【KAC20235】―①『筋肉に屈した女とうつに屈した筋肉男』

小田舵木

『筋肉に屈した女とうつに屈した筋肉男』


 

」幼馴染はのたまい。

「んな訳ないでしょうが」私は突っ込む。

 

 執拗しつように腕立てを行う彼には。脳の神経のシナプス―ニューロンとニューロンの間隙かんげき―の機能異常いじょうに伴う精神病、すなわという診断が下っており。

 

「君は…オーケー?」と私は再確認を取り。

「俺が弱かった…からだっ」と体を上下させながら言う彼。

「メンタルを筋繊維せんいと同じように考えてるなら。相当滑稽こっけい」嫌味にならざるをず。

「何が…違うと…言うんだっ」淡々と腕立てをこなす様にはメタファー暗喩があり。

「少なくとも。今、君が呑気のんきに筋トレ出来てるのは薬のおかげだよ」一ヶ月前までは寝たきりだった。

「薬というプロテインでっ…強くなったのだ…」なんて彼は言うけれど。

「違う。神経伝達物質しんけいでんたつぶっしつさい取り込みの阻害をしてるからだよ」私はコイツが心配のあまり、事を調べ尽くした。

「意味が…分からんっ」と黙々と彼。

「私だって素人に毛が生えた程度の理解しかしてないさ。でもこれ、

「俺がもっと強くなれば…もうあんなざまには…」頭の上下に乱れが混じりだし。

「そういうマッチョイズム筋肉至上主義とらわれる限り―君は治らない。断言する」私はコイツを見てきたから分かるのだ。

 

 

                   ◆

 

 武田たけだつよし。冗談みたいな名前で産まれた彼は私の幼馴染で。

 昔から筋肉をいじめ抜くような事が好きなであり、スポーツマンであった。

 体を動かしてないと死ぬ。そういう回遊魚かいゆうぎょめいた生態をした彼は落着きがないとも形容できる。

 しかしまあ。小中高大しょうちゅうこうだい…学校生活ではさしたる問題は抱えなかった。

 有り余る筋力をぶつける先があったからだ。

 問題は。

 

 小まともな企業に体育会系わくで入ったのは良いが。

 その仕事は彼の筋力を必要とする場面が少なかったのだ。

 営業なので客先や倉庫で体を動かすことはあったが、剛の筋肉はさらなる負荷を求めており。

 フラストレーションが溜まったらしい。

 いや…

 

 剛の悪い癖は―だ。手を抜くと言うことを知らないのだ。

 日本の部活ブカツと呼ばれる、あのには様々な問題点がある。

 その中でも剛に害を与えてるものは『上の言うことは絶対』。

 剛は上から言われたことをかなり愚直ぐちょくにこなす。と言うより、こなす。

「おう、武田。お前もっと筋力増やせ」なんて上から言われれば。

 剛は2週間でこなしきるだろう。なのだ。話を割り引くという事を知らない。


 文化系一匹狼いっぴきおおかみで青春をこなしてきた私には正直しょうじき理解不能だ。

 

 と。今まで言ってきたような事がさわり、アイツは仕事に対して素直を超えた愚直さで臨み。

 

 …アイツ陸上やってたからな。チームプレイという概念もない。

 ひたすら個人で社会という大きな敵に向かっていき。

 見事みごと爆砕してしまったのだ。

 

 

                    ◆

 

 さて。ここで語り手の私の自己紹介でもしておくか。

 私は武田たけだつよしの幼馴染。

 文化系一匹狼いっぴきおおかみこと…三宅みやけ緒花おばなだ。

 を送ってきたのが私で。

 ハタから高カロリーな生き方してんなあ、と見物してきたクチである。

 ちなみに。私達の関係にロマンスはない。と、言うか

 なんでかって?私の好みは耽美たんびな細身なイケメンだからだよ。おおよそ剛の対極にある存在であり。

 

 それでもまあ。縁は続いた…と言うか続かざるを得なかった。

 ウチの親と剛の親は仲が良いのだ。しかも家も阿呆アホみたいに近所であり。

「あ〜ら。緒花ちゃん。元気ぃ?」なんて、剛のおばさんに朝の挨拶を毎度かまされ。

「おはようございます。たけし元気です?」なんて世間話を振るしかなく。

 

