90ftを翔けろ
佐倉伸哉
本編
野球に必要な筋肉とは、何か。
ボールを遠くへ飛ばせる力。ボールを速く投げられる豪腕。分かりやすい2点を
ただ、飛距離や球速で優劣が決まるほど、野球は単純なスポーツではない。非力であっても、生きる道があるのだ。
神戸を本拠地に構える“京阪エンゼルス”に所属する、奥村
この日、ホームに“横濱ストロングス”を迎えたカード
7回裏、エンゼルスの攻撃。先頭バッターがフォアボールを選ぶ。すかさずエンゼルスの監督はベンチを出て、主審に選手の交代を告げる。
『ファーストランナー・山田に代わりまして、奥村。背番号66』
スタジアムに交代のアナウンスが流れると、エンゼルスファンから一斉に「しゅんと!」コールが挙がる。声援に押されるように一塁へ向かう奥村。
ファンも、チームメイトも、首脳陣も、期待している事はただ一つ。自分の役割はしっかり分かっている。期待に応えられるよう、ベストを尽くすのみ。
ベースに着いた奥村は、下半身を中心に体を動かす。そして、二塁ベースをじっと見つめる。
90
マウンドに上がっている
(……いける)
奥村の中で、成功するイメージが湧く。ポジティブなイメージを抱けるのは
次のバッターは、長打が期待出来る牧原。相手バッテリーもストレートばかり投げる訳にもいかない。必ずどこかのタイミングで変化球を投げる筈だ。
初球。館石はじっくりと間を使う。盗塁を警戒して一塁の方へ
ランナーの奥村はジリッ、ジリッとリードを取る。その距離は肩幅二つ分くらい。
目で牽制した館石は、足を上げる。刹那――奥村はスタートを切った。
グラウンドの土を削るようにしっかりと踏み込み、蹴り出す。ハムストリングスやふくらはぎが、フル回転している。目は二塁ベースしか見てない。ボールが到達するよりも早く、
脚の筋肉を燃やしながらグングンと加速していった奥村は、二塁ベースの直前で
キャッチャーからの送球を受けた遊撃手のグラブが、奥村の体に触れる。しかし、奥村は数秒前に二塁へ到達していた。
奥村の武器は、この“脚”だ。
しなやかな下半身の筋肉から生み出される、他の
俊足を最大限活かす為に下半身を鍛える一方、余分な筋肉は付けないようにしていた。筋肉は付け過ぎると重くなる。重くなれば速く走るのにエネルギーを多く消費する。負荷が大きくなるとケガに繋がる。ベストパフォーマンスを保つべく、筋肉も調整していた。
盗塁を成功させた奥村だが、その表情はまだ真剣なままだ。
(必ず、帰る……)
自分の仕事は盗塁だけでない。ホームを踏んでベンチに戻るまで、ベストを尽くす。
ジリジリとリードを取る奥村。いつでも出れるよう、脚を動かす。
二球目。館石のカーブを、牧原のバットが捉える。打球は一二塁間を破っていき、右翼手の前へ転がっていく。
打球がグラウンドを跳ねるのを確認した奥村はスタートを切る。三塁コーチャーが腕を大きく回しているのを一瞥した奥村は、三塁ベースを踏んで一気に本塁へ駆ける。
グラブにボールを収めた右翼手から、矢のような送球がホームへ返ってくる。ボールが先か、奥村が先か。微妙なタイミングだ。
先にホームへ着いたのは、ボールの方だ。奥村はまだ数メートル手前に居る。捕球した捕手が奥村を捕まえにいく。
このままではアウトのタイミング。しかし、奥村はスピードを
「セーフ!!」
主審の判定に、スタンドから大歓声が上がる。ユニフォームを汚した奥村へ向けてエンゼルスファンから賛辞や拍手が送られる。ひと仕事を終えた奥村は、ホッとした気持ちでベンチへと引き上げていく。その背中は、正に職人だった。
“翔ける”よう90ftを駆け抜けていく、奥村。
ムキムキマッチョでは生み出せない速さを武器に、プロの世界を生きていく。
90ftを翔けろ 佐倉伸哉 @fourrami
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