ラーメンさえあれば俺は無敵
「10秒20だとォ!?」
ゴールライン横のコーチがストップウォッチを見て目を丸くした。
「記録更新だ、スゴイよ瞬斗くん!」、コーチの声を聞いて陸上部員たちがわらわらと集まってきた。いわゆるスター選手のいない部である、記録的な数字をたたき出した瞬斗にみなの注目が集まった。
高校生の日本記録は10秒01。のちにオリンピック選手となった有名選手がたたき出した記録は十年間破られていない。先日まで陸上部の補欠だった瞬斗がメキメキと力をつけてレギュラー選手となり、無疵の日本記録まで手が届くところまできている。いや地方高校の荒れたグラウンドではなく、完璧に整備されたフィールドで走れば、あるいは日本記録を超えることすら夢ではないかもしれない。
瞬斗の奇跡は、あの日、マッソー兄さんの屋台でスプリンターミックスをふりかけた『筋肉ラーメン』を食べたときから起こった。
彼は毎日のように屋台へ立ち寄っては、うまい筋肉ラーメンを食べるようになった。その名称から推測されるように筋肉が増大するのかと思えば、さにあらず。筋肉がつきにくい家系の瞬斗の体は、外見的に目だった変化は起こらなかった。とにかく屋台でラーメンを食べれば、超人的な力が出せるのだ。しかし、その効果はラーメンを食べてから二十四時間で切れてしまうこともわかっていた。なぜなら屋台が混んでいてラーメンを食べられなかった翌日は補欠時代の瞬斗に戻ってしまい、コーチや陸上部員たちをガッカリさせてしまうからだ。
とにかく毎日食べ続ければいい。瞬斗は気楽に考えていた。だから県の陸上大会の期日が迫ってきても不安はなかった。
◇
「ねえ、マッソー兄さん」
常連となった瞬斗は屋台のムキムキ店主を、親しくあだ名で呼んでいた。
「なんでマッソー」、相変わらずマッソー兄さんの語尾は変わらない。
「今度の土曜日もかならず屋台をだしてほしいんだ。次の日に陸上大会があってさ」
「お安い御用だ、瞬ちゃん。うちは年中無休でやってマッソー」、といって誇らしげに上腕二頭筋を披露する。兄さんは兄さんで瞬斗のことを瞬ちゃんと呼ぶ。
「さすが兄さん、筋肉を偏愛しているだけのことはあるねぇ」
瞬斗は軽口をたたいて笑った。彼は冗談のつもりだったのだが、それを耳にしたマッソー兄さんの眼の奥でチロッと小さな炎が燃えたことに気がつかなかった。
◇
土曜日。瞬斗がいつもの場所へやってくると、そこに屋台は影も形もない。
早く来すぎたかな? 瞬斗は道端の塀に寄りかかって待つことにした。
一時間待った。すでに夕日は傾きはじめている。普段ならマッソー兄さんの作るスープの芳香が道路いっぱいに広がっている時間帯である。長いこと道端にただずんでいる彼に通りすがりの住民が不審げな視線を向けてくる。
「なんだよ年中無休じゃないのかよ」
瞬斗は舌打ちをした。筋肉ラーメンの効果は二十四時間しか持続しない。明日の陸上大会で良い記録、できれば日本新記録を出すためには、今日マッソー兄さんのラーメンを食べておかなければならないのだ。
いつもと違う場所で店を開いているのかもしれない。あせった瞬斗は小走りに道という道、角という角を曲がってラーメン屋台を求めて探し回った。しかし、マッソー兄さんの屋台はこの街のどこにも見当たらない。
陸上部の連中に手わけして探してもらうことも一瞬脳裏をよぎったが、実は筋肉ラーメンの存在を他の部員に話していなかったのだ。瞬斗は自分のパワーのナゾを伏せておきたかったからだ。利己的な考えがめぐりまわってピンチとなって返ってきた。
――どうすればいい?