「今度、砲丸投げで大きな大会出るのよお」

「今、女の子と付き合っているんだって」

「…会社でね。頑張ってるみたい」

「最近…寝付き悪そうで」

「…会社、休職してるのよ」

 

 かくして。私は彼の窮状きゅうじょうを知った訳であり。


「ねえ。緒花ちゃん」ある日おばさんは言い。

「どうしました?」会社の帰り道。夕暮れ迫る我が家の前。

「…剛に会ってくれないかしら」

「えっと…?」急な話である。休職していると聞いていたが。

「最近、私や夫とも話してくれなくてね」おばさんは眉間に手をやりながら言い。

「それで私が?もう数年は会ってもないし、口もきいてない」

「昔は仲良かったじゃない?」

ですねえ。大学入ってからはアイツに女が出来ましたから」私とは対極にあるアマゾネス体育会系女子みたいな女と付き合っていたような。

「そこら辺は置いといて」

「友達として。幼馴染として会ってやれと?」正直しょうじき気が進まない。

「そう!今の剛には他人が必要だと思うのね」

「…お役に立てるでしょうか?」消極的な拒否を出してみて。

「立たなくて良いからっ!一生のお願い」おばさんは私に向かって手を合わせ。

「そこまで言われると…断れませんよ」負けた。ここまで必死になられたら折れるしかない。親の手前というのもあるが。

「んじゃあ頼んだわよ!」とおばさんは顔を輝かせて言い、家へと去っていった。

 

                ◆

 

 後日。数年ぶりに上がる剛の家は変わってなかった。妙に見覚えのある間取り。あるしゅ祖父母の家に上がり込むかのような感覚。

 一戸建ての2階の奥に剛の部屋はあり。

 そこは封印されたかのように閉ざされており。

たけし?久しぶり…緒花おばなだよ。覚えてる?」と問いかければ。

 返事はなく。

 私の隣に居るおばさんに「これ無理じゃないすか?」と耳打ちをすれど。おばさんは何かを期待する目で私を

「あのアンタがこもりっきりってのはギャグよね」と変化球を投げ込む。

 返事はない。

 隣のおばさんの肩を小突いて「無理っす」と言うが。おばさんはなおも首を縦に振らず。

土産みやげにプロテインを持ってきてやった」これは嘘ではない。

 

 扉が…開いた。

 

「現金なやつ」とか言いながら入った部屋。そこにはゴミが雑然としており。

「…」部屋の隅のベッドに小さくなった剛がおり。

「とりあえず生きてますかぁ?」なんて冗談めかして彼の目の前で手をヒラヒラさせてみれば…まったく反応がない。

「…喋るのしんどいのにゴメン」と私は言い。「悪いけど勝手に片付けるよ」脚元のゴミを拾いはじめ。

「後で…自分でやれます」とかすれた声がした。

「ホント?」と私は顔を覗きこみ問うのだが。目を合わせようとしない彼が居て。

「悪いけどさ」私は言う。「片付けでもしないと」病人に言うことじゃないけど。

「…勝手にしろ」掠れた声だが了承を取り。

 

 積み上がった生活ゴミ。

 それを片付けるのは遺跡発掘はっくつに似る。

 何故か?それは部屋の主の時間をさかのぼる事になるからである。

 最初の層には最近のゴミ…酒の空き缶、コンビニ食品の包装、会社から送られてきた傷病手当金しょうびょうてあてきんの手続きの書類などがあり。

 次の層には働いていた頃の客先の手製てせい分析資料や、プレゼン用のメモなんかが転がっており。

 こいつも曲がりなりにサラリーマンやってたんだな、と思う。

「会社の資料を家に持ち込むなよ」なんて私は突っ込み。

「…機密はってない」彼がこたえる。

「応えれるなら手伝ってくれい」なんて言ってみるが。そこには返事をしてくれない。

 しかし、この歳で他人な男の世話を焼くハメになろうとは。いや幼馴染おさななじみだが。

 

