【KAC20235】―①『筋肉に屈した女とうつに屈した筋肉男』
小田舵木
『筋肉に屈した女とうつに屈した筋肉男』
「筋肉が全てを解決する」幼馴染は
「んな訳ないでしょうが」私は突っ込む。
「君はオーバーワークの末にメンタルをぶち壊した…オーケー?」と私は再確認を取り。
「俺が弱かった…からだっ」と体を上下させながら言う彼。
「メンタルを筋
「何が…違うと…言うんだっ」淡々と腕立てをこなす様には
「少なくとも。今、君が
「薬というプロテインでっ…強くなったのだ…」なんて彼は言うけれど。
「違う。
「意味が…分からんっ」と黙々と何かを取り戻そうとする彼。
「私だって素人に毛が生えた程度の理解しかしてないさ。でもこれ、単純な強い弱いの話じゃない」
「俺がもっと強くなれば…もうあんな
「そういう
◆
昔から筋肉を
体を動かしてないと死ぬ。そういう
しかしまあ。
有り余る筋力をぶつける先があったからだ。
問題は。
社会人になってからである。
小まともな企業に体育会系
その仕事は彼の筋力を必要とする場面が少なかったのだ。
営業なので客先や倉庫で体を動かすことはあったが、剛の筋肉はさらなる負荷を求めており。
フラストレーションが溜まったらしい。
いや…それだけが原因ではない。もちろん。
剛の悪い癖は―とにかく頑張り過ぎてしまうことだ。手を抜くと言うことを知らないのだ。
日本の
その中でも最も剛に害を与えてるものは『上の言うことは絶対』。
剛は上から言われたことをかなり
「おう、武田。お前もっと筋力増やせ」なんて上から言われれば。
剛は2週間でこなしきるだろう。そういうやつなのだ。話を割り引くという事を知らない。
文化系
と。今まで言ってきたような事が
完全に自分の器を越える仕事量を引き受け。周りに頼るような事もしなかった。
…アイツ陸上やってたからな。チームプレイという概念もない。
ひたすら個人で社会という大きな敵に向かっていき。
◆
さて。ここで語り手の私の自己紹介でもしておくか。
私は
文化系
剛と対になるような人生を送ってきたのが私で。
ちなみに。私達の関係にロマンスはない。と、言うかあってたまるか。
なんでかって?私の好みは
それでもまあ。縁は続いた…と言うか続かざるを得なかった。
ウチの親と剛の親は死ぬほど仲が良いのだ。しかも家も
「あ〜ら。緒花ちゃん。元気ぃ?」なんて、剛のおばさんに朝の挨拶を毎度かまされ。
「おはようございます。
「今度、砲丸投げで大きな大会出るのよお」
「今、女の子と付き合っているんだって」
「…会社でね。頑張ってるみたい」
「最近…寝付き悪そうで」
「…会社、休職してるのよ」
かくして。私は彼の
「ねえ。緒花ちゃん」ある日おばさんは言い。
「どうしました?」会社の帰り道。夕暮れ迫る我が家の前。
「…剛に会ってくれないかしら」
「えっと…?」急な話である。休職していると聞いていたが。
「最近、私や夫とも話してくれなくてね」おばさんは眉間に手をやりながら言い。
「それで私が?もう数年は会ってもないし、口もきいてない」近くにありながら最も遠い他人になっていた。
「昔は仲良かったじゃない?」
「高校までですねえ。大学入ってからはアイツに女が出来ましたから」私とは対極にある
「そこら辺は置いといて」
「友達として。幼馴染として会ってやれと?」
「そう!今の剛には他人が必要だと思うのね」
「…お役に立てるでしょうか?」消極的な拒否を出してみて。
「立たなくて良いからっ!一生のお願い」おばさんは私に向かって手を合わせ。
「そこまで言われると…断れませんよ」負けた。ここまで必死になられたら折れるしかない。親の手前というのもあるが。
「んじゃあ頼んだわよ!」とおばさんは顔を輝かせて言い、家へと去っていった。
◆
後日。数年ぶりに上がる剛の家は変わってなかった。妙に見覚えのある間取り。ある
一戸建ての2階の奥に剛の部屋はあり。