瞬斗は考えた。マッソー兄さんの携帯電話は知らないし、ましてや兄さんがどこから屋台を曳いてきているかも知らなかった。なにしろ、この路地へ来れば必ず筋肉ラーメンは店を出していたのだから。
――かくなる上はアソコへ行ってみるか。
駅前のボディビル協会である。この街のボディビル協会のメンバーならばマッソー兄さんの情報を持っているかもしれないと、瞬斗は考えた。筋肉ラーメンが混んでいるときは、かならずといっていいほどガタイのいいボディビルダーたちに占拠されていたことを思い出したからだ。
瞬斗はボディビル協会へ向かって猛然とダッシュした。陸上部の脚力をフルに活かしてビルへ駆けつけてみると……ジムの窓という窓は真っ暗。ピタリと閉ざされた入口のドアには『本日休業』の札がぶら下がっているではないか。
――万事休す。
眼の前が真っ暗になることってホントにあるんだな、瞬斗はくらむ眼にそっと手を当てる。敗北感に打ちひしがれつつ家へ戻る彼の足どりは、スニーカーの靴底がすり減るほど重かった。
◇
陸上大会当日。
まだ瞬斗はあきらめ切れないでいた。とにかくラーメンを食べなければ、試合に勝てないからだ。彼は自宅を早めに出発すると、大会が行われる市民スタジアムではなく、いつもの屋台が店を開く路地へと足を向けた。もちろん、そこに筋肉ラーメンの屋台はない。
次に、昨日休業していたボディビル協会へ向かった。早朝からジムが開いているとは思えなかったが、当たってくだけろの精神である。
玄関のインターホンのボタンを押してみる。
瞬斗が振り返ると、はたしてそこにはヒゲ面のマッチョが立っている。路上に止めた軽ワゴンのドアを開けたまま、タンクトップからパツンパツンにバルクアップした筋肉質の両腕を組み、女性的なしなを作っている。「どちら様?」とオネエ言葉のマッチョはふたたび問う。
瞬斗が身振り手振りをまじえて筋肉ラーメンの話をすると、オネエのマッチョは二つ返事で「ああ、マッチャンね。いいわアタシが家まで送ってあげる」といって軽ワゴンに乗せてくれた。マッソー兄さんはボディビル仲間からマッチャンと呼ばれているようだ。
「でもいいんですか、自宅って個人情報でしょ」、瞬斗が心配する。
「大丈夫大丈夫、アンタはよく屋台で見かけるし、マッチャンはアンタを弟分みたいなものだっていってたから」
「弟分……ですか」、複雑な気持ちがした。
「さ、着いたわ」
マッソー兄さんの家は、昨日瞬斗が何度か探し回った通りの一角にあった。屋台はブロック塀の内側にすっぽり収納されていたため、目に留まらなかったのだ。
「瞬ちゃん、約束を破ってホント御免。オレ、こんな状態になっちゃってさ」
マッソー兄さんは松葉づえをつきながら玄関に現れた。彼の足は痛々しく白いギプスで固められている。なんでも酔って駅の階段を一番上から下まで派手に転げ落ちたのだそうだ。打ちどころが悪ければ死んでもおかしくないほどの落ち方だったそうだ。日ごろ鍛えていたおかげで足の骨折で済んだよ、と笑いながら説明する。
「そんなわけでラーメンは作れないんだ」、マッソー兄さんはいつもの語尾をつけることも忘れてしきりに恐縮した。
「でも、困るんです」
なおも瞬斗は食い下がった。ラーメンを食べなければ大会で勝つことはできないからだ。
「そうはいっても……なぁ」、マッソー兄さんとオネエが顔を見合わせる。
ラーメンの仕込みをまったくしていないから、ここでラーメンが出来上がるのを待っていては試合に間に合わない。とにかく寸胴鍋に湯を沸かさないことにはスープが作れないし、麺をゆでることもできない。その時間を作り出さないといけないのだそうだ。
「ここからスタジアムまで少なく見積もっても十キロはある。トクさんの軽ワゴンでオレの屋台を引っ張れないかな」
マッソー兄さんがオネエマッチョにいう。オネエはトクさんという名前のようだ。マッソー兄さんは彼のアイデアを説明した。車で屋台を曳きながらスタジアムへ向かう時間で湯を沸かす、走るワゴンの後部座席でマッソー兄さんが仕込みをする、それならギリギリ試合に間に合う、そんなプランだそうだ。兄さんはスプリンターミックスも作ってないし、と付け足した。
「だってアタシの車には牽引装置がないものー、ムリよ」
トクさんはブンブンと大きな手を振った。彼の手のひらで風が巻き起こる。
その風をまともに顔にあびながら、瞬斗が手を挙げた。
「俺が屋台をスタジアムまで曳いて走ります!」
「無茶だよ」「無茶だわ」、声をそろえる二人のボディビルダー。
「できます! 試合前のウォーミングアップを兼ねて」
「だってここから十キロ先よ?」、青ざめるトクさん。
「はい!」
「武士に二言はないな?」、マッソー兄さんが問う。
「はい。武士じゃないけど大丈夫です!」
瞬斗はニッコリ微笑んだ。屋台のラーメンがすべてを解決してくれる、彼はそう信じているからだ。
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