第2夜「深夜の散歩」
◯
翌朝から虎右衛門と共に海子の「手伝い」が始まった。
まずは朝六時に起床して精神統一とラジオ体操を行う。それから朝食を済ませて、当番制の皿洗いを行った。航平はいきなり今週の当番らしい。
そして、家の掃除。無駄に広い日本家屋の掃除は大変だった。さらには住職らと共に観音寺の方も掃除を手伝わされ、それどころか僧侶たちにPC操作まで指導する事になった。
昼食を挟んでまた皿洗いと、今度は風呂洗いも加わった。そして、街守家の蔵に仕舞われた武器の手入れも虎右衛門に教わりながら行った。正直、航平は武器の手入れは少し楽しめた。
日本刀や槍、その他武器が大量に仕舞われていて、鎧や兜など防具までありそれも手入れした。本物を見るのは初めてだったので気分は高揚した。
その間、海子は美波を連れ各病院に定期検診に行ったり、地域の会合などに参加したりと忙しくしていた。
そんな毎日が一週間と過ぎ去り、航平にもやっと手伝いの意味が分かった。もう八十を越えた高齢女性にはこの掃除も手入れも家を守るのもかなり過酷だろう。若い自分がやっても大変なのだから、その負担は計り知れない。
だが、その事でまた疑問が湧く。なぜ一人でこの家を守っているんだろう。息子である航平の父は地方で普通の会社に勤めるサラリーマンだ。自分の後を継がせればそれで良かったはずなのに。
もう一つ気がかりなのは「深夜の散歩」だ。
海子と美波は二人して毎日必ず深夜の散歩に出かけて行く。しかも、航平にことわって行くこともあれば、隠してこっそりと出かける事もある。一度、帰って来るまで起きて待ってみた。すると二人は早朝の四時頃、日が昇る前にそそくさと家に帰ってきて風呂に入ってさっさと寝てしまった。
怪しい、何か隠している。日課とはいえ、深夜に出かけて一晩中散歩してたっていうのか? 航平は段々と気になってきた。
ある時、航平は虎右衛門を捕まえて聞いてみた。この虎右衛門、毎日手伝いに来ているのかと思ったら違うらしい。三日ぶりに玄関先で捕まえる事ができた。
「なあ、虎右衛門。婆ちゃんと美波さんは俺に何か隠し事しているだろ。毎日深夜にこっそり家を抜け出してるんだ」
「見ざる言わざる聞かざるですな。哀れなお猿さんの僕には分かりません」
「はぐらかすなよ」
「まあ、無事に帰ってくるのだから良いではありませんか」
思った通りだ、虎右衛門はおそらく知ってて隠してる。不自然な口笛まで吹き出した。航平はずいっと虎右衛門に詰め寄った。
「分かった、じゃあ今夜付き合えよ。俺たちも夜のお散歩に行こう」
「え、それは風流ですなあ。しかしご遠慮したく…──」
航平は渋る虎右衛門にスマートフォンの画面を見せた。そこには、この家の冷蔵庫に手を突っ込む虎右衛門が写っていた。
「お前、婆ちゃんのアイス食ったろ」
「な、なぜそれを……。卑怯な!」
「言う事を聞くか聞かないかどっちだ。一緒に来なくても良い。でも俺の邪魔はするなよ」
──。
航平はジャージに着替え、深夜の散歩に出かけた海子と美波の後をつけた。虎右衛門は結局「僕にはできないよ!」と騒いでうるさかったので放っておいた。とりあえずはあいつのおかげで「深夜の散歩」に何かやってるのは間違いなくなった。
海子と美波は夜の道を談笑しながら進んでいく。時刻は深夜零時になるところだった。航平は電信柱や物陰に隠れながら後を追っていた。先程から外を歩く人もまばらになってきていた。それに先程から寒い。もうやっぱり帰ろうか、そう思った。
その時だった。夜道を行く航平の後ろからヒタ、ヒタ、と何か濡れたモノが地面をつく音が聞こえた。いやこれは足音か?