そこは封印されたかのように閉ざされており。
「
返事はなく。
私の隣に居るおばさんに「これ無理じゃないすか?」と耳打ちをすれど。おばさんは何かを期待する目で私を
「あのアンタがこもりっきりってのはギャグよね」と変化球を投げ込む。
返事はない。
隣のおばさんの肩を小突いて「無理っす」と言うが。おばさんは
「
扉が…開いた。
「現金なやつ」とか言いながら入った部屋。そこにはゴミが雑然としており。
「…」部屋の隅のベッドに小さくなった剛がおり。
「とりあえず生きてますかぁ?」なんて冗談めかして彼の目の前で手をヒラヒラさせてみれば…まったく反応がない。
「…喋るのしんどいのにゴメン」と私は言い。「悪いけど勝手に片付けるよ」脚元のゴミを拾いはじめ。
「後で…自分でやれます」と
「ホント?」と私は顔を覗きこみ問うのだが。目を合わせようとしない彼が居て。
「悪いけどさ」私は言う。「片付けでもしないと間が保たない」病人に言うことじゃないけど。
「…勝手にしろ」掠れた声だが了承を取り。
積み上がった生活ゴミ。
それを片付けるのは遺跡
何故か?それは部屋の主の時間を
最初の層には最近のゴミ…酒の空き缶、コンビニ食品の包装、会社から送られてきた
次の層には働いていた頃の客先の
こいつも曲がりなりにサラリーマンやってたんだな、と思う。
「会社の資料を家に持ち込むなよ」なんて私は突っ込み。
「…機密は
「応えれるなら手伝ってくれい」なんて言ってみるが。そこには返事をしてくれない。
しかし、この歳で他人な男の世話を焼くハメになろうとは。いや
◆
あらかた脚元のゴミを処理した私は掃除機を借りに1階に降り。
リビングでおばさんと会い。
「あの子―喋った?」
「一応。とりあえず片付けしてますから」と経過報告。
「あら。ゴメンね」済まなそうに彼女は言い。
「じゃないと間が
「流石にキツイよねえ。おばさん無理言ったよね、ゴメン」頭を下げ
「謝らないで下さい…ああ。そう言えば」
「どうしたの?」
「彼、病院行ってますよね?」
「それがね…行ってない」
「
「どうしてです?傷病手当金と休職には継続的な通院が要りますよね、確か?」会社の事務がそんな話をしてたと思うのだが。
「なんかね、診断がショックだったみたいで」言いにくそうに言うおばさん。
「
「…正直。あの子がうつだなんて、私にも理解できない」おばさんは心の底から思っているようだ。
「案外ありがちな病気ですよ」人事の知り合いのボヤキの中心点だから聞き飽きてさえいる。
◆
それを
床に落ちた
それがある種の暗示になれば良いのだが。いや、暗示するのではダメか?もっと直接的になるべきか?
「ねえ、剛。何で病院行ってないのさ」思い切って聞いて。
「…頭がおかしいなんて認めたく無いだろ」
「認めたくはないよね。でもアンタはこのままだと一生そうしてるハメになるかもよ?」
「…」黙り込む剛。
「さっさとケリをつけるべきじゃない?」まどろっこしいのだ。この筋肉ゴリラにしては。
またもや返事はない。それなら―さっき見つけた財布を私は探し。
その中のカード入れを漁れば…あった心療内科の診察券。近所だな。
「今から私、車
「…は?」驚く剛。
「それまでにシャワー浴びて、着替えときなさい」
「病院に
「休職
「…分かった」こういう時だから素直に聞いてくれたにせよ…これで良し。
◆
こうして。
私は
改めて診察され、薬を処方され―
序盤に戻るわけだ。
「筋肉が全てを解決する」
「んな訳ないでしょうが」
こういうのは押し問答になりがちだが。今回ばかりは私が正しく。剛は間違っている。
心は筋肉みたいに超巨大
多くの神経細胞の組み合わせ、それが構成する
筋トレをするみたいには鍛えられないはずなのだ。
もう少し工夫してトレーニングしないと元の
どうやってそれを理解させるべきなのか。
そもそも『筋肉が全てを解決する』という彼の思い込みを取り除けるのだろうか?
