屋台ランナー
柴田 恭太朗
それは屋台のラーメンから始まった
高校からの帰り道。
駅から自宅へぶらぶらと歩く
それは陸上部の練習で、コーチが瞬斗にかけた言葉だ。
――短距離走に勝つ秘訣を知ってるかい?
一つめはスタートダッシュ。
二つめは加速の維持。
この二つしかない。
つまりカギは『筋肉』だ。
キミも補欠からレギュラーへ昇格したいだろ? 今後は下半身の筋肉をつけることに専念しなさい。
「わかっちゃいるんだけど、ウチは遺伝的に筋肉がつかない家系なんだよな」
瞬斗はひとりつぶやきながらスポーツバッグをグルグルと振り回す。生まれついての反射神経のおかげで、スタートダッシュだけはバッチリなのだ。だが、トップスピードに乗ってからの伸びがない、まったくといっていいほどない。その欠点が足を引っ張って、いつまでたっても彼はレギュラーの座を射止めることができなかった。コーチがいうように加速を支える筋肉さえあれば、この悩みは解決できるのにと瞬斗は思う。
県の陸上大会に出場すること、それが彼の悲願だ。それには筋肉をつけること、それ以外にない。筋肉のことを思うあまり彼の脳裏をアクチン、ミオシン、クレアチンなどという生物の授業で習ったばかりの言葉が駆けめぐる。要はそういった筋肉組織を体内で効率よく生成できればいいんじゃないか?
「なんつーか、こう、食べるだけで直接筋肉に変わるものがあればいいんだけど」
軽い夢想癖のある瞬斗のひとり言は止まらない。
「そこの少年!」
背後から大声で呼びかけられ、瞬斗はギョッとして振りかえった。
見れば、道端に屋台が止まっている。いわゆるリヤカータイプの人間が曳く屋台だ。見落としたのだろうか、彼が通ったときそこには存在しなかったように思える。屋台の軒からつるされ、風にそよぐ赤暖簾には『筋肉ラーメン』という太い白抜き文字。屋台の前では、なにやら筋肉ムキムキの兄さんが瞬斗に向って、おいでおいでをしているではないか。
「俺のこと呼びました?」
瞬斗は自分の鼻を指さす。
「そうキミだ、少年。ウチのラーメン食べていきなよ」
ボディビルでもやっているのだろうか、真っ黒に日焼けしたムキムキ兄さんのやたらと明るい笑顔、ニカっとむきだした白い歯がまぶしい。
なんだただの呼び込みか。瞬斗はため息をついてガックリと肩を落とした。無視を決めこんでいると、さらにムキムキ兄さんが陽気な声をかけてくる。
「キミは筋肉をつけたい。違うかい?」
――なぜそれを!?
どういうわけか、屋台の兄さんは瞬斗が気にしているポイントをズバリとついてきた。的を射た指摘にたじろぐ彼の気持ちへさらにゆさぶりをかけたのが、屋台からただよってくるスープの良い匂いだ。彼はハードな練習を終えてきた育ちざかりの高校生、空腹でないわけがない。いやむしろ死ぬほど腹がへっている。瞬斗はついフラフラと吸い寄せられるようにして赤暖簾をくぐり、屋台の椅子に腰をおろしてしまった。
屋台のメニューを見上げると、そこには「筋肉ラーメン」の札だけがぶら下がっている。
「ここのラーメン食べると筋肉がつくんですか?」
空腹と好奇心をおさえられない瞬斗が質問する。
「もちろんでマッソー」、店主は右腕をグッと直角に曲げ、上腕二頭筋で力コブを作ってみせた。
「マッソー? ああ、
変な語尾を使って印象に残す作戦か。痛いコメディアンみたいだなと、瞬斗は思った。現にムキムキで語尾がマッソーな兄さんの顔をよく見れば、なんとなくテレビで見る筋肉芸人に似てないこともない。
さっそく瞬斗は筋肉ラーメンを注文した。マッソー兄さんは怪しさでいっぱいだったが、なんとも食欲を刺激する香りをただよわせるスープに負けたのだ。これ、絶対おいしい
