筋肉ラーメンの正体と顛末

 ◇ 


「うぉぉぉぉ! マッソーーーー!!」

 瞬斗が雄たけびをあげた。体を前方へ投げだすように倒し、全力で屋台のハンドルを推す。足元ではジョギングシューズがアスファルトを噛んでジャリッと音を立てた。荷台の寸胴鍋で湯を沸かしながら重い屋台がゆっくりと前進をはじめる。振動で屋台の什器がカチカチと鳴った。


「重量は200kgを超えるから急には止まれないぞ。それと曲がり角はかならず速度をゆるめて。さもないと転倒する」

 マッソー兄さんが瞬斗に助言を与える。

「了解でマッソー!」

 瞬斗はすっかり『マッソー』が気にいってしまったようだ。マッソー、マッソーと叫びながら、屋台の速度をあげてゆく。やがて早歩きをこえマラソンなみのスピードに達した。このペースならば、きっと市民スタジアムの試合に間に合う。


「いいなぁ、青春だなぁ」

 軽ワゴンに乗ったマッソー兄さんは瞬斗の姿を見送り、目を細めた。

「さぁて、オレたちも車でスタジアムへ向かうとしますか」


 ◇


 瞬斗が必死の形相でリヤカーを曳きスタジアムへ向かっているとき、トクさんの軽ワゴンの中ではマッソー兄さんが鼻歌を歌いながら、ガラスの小瓶へビニール袋から白い粉末を移し替えていた。


「そのアヤシイ粉なぁに?」

 ハンドルを握ったトクさんがたずねる。視線は道路に向けたままだ。

「スプリンターミックスの素」

「それまさかヤバイものじゃないでしょうね。やぁよ警察に追われるのは」

「大丈夫。ただのグルタミン酸ナトリウムだから」

「グル……何なのそれ?」

「グルタミン酸ナトリウム。商品名でいえば味の素。小瓶の中身は全部味の素。フタの色とラベルが違うだけ。これ、瞬ちゃんにはナイショだぜ?」

「あらやだ、あの子をダマしてるのね?」

「ダマしてなんかないさ、オレは自己暗示にかけただけ。瞬ちゃんは最初から自分が持っている実力を発揮してるってわけ」

「なーんだ。筋肉ラーメンなんて、ウソばっかりじゃない」

「当たり前だろ? 一朝一夕で筋肉がつかないことぐらい、俺たちボディビルダーが一番よく知ってるはずだぜ」

「まぁね、そうだわね」

 ヒゲ面のトクさんはクスリと笑った。筋肉との付き合いは長い、そう簡単にバルクアップしてくれるものではないからだ。ラーメンを食べたからといって、にわかに筋力が増えることはない。


 ◇


 そんな軽ワゴンでの会話を知らない瞬斗は、ラーメン屋台を曳いて国道をひた走る。目指すは十キロ先の市民スタジアムだ。


 国道を人力で走る屋台を邪魔に思ったのか、追い抜きざまに幅寄せされたり、トラックから黒い排煙を浴びせられたりもしたが、助手席から手をふって応援してくれる家族連れもあったりして、瞬斗はスタジアムまでの道のりを順調に走破していった。


 ゆく手にスタジアムの姿が見えてくると、瞬斗は不安になった。


――いったい俺ははどこへ行けばいいんだ?


 ここまで勢いで屋台を曳いてきたけれど、試合に出場するためには選手登録を行わなければならない。陸上部の皆も、まさか瞬斗が屋台でスタジアムに向かっているとは思わないはずだ。


――かくなる上は問題を一気に解決してやる!


 瞬斗は決心した。

「マッソー!」、雄たけびをあげながらスタジアムのマラソンゲートへ屋台を向けた。

 瞬斗がゲートをくぐり場内へ姿を現すと、スタジアムの観客がどよめいた。それはそうであろう、レンガ色の全天候型タータントラックのレーンを真っ赤な暖簾をぶらさげたラーメン屋台が周回しはじめたのだから。あわてる警備員をしり目に暴走を続ける屋台。その光景に観客たちは指をさし、口々に「屋台」「屋台だ」と言い交わしては爆笑した。


 屋台を曳きながら瞬斗は陸上部メンバーの姿を目で探す。トラックを半周したが、こちらからは見つからなかった。しかし、これだけ目立つ格好をしているんだ、コーチたちは瞬斗が会場に到着したことを理解してくれたはず、かならずや選手登録もしてくれるだろう。スタジアムの警備員に取り押さえられる前に、そろそろ会場を出ることとしよう。瞬斗は判断した。


 完全に体があたたまった状態の彼は屋台をけん引しつつ驚異的な速度をもってトラックを走り抜けてゆく。ヒラリヒラリとうまいこと警備員の手をかいくぐっては、ついにはスタジアムの外まで逃げ切ってしまった。


 ◇


 スタジアム横の路上に屋台と軽ワゴンが並んで止まっていた。瞬斗らは無事に落ち合うことができたのだ。しかし……、


「どうして!」

 屋台の前で瞬斗は怒りに顔を染め、マッソー兄さんに詰め寄った。

「せっかく屋台を曳いてきたのに、なぜラーメンを作ってくれないんですか!」


「なぜって、ラーメンを食った直後に全力疾走できると思うかい? ゴールする前に吐いちまうだろう」

 片足をギプスで固めたマッソー兄さんが瞬斗をなだめる。

「そうよ、タプンタプンのお腹で走るなんてウサイン・ボルトだってムリだわ」

 トクさんは腹をかかえて揺さぶる真似をした。


 二人のボディビルダーの言うことは間違っちゃいない。それは瞬斗もよくわかっている。しかし、ここまで屋台を曳いてきたのは、ラーメンを食べて大会で勝利するためじゃなかったのか。彼は不機嫌に黙り込み、目をそらした。


「その代わりに用意したのがこれ。ミニラーメンだ」

 マッソー兄さんが小鉢に盛られた一口サイズのラーメンを差しだした。いつの間に作ったのだろう、ホカホカと湯気があがる器からは、瞬斗のパワーの源、あの筋肉ラーメンの香りが立ちのぼってくる。


「それにね、スプリンターミックスを溶かしたスポーツドリンクよ」

 オネエ言葉のトクさんが、クーラーボックスの中から冷えたドリンクボトルを取りだす。


「さ、ミニラーメン食ってけ」

「ドリンクで力をつけて」

「皆さん、ありがとうございます」

 瞬斗は二人の気づかいに思わず泣きそうになるが、必死にこらえた。涙をみせるのは今じゃないからだ。急いで一口ラーメンをすすり込み、ドリンクボトルを受け取る。

 そしてムキムキの二人に向けて明るい笑顔を見せた。


「マッソー!!」、瞬斗は上腕を曲げてポーズを決める。

「行ってこい、マッソー!」

「がんばってね、マッソー!」


 瞬斗はマッソー兄さんとトクさんの太い上腕二頭筋に送られて、スタジアムへと駆けだした。


 ◇


 瞬斗が去ったあとも、軽ワゴンは路上に停車していた。


「瞬ちゃん、どうしたかしらね」、運転席でトクさんがつぶやく。

「どうしたかなぁ」

「記録が心配なら会場へ行ったらどう?」

「行かない。結果はわかってる」、マッソー兄さんが目をつぶった。


 全開にした軽ワゴンの窓からスタジアムの歓声が流れこんでくる。


 ひときわ高く沸き起こった歓声が、

 いつまでも興奮が冷めやらぬように、長く、長く響いた。


 完

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屋台ランナー 柴田 恭太朗 @sofia_2020

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