第3夜「テンプラ・ガーディアンズ」

         

         ◯


 帰ると大見得を切ったは良いが、航平はやっぱり祖母の事が気になってしまい、まだ凰船を出ていなかった。駅前のファミレスで既に五時間も時間を潰している。

 

「俺が喰われるって事は、同じ力を持ってる婆ちゃんも喰われるんだよな」

 

 美波がもし化け物に負けたら、守る者はいなくなり、きっと祖母は喰われてしまうだろう。もし自分がいたらそれを変えられるだろうか? 航平の頭の中でそんな考えが渦巻いては消えてを繰り返していた。

 

「俺ってやっぱり中途半端だな」

 

 祖母を助け、俺も戦うのだと決意も出来ない。だが美波や祖母を見捨てて逃げることも、やはり出来ていない。

 

 ───。




 気づけば、もう時刻は零時を回っていた。店内に客はほぼいなくなっていた。注文しないと悪いと思ってパフェを頼んだのはいつだったか。空っぽの器を眺めながら航平はため息をついた。

 

『航平、目覚めよ』

 

 

 

 はっと航平は意識が覚醒した気がした。何か妙だ。。見渡しても誰もいない。キッチンにも先程まって立っていた店員も「消えた」。

 これは、昨日と同じだ。また化け物の時間になったんだ、始まったんだ、「深夜の散歩」が。

 

 航平は理解した。この化け物の時間を感知する力こそ自分の才能。そして「深夜の散歩」ができるのがこの才能の持ち主だけなんだという事を。だから他の人間は消えた。この時間に適正が無いから。

 

「待て待て、だから何だよ。俺に何が出来るんだよ」

 

頭の中で自分の声がした。そうだよな、才能があるから何だ。昨日だって化け蛙に何も出来ずに食べられるところだったじゃないか。黙って、美波に戦っててもらった方が良い。

 

「航平さん!」

 

そうそう、美波の可愛い声が聞こえた。

 ──いや、本当に聞こえた。

 航平はぱっと声の方を向く。誰もいなくなったファミレスの入り口に、ジャージ姿の美波が立っていた。

 

「なんで、戦っているんじゃ」

 

「戦っていますよ、今! だから早く来てください」

 

「いや、美波さんはここにいるじゃないか」

 

「違います、戦っているのは海子さんです。何を勘違いされているのですか。昨日も航平さんを助けたのは海子さんですよ!」


「え、あの子が婆ちゃん?」

 

航平の頭の中で昨晩の巫女服に刀を担いだ少女の姿がぼんやり浮かんだ。

 

 


          ◯


 昨日の蛙がまさか仲間を大量に引き連れてくるとは。この辺り一体の民家の屋根に化け蛙が張り付いてゲロゲロ輪唱している。

 海子も適当な民家の屋根に立ち、刀を構えた。

 

「だから爬虫類は嫌いなんだよ。私は哺乳類が好きだね、ふわふわなやつ」

 

 海子は四十代目・街守当主の「モリビト」として、もう六十年もこの街を守り戦い続けていた。

「深夜の散歩」の間だけは、土地と御仏の加護力によって若い身体と力、そして超常的な神通力が与えられている。だが、その力も年々衰えを感じ始めていた。昔はこんな蛙の群れなど刀一振りで始末できた。やはりこの力ですら、生命力、つまり寿命には勝てないらしい。人間が器である限り、「死」は超越できない。だからこそ、後の者に役割を継がせてきたのだ。

 

 

 海子はそんな弱腰な自分の心を奮い立たせ、飛び出した。蛙たちも一斉に海子に飛びかかる。

 

 弱くなった心、これも歳老いたと感じる部分だ。昔はこんなに「人恋しい」と感じた事はなかった。使命の為、家族を巻き込まぬ為、息子を成人させるとさっさと街から追い出した。

 孤独でこそ、モリビトの使命が果たせると思ったからだ。だが、孫に力が受け継がれていると一目見て感じた時、海子は嬉しかった。人生の孤独が和らいだ気がした。

 

 生きて、孫に伝えねば。戦う方法を、街を守る方法を。誰かがやらねば、この街は化け物共の手に堕ちて滅びてしまう。

 

 斬っても斬っても蛙は湧いてくる。蛙なんかによって街が滅ぼされたら末代までの恥だ。だが、呼吸が乱れてきた。息苦しさも感じる。ついに、海子は膝をついた。

 

「やれやれ、数が多いってのは厄介だね。こっちは一人だけだっていうのに」

 

 途方もなさを感じ、海子がため息をつきかけた、その時だった。

 




「負けんな、クソババア!」

 

航平の声がした。海子ははっとして、声の方を向いた。海子の目下の道路で、美波と共に馬に乗った航平が叫んでいる。

 

「ババアが負けたら、この街も負けちゃうんだろ、だから負けんな!」

 

 孫に格好悪いところは見せられないか。ましてや若い頃の姿で。

 

「黙りな、鼻垂れ」

 

 海子は刀を構え直した。

 そして、再び化け蛙たちとの戦いが始まった。

 

 だが今度は一人じゃない。海子は屋根を飛び回って刀を振り、馬に乗った美波は弓矢を放ってそれを援護した。

 今の航平には戦う事は出来ないが、それでも力いっぱい叫んだ。祖母を声が枯れるまで応援した。



 

          ◯


 あまりの海子の気迫にさすがの蛙たちも恐れをなし、逃げ出す者も現れ始めた。そうすると早いものである。我も我もと蛙たちは次々と逃げ出した。

 海子と美波は慣れた様に二人で蛙たちを追い込みながら街から追い出していく。

 

「深追い無用、私たちの勝ちだ」

 

 海子は刀を月に向かってかがけてそう叫んだ。

 