                   ◆

 あらかた脚元のゴミを処理した私は掃除機を借りに1階に降り。

 リビングでおばさんと会い。

「あの子―喋った?」

。とりあえず片付けしてますから」と経過報告。

「あら。ゴメンね」済まなそうに彼女は言い。

「じゃないと間がちませんでしたから」言い訳だな。

「流石にキツイよねえ。おばさん無理言ったよね、ゴメン」頭を下げあやまるおばさんは少し痛々しく。

「謝らないで下さい…ああ。そう言えば」

「どうしたの?」 

「彼、病院行ってますよね?」

「それがね…

傷病手当金しょうびょうてあてきんの書類ありましたけど」要するに診断書しんだんしょは貰ってるはずで。そこでが下ったはずであり。

「どうしてです?傷病手当金と休職には継続的な通院が要りますよね、確か?」会社の事務がそんな話をしてたと思うのだが。

「なんかね、診断がショックだったみたいで」言いにくそうに言うおばさん。

病識びょうしき欠如けつじょ。ありがちな話ではありますが」うつなんかの精神疾患しっかんの場合、それを認めない者も一定数いるのだ。

「…正直。あの子がうつだなんて、私にも理解できない」おばさんは心の底から思っているようだ。

「案外な病気ですよ」人事の知り合いのボヤキの中心点だから聞き飽きてさえいる。

 

                   ◆

 

 たけしの部屋に戻れば。彼はベッドの上で丸まって横になっており。

 それを傍目はために私は掃除機をかけて。

 床に落ちたほこりを綺麗にいていく。

 それがある種の暗示になれば良いのだが。いや、暗示するのではダメか?もっと直接的になるべきか?

 

「ねえ、剛。何で病院行ってないのさ」思い切って聞いて。

「…なんて認めたく無いだろ」かすれた返事。

「認めたくはないよね。でもアンタはこのままだと一生そうしてるハメになるかもよ?」

「…」黙り込む剛。

「さっさとケリをつけるべきじゃない?」まどろっこしいのだ。この筋肉ゴリラにしては。

 またもや返事はない。それなら―さっき見つけた財布を私は探し。

 その中のカード入れを漁れば…あった心療内科の診察券。近所だな。

「今から私、車まわすから」宣言。有無は言わせん。

「…は?」驚く剛。

「それまでにシャワー浴びて、着替えときなさい」

「病院にむつもりか?」

「休職つづけるにも診断書るし、ね」

「…分かった」こういう時だから素直に聞いてくれたにせよ…これで良し。

 

 

                   ◆

 

 こうして。

 私はたけしを心療内科に放り込み。剛は数週間すうしゅうかん病院をすっぽかしたことをなじられ。

 改めて診察され、薬を処方され―

 序盤に戻るわけだ。

 

「んな訳ないでしょうが」

 

 こういうのは押し問答になりがちだが。私が正しく。剛は間違っている。

 心は筋肉みたいに超巨大分子ぶんしで構成されるような単純なものではなく。

 多くの神経細胞の組み合わせ、それが構成するモジュール機能の組み合わせというカオスから産まれるであり。

 

 もう少し工夫してトレーニングしないと元の木阿弥もくあみになるのは必定ひつじょうで。

 どうやってそれを理解させるべきなのか。

 そもそも『筋肉が全てを解決する』という

 

                  ◆

 

「心は現象です。物質ではありません」バーベルを上げ下げする彼に語りかける。

「脳みそが…心だろうが」息えにこたえるたけし

「その中の多くの機能モジュールの組み合わせが心だと言っているワケ

「機能の元は…脳みそだ」唯物論ゆいぶつろんひたりきっている筋肉男。

「だからたけしは脳は鍛えられるイコール

「その通り。。それがあれば社会なんて、うつなんて怖くない」

「その考えは酷く傲慢ごうまんなの分からない?」社会には自分の力だけでは何ともならない局面が多々あり。

「分から…んな!」否定に力を入れるんじゃない。

「剛は個人競技の中で生きてきたし、その中で結果を残してきたから、そう思いたいのは分かるつもり」

「だろう?筋肉という俺を強くし、世間を渡る強さになる…のだ」

「君ひとりで社会もうつもねじ伏せられない」宣告。予言。提言。呪い。

「何故だっ…っ!」

思い込みってやつなのよ」

「お前に取ってそうであっても、俺にとっては…違う」

「そのままひっくり返すわね、認めなさい。のよ」

「それは認められんな」

「社会人にもなって、甘ったれた事言わないでよ」

「俺は独りで戦える男なのだ」

「それは…疲れていただけだ」苦しい言い訳が出てきたココが突きドコロであり。

「そうかも知れないね。でもさ。今後も疲れる局面は出ると思うわけ」

「そうならない為に鍛えて―」

「あのさあ。?」なじる。先程から感じていた事だ。

「…スマン」謝らないで。意味ないから。

「鍛えたって鍛えたって…持久力には、そのとき剛は立ち止まらなきゃいけない」

「…かもな」不承ぶしょうそうに認めないで。

「独りだと…まあ潰れるけど。そういう時の為に協力という言葉があり」

?」

「…そりゃね。恥ずかしくはあるさ」

「俺はそれが嫌―」

「いい加減にしなよ!」私は柄になく叫んでおり。剛は目を点にしており。

 

