか。もっと鮮明に思い出せたら良いのに。それは儚い夢のように記憶から薄れていった。


「ダイちゃん、おはよう」


 真上から和絃の声が降ってくる。見上げると、寝間着姿の和絃と目が合う。彼はいつ起きたのか、髪はくしを通したように乱れていない。


「和絃、おはよう」

「今日はどんな夢を見たの」


 和絃の声が群青の空に浮かぶ。太輝は目に入ってくる光が眩しかったから、まぶたを閉じた。


「和絃が猫に顔を引っ掻かれてた」


 小さく笑って答えた。


「酷い」


 和絃が頬に口づけをしてくる。


「起きる?」

「ん、まだ」


 少しだけ残った眠気に身を任せようと、彼の腕の中で身体を丸めた。


「うん、そうか」


 和絃の手が頭から首にかけて滑る。その名残惜しそうな手つきに、太輝は頬に甘い痺れを感じる。


「夢の中で会えるから悲しまないで」


 和絃は安らいだ笑みを浮かべた。


「夢で会おうね」


 口元を緩ませた太輝の身体から力を抜けて行く。やがて、静かで完全な闇が訪れる。太輝はどぶんと沈み込んだ奥底で、揺れる影を見た。新しい夢だ。大丈夫、怖くても、和絃が悪夢から救い出してくれる。天から神が手を伸ばしてくれるように。こうして太輝は安らかな眠りにつける。


 だから、おやすみなさい。

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教祖の白昼夢 佐治尚実 @omibuta326

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