 ついに、化け蛙は一匹残らず、街から逃げていった。

 

──。




 駅前の交差点で海子は航平、美波と合流した。全員ぼろぼろだったが何とか無事だったようだ。

 

「婆ちゃん、悪かったよ。今まで、ほらその……俺たちを守ってくれてたのに。俺は分かってなかった」

 

海子が合流すると、すぐに航平が謝罪した。海子はふっと息を吐くと笑いかける。

 

「初めての『深夜の散歩』はどうだった? なかなか激しいだろう」

 

「あ、ああ。すごいよ、婆ちゃんは」

 

「これから鍛えてやるから覚悟しな」

 

笑い合う航平と海子を見て、美波は少し涙ぐんだ。

 

「うんうん、良いですな。家族のわだかまりが溶けていく。これにて一件落着という事ですな」

 

航平は口を開けてぽかんと馬を見た。今の今まで乗っていた馬が突然喋ったからだ。

 すると、馬は「嫌だなあ」とのんびりした声を出した。

 

「航平様、僕ですよ。虎右衛門どらえもんです」

 

 その馬、虎右衛門はボンという音と共に白い煙に包まれて見えなくなった。煙が風に流されて消え去った時、そこに残ったのは茶色いけむくじゃら、どう見ても「狸」だった。

 

「どうも、私。見ての通り「狸」でございます」

 

「おい、婆ちゃん!」

 

「大きい声を出すんじゃないよ。虎右衛門の観音寺家は先祖代々、私ら街守家に仕える立派な狸たちなんだよ。その代わりに観音寺の山に住ませてやってるのさ」

 

 航平は口をぱくぱくやっていたが、海子の言葉を聞いてそれもやめた。たしかに、虎右衛門の正体が狸で、いろんなモノに化けられても何も不思議じゃない。祖母は深夜に若返り化け物と戦う。その助手は弓矢を使う「芋ジャージ」の女の子。そして俺は────。

 

「深夜の散歩デビューした、鼻垂れ半端野郎、か」

 

航平が呟くと、海子は笑って大きく伸びをした。

 

「よし、明日からビシバシ鍛えてやるから覚悟しな航平! やれやれ、まだ死ねないねえ百歳まで生きないと」

 

「今の日本の八十代で婆ちゃんと野沢雅子より元気な人はいないよ」

 

「言うねえ、威勢が良いのは好きさ。さあ、帰って寝ちゃおう。明日も早いよ」

 

 航平の「深夜の散歩」の日々はこうして始まったのだった。

 

 

 

          ◯

          

 その日、街守家一同は地方から凰船の観音寺に集まった。長男である航平の父は前に立って挨拶を行った。

 

「本日は私の母、故『街守海子』のために集まって頂き、誠にありがとうございます。私の母は賑やかなのは苦手でしたが、今日くらいは許してくれると思います。母は、太陽が好きでした。今日は晴天です。きっと母も喜んでいる事でしょう──……。」


 海子はこの世から旅立った。

 航平が街守家の「モリビト」として修行を始め、一年も経たないうちだった。

 最初はまるで戦えなかった航平も、鍛えた甲斐があり少しずつ立派に成長していた矢先であった。

 

 その日、海子は起きて来なかった。寝坊などした事のない祖母だ。航平と美波が心配で部屋に行くと、既に旅立った後であった。

 

 

 自らの命の終わり、それを感じとっていたからこそ航平を呼んだのか。それは今となっては分からない。

 だが、航平は祖母との最後の時を共に過ごせた事を誇りに思うのだった。


         


          ◯


 航平は祖母の葬式が終わるとすぐ、一人で観音寺にお参りをした。これからは自分が四十一代目として、この街を守らねばならない。

 

「婆ちゃん、俺……頑張るよ」

 

 手を合わせ、そう祈った。

 一人で戦い続けた祖母はやっとその役目から解放されたのだ。最後は一人では無かったと、そう思ってくれていたら嬉しい。

 

『安心せい、これからは我が鍛えてやろうぞ』

 

航平の頭の中にいつか聞こえた声がした。

 ──目の前を見ると、白いローブの様な「白衣びゃくい」を纏った美しい女性が賽銭箱に寄りかかって航平を見ていた。


『ようやく我の姿が見えるようになったな四十一代目。我は凰船観音菩薩……の化身。ここの主にしてこの街を守護する者ぞ。これからは我がお前に力を貸し、そして修行をつけてやる』

 

「え、凰船観音本人ってこと?」

 

航平は目の前の女性と、その後ろに佇む巨大な観音像とを交互に眺めた。

 

『さあ、まだまだ先は長いぞ四十一代目。これで終わりと思うな、この街を狙う不届きモノ共はたくさんおるのだからな』

 

 観音様の化身はふふふと不敵に笑っていた。航平の方は苦笑いだった。

 

「まさか、本人が出てくるとは。婆ちゃんはこの人に力を借りてたのか」

 


「そうさ。失礼の無いよう、しっかりと務めを果たしな。私は常に見張ってるからね」

 

 その時、背後から祖母の声が聞こえた。

 航平は振り返ると、声をかけた。

 

「……婆ちゃん!」

 

 

 

 

 この街には不思議な力が集まり、それを狙う魔のモノ共が巣食う時間がある。

 だが、その時間に「散歩」に出かける人間たちがいた。

 

 彼らは毎晩、人知れず街を守る為に夜を駆けるのだ。

 そして最後にはいつもの朝がやってくる。まるで、何事も無かったかの様に。誰もそれを知る事はない。月だけがそれを見ていた。

 

 それらは全て────。

「深夜の散歩に起きた出来事」




────テンプラ・ガーディアンズ 完

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テンプラ・ガーディアンズ 星野道雄 @star-lord

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