悪役令嬢オリヴィアを救うために 天の声が『あなたはマッチョになるか死ぬかです』とささやきかけてくるので、マッチョになることにしました
稲荷竜
━━聞こえますか、オリヴィア・ペスカトーレ?
オリヴィア・ペスカトーレはナポリタン王国の公爵令嬢であり、王太子であるパラス・ナポリタンとの結婚が決まっている十五歳の少女だ。
公爵令嬢なので『わたくしの部屋に不審者が!? 番兵や使用人は何をしていますの!?』と反射的にキレそうになったが、公爵令嬢なので思いとどまった。公爵令嬢は〝COOL〟でなければいけない。
「……何者ですの?」
━━うわ……声やば……かわいい……推せる……
「何者ですの!?」
周囲を見回しても誰もいないのに声はすぐ近くから聞こえてくる。
というか脳内から。
オリヴィアの中に『自分の頭がおかしくなった』と『隠れ潜んだ何者かがいる』という二つの選択肢がよぎり、しかしその二つはあんまり採用したくないな……と思っていたところ、もう一つ選択肢が浮かんだ。
「まさか、あなたは……『女神様』ですの?」
この国には聖女というものが出現すると言われており、それは神の声を聞き国家を正しい方向に導くことができるのだという。
オリヴィアは自分が聖女に選ばれた可能性を採用した。それは公爵令嬢にふさわしいと思ったからだ。
しかし女神(暫定)は語る。
━━まことに残念ながら、あなたは聖女ではありません。それどころか、聖女に婚約者を寝取られる側です……
「なんですって!?」
女神(暫定)の声が語るには、これから聖女は王子様と運命的な出会いを果たし、どんどん二人の恋は燃え上がっていく……
オリヴィアはそれを邪魔しようと聖女に嫌がらせを繰り返し、いろいろあって魔王として殺されることになるという。
何がどうして自分が魔王になるかは不明な点が多いのだが、『あなたが聖女にする嫌がらせ一覧』を提示されて、『うわ……わたくし……やりそう……』と思わず口をおさえて納得してしまったため、女神(違う)の声にある程度の信憑性を認めるしかなかった。
だが、この声はオリヴィアに救いを用意しているという。
━━オリヴィアたんは私の推し……不幸な目には遭ってほしくない……よって、あなたが不幸にならないよう、私があなたを導きましょう……
「助かりますわ。どうにかして聖女とかいう泥棒猫を排除して、パラス王子には正しい相手と婚約し、国を導いていただかなければ……」
━━パラス王子はあなたという婚約者がいるのに他の女に目移りするクズなのでおすすめしません……
「……たしかに」
━━私はあなたがあのクソ王子から離れ、一人で生きていく方法を教えたくてたまらず、こうして思念を飛ばしているのです。
「その方法とは……」
━━筋トレです……
「は?」
━━オリヴィア・ペスカトーレ。筋肉を鍛えるのです。あなたの行く末があまりにも不幸なので、あなたを幸福にするため、有志たちがスレで議論を重ねました。そうして『オリヴィアたんを幸せにする方法』としてもっとも多くの支持を得たのが、『マッチョリヴィア化』なのです……
「え、いえ、しかし、その……」
━━身につけるのです。筋肉を……私があなたの筋トレを指導します。
「ですが……」
━━あなたの未来は、『マッチョ』か『不幸』です。
イヤに説得力を感じる断言だった。
オリヴィアはなんやかんやと押し切られて、マッチョ化を進めることになってしまった。
◆
「おっ、お嬢様、何をなさっているのですかっ!?」
「生きるための努力ですわ……」
執事や家人、家族たちをおどろかせながら、オリヴィアは『声』に従って筋トレを始めた。
貴族令嬢がおうちで筋トレをするのは『異常行動』に分類される。
この中世ヨーロッパふう世界にも筋トレの概念はないでもないが、それは騎士しかやらないようなものだった。
また、『自重トレーニング』というのは少なく、鎧を着ての梯子の登り降りだとか、鎧を着てのランニングだとか、重さを増した武器を振っての型稽古だとか、とにかくトレーニングには『鎧』か『武器』が必要になる。
なので自重スクワットや腕立てをするオリヴィアは家人から奇異な目で見られた。
しかしオリヴィアの家族はオリヴィアを愛していた。
唐突に異常行動(貴族令嬢は筋トレをしない)を繰り返すオリヴィアと親子面談をし、その口から『わたくしの将来のためにマッチョになれとある日脳内に響いた声に言われまして』という言い分を笑顔で聞き入れた。
両親は優しい顔でオリヴィアに言った。
「修道院に行こう」
この時代、修道院送りは『家からの追放』を意味する。
そりゃそうだなと思ったのでオリヴィアは「わかりました」と承諾した。
かつてのオリヴィアであれば絶対に承諾しなかった。喚き散らして、怒鳴って、公爵令嬢でなくなるぐらいなら死を選ぶとまで言っただろう。
だが……
筋肉が、『家』以上のよりどころとなっていたオリヴィアは、家からの追放を大したことだと感じられなくなっていた。
家からは追放される。ドレスも宝石ももう身につけられないかもしれない。修道院暮らしは地味で質素だという。社交界にも行けないし、夜会でひとびとの注目を浴びたりという楽しみは金輪際ないかもしれない。
でも、筋肉は、オリヴィアがどこに行こうがついてくる。
オリヴィアはすでに『家』や『名声』などではない新しいよりどころを見つけていたのだ。
それは『筋肉』。
この身に宿る神であった。
◆
修道院にたどりついたオリヴィアは『元公爵令嬢』ということでいびられたのだが、自分に絡んで来た先輩修道女を見て愕然としてしまい、彼女らのいびりもうまく耳に入らないほどだった。
なぜなら……
「みなさま……もしかしてカッペリーニの精霊でいらっしゃいますの???」
カッペリーニとは━━細いパスタである。
スープなどのゆるめのソースによくからむタイプのパスタであり、茹で時間も短く、半分に折ったあとめんつゆを割った出汁で茹でて最後にシーチキンでもかけたら限界男飯にもできる代物だ。
オリヴィアは愕然とした。この骨と皮だけの修道女たちはいったいなんだ? 擬人化されたハリガネ? あるいは痩せた畑でとれた卑猥な形状のにんじん?