◆
「心は現象です。物質ではありません」バーベルを上げ下げする彼に語りかける。
「脳みそが…心だろうが」息
「その中の多くの
「機能の元は…脳みそだ」
「だから
「その通り。筋肉は力だ。それがあれば社会なんて、うつなんて怖くない」
「その考えは酷く
「分から…んな!」否定に力を入れるんじゃない。
「剛は個人競技の中で生きてきたし、その中で結果を残してきたから、そう思いたいのは分かるつもり」
「だろう?筋肉という力が俺を強くし、世間を渡る強さになる…のだ」
「君
「何故だっ…世の強い男は皆そうして…いるっ!」
「それが思い込みってやつなのよ」
「お前に取ってそうであっても、俺にとっては…違う」
「そのままひっくり返すわね、認めなさい。個人なんてモノは大した事無いのよ」
「それは認められんな」
「社会人にもなって、甘ったれた事言わないでよ」
「俺は独りで戦える男なのだ」
「出来ないって証明されたでしょうに」
「それは…疲れていただけだ」苦しい言い訳が出てきたココが突きドコロであり。
「そうかも知れないね。でもさ。今後も疲れる局面は出ると思うわけ」
「そうならない為に鍛えて―」
「あのさあ。私の話全く聞いてないよね?」
「…スマン」謝らないで。意味ないから。
「鍛えたって鍛えたって…持久力には限界があり、その
「…かもな」
「独りだと…まあ潰れるけど。そういう時の為に協力という言葉があり」
「恥ずかしくないか?」
「…そりゃね。恥ずかしくはあるさ」
「俺はそれが嫌―」
「いい加減にしなよ!」私は柄になく叫んでおり。剛は目を点にしており。
ああ。もう。疲れた。
もう金輪際コイツとは関わらない!
私は彼の部屋を後にし、さっさと玄関に向かい、そのまま出、家に帰るのも嫌になり、道を河原に向かって進んでいく。
◆
流れる水は存在と時を未来に押し流していく。
それは力の象徴のようにも思え。それが今は憎たらしく。
「何が『筋肉が全てを解決する』よ」と水に向かって
ああ。虚しくなってきたぞ?
大体、私は何でここまで剛に入れ込んでるのか?それが全く分からない。
私の好みは―細身の
…幼馴染で放っとけ無いから?いや、それはお
おばさんに頼まれてしまったから?それは事の始まりでしかなく。
認めなくてはならないらしい。
私は―アイツに惹かれているのだ。
何でだろうね?ああ。畜生。
…多分。独りで大きなモノに向かっていくその
私にはない闘争心を彼に見て。私の魂は震えたんだ。
それがどれだけ虚しいモノであっても、否定せざるを得なくても。
このまま。彼が野に
彼は私の手を取ろうとしてなくて。
それが死ぬほど悔しくて。
拗ねて…ここに至った…ああ。
何でこうも私は素直じゃないかなあ。
◆
「
「んな
「なんかよく分からんがごめぇぇぇぇん!!」
「分からんなら謝るな」水面は静かに私の言葉を受けとめ―
「スマン!!」頭の後ろから声が聞こえ。
「とりあえず謝るのも体育会系
「…申し訳ありません?」いや、謝りの形式を問うてる訳ではなく。
「何の用?」あっさりとした口調で問えば。
「お前が言うこと…正直さっぱり分からん!!」気持ちの良い否定をどうも。
「それを
「だがっ!俺は更に強くなるために!お前の力を借りたい。スマン!助けてくれっ!」
「こんな元気の良い
「俺には思慮はないが…
「…ああ、もう。分かったよ、分かった。君の筋肉に力を貸すよ」なんて私は言ってしまっており。
「感謝するっ!じゃあ帰るぞ、母ちゃんが
「へいへい…」
こうして。私は筋肉の力に屈したのだ。
さらば。
◆
「筋肉が全てを解決する」幼馴染は
「そうかも知れない」私は受け入れて。
「…いや、このテーゼは間違いだ」と剛は言う。
「どうした筋肉
「筋肉と
「なんだい?もしかして―」
「俺と2人でチームを組んでくれ!これが―誓いの証だ」大きな手で小さな箱を開け。
「もう。
◆
【KAC20235】―①『筋肉に屈した女とうつに屈した筋肉男』 小田舵木 @odakajiki
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