籤を引かせるお仕事

凪司工房

 まだ日の昇らない、暗い中を、人間が列を成して歩いていた。いや、歩くというよりは時間の流れの遅い中での波の動きのようにじつにゆっくりと、一歩、また一歩と、わずかに空いたスペースを埋めるようにして体を進めている。そんな状態にあっても誰もが特に不満そうではなく、寧ろ楽しさや喜びにあふれていた。


 狭き門をくぐり抜けた人間の群れは石畳を歩き、皆が同じ方向へと動いていく。その先にあるのは巨大な屋根を被せた古い建物だ。

 左右に大きな松明が焚かれているが、それ以外にも強烈なライトがそこを照らしていた。ちょうど指先を合わせたような形で綺麗に瓦が葺かれ、その下ではチャリンチャリン、コツンコツンと小気味よい金属と木の触れ合う音が響く。人間たちは前に置かれた細い穴が幾つも開いている箱へと硬貨や紙幣を投げ込んでいる。


 正月。それは誰が決めたのか知らないが、一年という歳月に区切りをつける大きな節目だ。この日、人間たちはこぞってこの神社と呼ばれる建物へと足を運んでは、神に祈る。普段は神など信用しないという人間ですら、この日ばかりは神頼みをする。

 中でも極めつけの神頼みをしようと、賽銭さいせんを投げた人間たちはその脇に並ぶ巫女の前にある、縦長の木製の箱を手に取る。

 おみくじ――と呼ばれるものだ。中に入っている棒についた番号に該当するくじを貰い、そこに書かれた吉凶を見ては一喜一憂する。良い方から順に大吉、吉、中吉、小吉、末吉、凶、そして大凶となっている。これは神社によって若干順序が異なったり、半吉とか変わったものがあったりするが、おおむねこの通りだと聞いている。

 多くの人間は一番良いとされる大吉を引こうとするが、やはりそう誰も大吉を手にすることは出来ない。


「今年も末吉か」


 赤い着物を着た女性が友人に苦笑を見せたが、特に不幸そうには見えなかった。

 誰もが自分でそのくじを引き当てている――と思っている。

 しかし次々と番号札に手を伸ばす人間たちを中空から眺めつつ、あれ、これと指図する小柄な生き物がいた。

 くじの精霊だ。頭の剥げた子どものような成りで、一本ないし二本の小さな角を生やしている。彼らはその人間に見合ったくじを引かせるのが仕事だった。

 だが彼はその仕事を何とも退屈だと大きなため息を零しながら、犬を抱いた婦人に中吉を引かせた。


『公平性を心がけよ』


 精霊は神より、そうきつく言い渡されている。ここのくじ当番になってから既に十五年が経過していたが、毎年「公平とは何ぞや」と自問自答しながらも、選り好みしないようにくじを当てていた。

 ただそんな彼でも一人だけ、どうしても気になって、別のくじを引かせたくなる人物がいた。その男は年齢不詳の、巨大なキノコのような髪型が目立つ、猫背の人間なのだが、何故か毎年大凶を引いてしまう。凶ですらなく大凶というのは、ある意味で運が良いのだと笑う人間もいたが、彼にとっては毎年同じものを引かせるというのは「公平性」を欠いた。

 それでも上司である神から何も云われていないので、やはりあの男は毎年大凶を引く運命にあるのだろう。


 日が昇っても境内の人間の数はほとんど変動がない。参拝客は次から次に社務所の前に並び、棒を引いては巫女装束を着たバイトの学生たちにそれを渡して自分の運命が書かれた紙を受け取っていく。

 その人間の列の中でも、やはり男は一際目立っていた。巨大な頭のもさもさのキノコと、よれよれの黒のスタジャン。元はどんなアルファベットが書いてあったのか分からないが、うっすら赤い字でBLOODと読める。サングラスを掛け、ずるずるとスニーカーを隠して引きずる長い裾のジーンズはところどころ解れていて、それでも構わず、ポケットに手を突っ込んでいる。当然そのポケットも指が底を抜けてしまっているが。


 誰もがその男から一歩ないし二歩は離れる。けれど今年はただ一人、こちらもまた何とも派手なピンクのアフロヘアをした、薔薇が全面にプリントされた赤や黄色、オレンジの着物姿の女性が、その彼に寄りかかるようにして行列に並んでいた。

 遂に大凶男に彼女が出来たのだろうか。彼女が男に耳打ちをして笑う様子は、何とも仲が良さそうに精霊からは見えた。


 ――これは今年こそ大凶以外を引かせてやりたい。


 そういう思いがむくむくと持ち上がり、精霊はするすると地上まで下りていく。

 男は猫背になっていたが、流石に精霊よりは随分と背が高い。仕方なく少し宙に浮き、肩越しに覗き込むような形になって、彼がおみくじを引くのを見守った。木の箱を軽く振り、それから逆さにする。その瞬間だった。精霊は隣で同じようにくじを引いていた大学生らしき若者から、吉を引く運命を掠め取り、男の大凶と交換をした。

 今年こそは成功した。

 そう思って見守っていると、アルバイトの巫女の一人が男の番号を読み間違え、その手が大凶の紙へと伸びた。


「はい、どうぞ」

「ありがとう」


 嗄れ声でその紙を貰うと、男は列を離れ、中身を確認する。男の運勢は今年も大凶だった。しかし男の方はその結果に満足したのか、口元に笑みを浮かべ、連れの女性を待った。

 少し遅れてやってきた彼女の手には大吉のおみくじが握られている。それを見て「そうだろうな」と男は呟き、ポケットに自分のくじを突っ込むと、腕を絡ませた彼女と共に境内を後にした。

 人混みの中、くしゃくしゃになった大凶のおみくじは何度も踏まれていたが、誰もそれを拾おうとはしなかった。


 ――やはり何かがおかしい。


 今年のそれは疑惑ではなく確信だった。

 精霊はおみくじの仕事を放り出し、二人を追った。アーケードの下を歩き、彼らはどんどん先に進む。このまま二人でどこかに行くのだろう。けれど一切商店に置かれた品物に目をくれない。


 と、脇の路地に入る。狭く細い通りを進み、それから人気のない民家の裏にたどり着くと、猫背の男がこちらを見た、ような気がしたが、男はすぐにその崩れそうな家へと入っていく。

 だが連れの女性の方は中には入らず、外で少し寒そうにして待った。

 男は何かの用事を終えたのか、満足した表情で出てくると、彼女に「あとは頼んだ」と言い、片手を挙げて離れていく。精霊は男を追うべきか迷ったが、その内にも女性は中に消えてしまい、男の姿も人混みに紛れ、見失ってしまった。

 一体、二人はどんな関係だったのだろう。

 神社に戻ろうとしたところで、女が入っていった家から目が飛び出るような大声が上がった。


「父ちゃん! これ! 当たってるって! 五億だよ! 五億!」

「嘘いえ。拾った宝くじがそんな訳……」


 そのトタン屋根の家が、何故かほんのりと明るく輝いているように見えたけれど、それも一瞬のことで、精霊は何も言わずにそこを立ち去った。


    ※


 この日、神社では大量の大吉と大凶が出て、一部の参拝客から文句が出たそうだ。SNS上では『貧乏神』という名前で自慢げに大凶のおみくじを手にしたアフロの男の写真が沢山流れていたが、くじの精霊はそんな話、知る由もなかった。(了)

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