まさか━━人?
オリヴィアは涙した。筋肉を鍛えてから、我が身の肉が張っていく喜びに目覚めていた彼女は、肉の悦びと明らかに無縁な修道女たちを見て悲しさと憐れみで落涙したのであった。
栄養状態もよくないだろうが、何より鍛錬も足りていない。
鍛錬が足りていないと人はマイナス思考になり、言動はトゲトゲしく攻撃的になっていき、自分自身にも自信を持てず、他者を根拠もなく見下すことでしか快楽を得られない現代社会が生み出した悲しきモンスターになってしまう。
「肉神さま……わたくしは、あなたの下さった真の使命に気付きましたわ」
目の前でわめく
「わたくしは……この修道院を肉の楽園にいたします」
肉神様は「オリヴィアたんが嬉しそう! よかった!」と反応してくれた。
推しが元気に生きているのは何者にも代え難い幸福なのだ。
◆
一年後━━
修道院は肉の要塞となった。
修道女たちは日夜トレーニングをするようになり、オリヴィアの実家からの支援で食事にはタンパク質を多く含むメニューもくわわった。
また、オリヴィアの実家の領地にはオリーブやレモンなどが実るので、それも送ってもらう。
するとどうなるか?
トレーニングは正しく人々の筋肉を育てあげ、肌にはオリーブやレモンの栄養でハリとツヤが出た。
また肉神様は『マッチョリヴィア計画』を立てていたものの、自重トレーニングを一年や二年続けた程度でアスキーアートみたいな僧帽筋の盛り上がったマッチョにはなれず、外見は『なんか姿勢がいいな?』ぐらいの変化に留まる。
結果としてオリヴィアの修道院は美しい修道女たちがたくさんいる楽園のような施設と噂されるようになり、幾人かの修道女が嫁入りのために院を出て行くことになった。
彼女らはオリヴィアと離れたがらず院に残ると言ったが、その女性たちにオリヴィアはこう告げた。
「肉の幸福を、外の方々にも教えてあげてください」
「
かくしてオリヴィアは国家に筋肉をもたらし、魔王は筋肉の圧力で粉砕された。
修道院に入る時に王子との婚約はとっくに解消されていたので、風の噂で王子が聖女と結婚したとかいう話も聞かされたが、マジでどうでもよかった。
オリヴィアは高貴な相手と結婚することを『自分の幸せ』と定めていた時期もあったが、筋肉を鍛えた今、それ以外にも……もちろん筋トレ以外にも……さまざまな幸せがこの世にあることを確信していた。
公爵家に戻れと言われたり、オリヴィアの美貌を求めて結婚を申し込む貴族などもいたのだが、それら要求に対し、オリヴィアはこう答えた。
「わたくしを俗世に戻したくば、筋力を見せつけなさい」
いつしかオリヴィアへ求婚する者たちのあいだで筋力を見せつける祭典が行われるようなり、それは『オリンヴィック』という名前となって伝統と化した。
数百年の時が流れてオリヴィアの名前は数々の記録と修道院名に残るのみとなったが、その祭典は今もなお続き、人々を熱狂させているという。
オリヴィアのいた修道院に来た修道女や観光客たちは、院に備え付けられたトレーニングルームで、今もスクワットをする見目麗しい少女の姿を見ることがある。
それが肉神に信仰を捧げたオリヴィアの霊なのか、それとも院の優れたトレーニング施設に忍び込んで無断トレーニングをする筋肉不審者なのかは、現在、警察が調査中であった━━
悪役令嬢オリヴィアを救うために 天の声が『あなたはマッチョになるか死ぬかです』とささやきかけてくるので、マッチョになることにしました 稲荷竜 @Ryu_Inari
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