マッソー兄さんは予想以上にあざやかな手さばきで筋肉ラーメンを作ると、ドンブリを瞬斗の前に置いた。
「お待ち、筋肉ラーメンでマッソー」
筋肉ラーメンは豚骨ベースのスープに細麺とチャーシュー、それに新鮮な刻みネギが乗っている。いわゆる博多ラーメンのようだ。屋台の狭いテーブルの上には紅ショウガにゴマ、辛子高菜といったおなじみのトッピングの他に、ラベルが貼られたガラスの小瓶がズラリと並んでいた。
「強化したい筋肉を選んで、お好みでふりかけてくれマッソー」
ムキムキな店主はそのガラス瓶を指した。ラベルを見ると『バイセプス』『トライセプス』といった具合に筋肉の名前が書かれている。小瓶ごとに効果がある部位が異なるのだろうか。ひょっとするとアヤシイ薬だったりして? 瞬斗は不安になった。
「あのー、俺、高校で陸上やってるんです。だからドーピングとか御法度で。このラーメン食べても、そのヘン大丈夫ですかね」
「あったりまえでマッソー。ウチのラーメンは天然素材200%マッソー」
数字盛りすぎ。余分な100%はどこへ行った? 瞬斗は心の中でツッコミを入れた。
目の前にだされたラーメンの湯気をたてる白スープ、ほどよく色づいたチャーシューは見るからに味がしみ込んでいて旨そうである。食欲をダイレクトに刺激する筋肉ラーメンのビジュアルは、彼の警戒心を解きほぐすのに充分だった。
――ええい、ままよ。とりあえず味わってから考えよう。
割りばしを開くのももどかしく、瞬斗はラーメンをすすりあげる。
――うまい!
こんな美味しいラーメンは食べたことがない。むさぼるように二口、三口とすする。
「お客さん、筋肉の粉を忘れてマッソー」
「そうだった、俺、短距離ランナーなんすけど、どれが効きますか?」
ガラスの小瓶には筋肉の部位が書いてあるけれど、瞬斗は陸上部、医者じゃないのだから筋肉の名前を把握しているわけじゃない。
「それならね、このスプリンターミックスをおすすめしマッソー」
マッソー兄さんは右端の小瓶を示した。黄色いフタがついているヤツだ。なるほど、競技によって使われる筋肉群は異なる。目的の競技に合わせた粉末をあらかじめ配合してあるのだろう。理にかなっているではないか。瞬斗は納得して、スプリンターミックスを取り、ラーメンに振りかけた。一見、グルタミン酸ナトリウムのようななんの変哲もない白い粉が麺の上にパラパラと落ち、淡雪のように溶けていった。
「これ何の粉なんですか?」
「原料はヒミツ。だけど天然素材300%のかけらから作った粉だから安心してくれマッソー」
さっきより数字が増えてるじゃん。うさん臭さ倍増だぜ、などと思いながらも瞬斗が持つ割りばしの動きは止まらない。スプリンターミックスをかけたラーメンが、先ほどよりグッとうま味を増したからだ。あっという間に完食する。スープも迷わず飲み干した。
「ごちそうさまっ」
瞬斗は勢いよくラーメンドンブリを置いた。気のせいか身体中にエネルギーが満ち満ちている感じがする。とりわけ大腿四頭筋から大臀筋にかけて、スプリンターの命ともいえる筋肉群がほてって熱い。瞳の奥ではスポーツマンガの主人公のように、炎がメラメラと燃えさかっているかもしれない。
「どういたしマッソー」
マッソー兄さんは体の両脇で腕を<>型にガシッと広げ、ムキムキなボディビルポーズを決めた。カッコいい、日焼けした顔に白い歯が似合うじゃないか。ラーメンの旨さはマッソー兄さんの好感度を爆上げしていた。
屋台の『筋肉ラーメン』との出会い。
それがこれから瞬斗の身に起こる出来事の幕明けであった。
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