いいおとな

夏生 夕

第1話

「じいさん、またいるのか。」


午前3時、噴水広場。

たまにこのベンチで寛いでるホームレスがいる。

遠いシルエットだけでじいさんだと分かる長髪モジャ毛に声をかけ、薄暗い公園に入った。


「お、若いの。また会ったな。」


背もたれ越しにじいさんが首だけ振り返った。


「また会ったなじゃないよ。こんな時間に一人じゃ危ねぇっていつも言ってるでしょうが。」


「お前も一人じゃないか。」


「俺はいーの、空手できるし。ってか今日みたいな日に一人とか言うな。」


ご近所迷惑になるから大声ではないが、それでも十分に聞こえるほど真夜中は静かすぎる。


「おい、まじかよ半袖!?」


ベンチの前に回ると、じいさんは白いTシャツから伸びる細い腕を上げて挨拶してきた。

下手をすればこのまま雪でも降り出しそうな今日この頃に何事か。


「とうとうボケちゃった!?やっぱりホームレスじゃなくて徘徊老人だったわけ?」


「違う。」


「疑わしき者は皆そう言うの。それとも上着さえないほど生活が苦しくなりつつあるのか。」


「違うと言っとろうが。仕事だ仕事。仕事納め。」


「じいさん仕事してたのか。」


「お前とここで会った日はだいたい仕事終わりだわい。今日が山場でな。

あちこち回ったから暑い。」


そう言ったはずが直後に派手なくしゃみをした。


「あー、もう俺が見てらんねぇ。ちょっと待ってて。」


マフラーを押しつけて小走りに公園を出た。



戻ってくるとじいさんはマフラーを巻いていたが、半袖とのビジュアルの相性がおそろしく悪い。


「ん。」


抱え込んだ両手から右手の分を渡す。


「なんじゃこれ。」


「ココア。俺も今日が仕事納めだったんだよ。一杯付き合って。」


「普通そういうときは酒だろ。」


「贅沢言うな。それに今日はもう無理。忘年会でしこたま飲まされた。」


「それでこの時間か。」


「終電無いから酔い醒ましがてら歩いて帰って来たんだよ。時間に関してはじいさんに言われたくないけどな。」


「色気がないなぁ。」


「うるせ。イブだろうがクリスマスだろうが、上司からの誘いは断らねーの。それ飲んだら早く帰れよな。」


なんだかんだ言いながらじいさんはココアを飲み干した。空になったペットボトルを見下ろして静かに言った。


「仕事後の一杯は美味いな。」


「さっきは酒がどうとか言ってなかったっけ。」


「いつもありがとな。」


「は?」


「いいこにしてるのは子供だけじゃないんだがのー…」


しみじみ空を見上げているが、言ってる意味がさっぱり分からない。変な顔でいる俺にじいさんは笑いかけた。


「おぉそうじゃ、礼にこれやる。」


足元で何やらガサガサあさっている。ぺしゃんこで気付かなかったが、かなり大きめの布袋が放られていた。

そこからひとつ、手の平サイズの包みを差し出してきた。


「ほれ。」


「なんだこれ。」


「商売道具。予備の分、やる。」


「あぁ、はい、ありがとね。」


綺麗にラッピングされたそれを耳元で振ってみたり眺めまわす。

その様子を見て満足そうにじいさんは立ち上がった。


「じゃあな。」


手荷物を何もかも散らかしていたらしい。地面から上着を拾い上げて羽織った。暗くてはっきりとは分からないが、赤っぽい。


「やたら派手な色してんね、今日は。」


「制服なんだよ。暑くてかなわん。」


「気をつけて帰れよ。」


「あぁ。」


歩きかけて「あ、」とじいさんは首だけ振り返った。


「メリークリスマス。」


「はいはいメリークリスマス。」


右手を振り合って分かれた。

一人になって、包みのリボンを指でつまんだ瞬間、でかいくしゃみをした。


「マフラー貸したままだわ。」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

いいおとな 夏生 夕 @KNA

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