 ああ。もう。疲れた。

 ぬかに釘を打つのは止める。

 もう金輪際コイツとは関わらない!

 私は彼の部屋を後にし、さっさと玄関に向かい、そのまま出、家に帰るのも嫌になり、道を河原に向かって進んでいく。


                  ◆

 

 流れる水は存在と時を未来に押し流していく。

 それは力の象徴のようにも思え。それが今は憎たらしく。


「何が『』よ」と水に向かってつぶやけど。それもまた川の水に押し流され。

 ああ。虚しくなってきたぞ?

 大体、?それが全く分からない。

 私の好みは―細身の耽美たんびな男の子であり、決してあのようなむさ苦しいテストステロン男性ホルモンの塊などでは無いはずで。

 …幼馴染で放っとけ無いから?いや、それはお題目だいもくというヤツでは?

 おばさんに頼まれてしまったから?それは事の始まりでしかなく。

 

 認めなくてはならないらしい。

 私は―

 何でだろうね?ああ。畜生。

 

 …多分。独りで大きなモノに向かっていくその気概きがいかれたのだ。

 私にはない闘争心を彼に見て。私の魂は震えたんだ。

 それがどれだけ虚しいモノであっても、否定せざるを得なくても。


 このまま。彼が野にしたままにする訳にはいかないのに。

 彼は私の手を取ろうとしてなくて。

 それが死ぬほど悔しくて。

 拗ねて…ここに至った…ああ。ほどいてみれば簡単な事なのに。

 何でこうもかなあ。


                  ◆


緒花おばなぁああああ」聞こえてきたけど幻聴じゃないか?コレ?

「んな甲斐性かいしょうがアイツにある訳ないない…」私は水面みなもにそう言って。

「なんかよく分からんがごめぇぇぇぇん!!」阿呆アホが居るぞ、この街に。

「分からんなら謝るな」水面は静かに私の言葉を受けとめ―

「スマン!!」頭の後ろから声が聞こえ。

「とりあえず謝るのも体育会系しきで腹が立つ」振り向きながら言えば。そこにはそと行きのジャージの筋肉男がおり。

「…申し訳ありません?」いや、謝りの形式を問うてる訳ではなく。

「何の用?」あっさりとした口調で問えば。

「お前が言うこと…!!」気持ちの良い否定をどうも。

「それを態々わざわざ言いにきたなら趣味が悪い」

「だがっ!俺は更に強くなるために!お前の力を借りたい。スマン!!」

「こんな元気の良い救難きゅうなん信号は初めてだよ」あきれちゃうんだけど。

「俺には思慮はないが…空元気からげんきはある!まだ本調子じゃないからな」うつの治療中だからしかたないよね。

「…ああ、もう。分かったよ、分かった。君の筋肉に力を貸すよ」なんて私は言ってしまっており。

「感謝するっ!じゃあ帰るぞ、母ちゃんがメシ作ったらしいから、来てくれ」ニコニコしながら言う剛。

「へいへい…」不承ぶしょうそうに返事をする私。

 

 こうして。

 さらば。耽美たんび青年。私はよ。



                 ◆


」幼馴染はのたまい。

「そうかも知れない」私は受け入れて。


「…いや、このテーゼは間違いだ」と剛は言う。

「どうした筋肉教徒きょうと」と私は突っ込み。


緒花おばな!!」そう高らかにうたい上げる彼は。その手に小さな箱をたずさえており。

「なんだい?もしかして―」

!これが―誓いの証だ」大きな手で小さな箱を開け。

「もう。ひとりで無理しないでね?」これが私のプロポーズの受諾じゅだくの言葉だ。


                  ◆

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【KAC20235】―①『筋肉に屈した女とうつに屈した筋肉男』 小田舵木 @odakajiki

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