航平は背中に悪寒を感じて振り返る。しかしそこには誰もいない。街灯に照らされた夜道だけだ。
そういえば随分と閑静な住宅街に入ってしまったらしい。あまり見覚えもないうえに一人きりだ。急に怖くなった航平は前を向いた。前には海子と美波が歩いているはずだ。
「あれ、婆ちゃん?」
そこには誰もいなかった。それどころか確信した。ここは知らない道だ。時間が経ったとはいえ、かつてはよく遊びに来た街だ。先日、ここへ来た時も街の空気はよく覚えていた。なのに、今は違和感を感じる。ここは知らない、どこか違う世界に迷い込んだ気がする。
時計を見ると、その針はぐるぐると高速で回っていた。航平はもう恐怖にかられて叫び声をあげた。
もうここにはいられない。航平は慌てて走り出そうとした。その瞬間、濡れた手が航平の足を掴む。
航平はうつ伏せにその場に倒された。その際に顎を強打してしまったので鈍い痛みが頭にまで響いていた。
「いってえ……」
航平が痛みに悶えながら振り返ると、そこには巨大な“蛙”がいた。自分の足を掴んだのは「手」じゃない。「舌」だ。その蛙の舌は航平の右足首に巻き付いて締め上げている。巨大な目玉はぎょろりと航平を睨んだ。
蛙ってデカいとこんな気持ち悪いのか、という冷静な頭と恐怖で叫びたい気持ちとがせめぎあい、勝ったのは恐怖だ。航平は悲鳴をあげた。
「うわうわうわ、助けてくれ! 誰か! 食べられる!」
何なんだよ、俺はただ深夜の散歩に出かけた祖母と、ちょっと気になる女の子の後を尾けてただけだ。どうしてこんな蛙のお化けに食べられそうにならなきゃいけないんだ。
「ゲロ、ゲロゲロ、ゲロ……」
蛙は地鳴りの様な奇妙な鳴き声をあげている。その口角はくうっと上がってまるで笑っている様だ。いや、笑っているんだ。航平には分かった。今まさにご馳走を頂こうというのだから笑顔にくらいなるだろう。嫌だ、死にたくない。航平は目を瞑って叫んだ
「助けて! 婆ちゃん!」
「泣くな、男の子でしょ」
◯
航平はその少女の声を聞いて目を開けた。目の前では、自分の足首に巻き付いていた蛙の舌が切断されて宙を舞っていた。
そして、刀を振り抜いた巫女さんっぽい格好をした、奇妙な少女がいた。
「ゲ、ゲゲゲ、ゲロゲロ!」
蛙は痛みに悶えてゴロゴロと道路をのたうち回っていた。そして、その巨大な目玉から大粒の涙を流し何か文句を言っているようだ。ピッと刀に付着した液体を振り、少女は答えた。
「ゲロゲロうるさい。お前が凰船の人間を襲うなら、私は容赦しない」
「ゲロゲロゲロゲロ!」
「やってみなさいよ、私に勝てるならね」
少女は堂々と刀を構えている。そこで蛙と睨み合った。じりじりと視線が交差する。
だが、勝ったのは少女だ。蛙は悔しそうに顔を歪めて背を向けると家を飛び越えながら逃げて行った。もはや航平には意味が分からなかった。
航平は腰が抜けてしまって動けなかった。
「あ、あの。あの、君は」
「全く、情けない。それでも街守海子の孫なのか」
少女は刀を鞘に収めると、動けない航平の元まで向かってくる。そして、目の前でしゃがみ込むとじっと航平の目を見た。
「怪我はないか?」
「あ、君、え? もしかして美波……ちゃん?」
「今は私が質問してるの」
暗がりで、はっきり見えなかったが、その少女の顔はどことなく美波に似ていた。巫女服に刀を携えてまるでゲームのキャラクターみたいだ、と航平は関係ない事を考えていた。
そして、視界がぐるんと回る。航平は意識を失った。
──。
これが昨日の深夜の散歩に起きた出来事。そして今朝、気がつくと自室の布団で寝ていた。
「婆ちゃん、話がある。美波さんも呼んでくれ」
航平は朝一番で顔を洗う海子を捕まえてそう言った。海子は素直に「あいよ」と答えるのだった。
────。
◯
この山に凰船観音寺が建てられて「お寺」として認められたのは昭和の時代になってからの事だ。観音像も昭和まで無かった。
しかし、その遥か昔からこの山は神仏を信じる人々の心の拠り所として、集会所や隠れ里の様に使われていたらしい。なんでも、この山と凰船の街は元々「霊的なパワー」の発信源となる土地で、異形の存在や「悪いモノ」を呼び集めてしまうらしい。
昼間は太陽の加護の元、奴らは現れない。しかし夜の帷が下りれば異形のモノたちの時間だ。
それは、この土地に来れば異形のモノたちの力は「土地の霊的パワー」を浴びて強くなるかららしい。
化け物ばかりが集まってしまっては人間が住む事は出来ない。そこで活躍したのが、航平の先祖である「街守家」だった。街守家は御仏の力を借り、その聖なる力によってこの地と人々を守るため、毎晩のように「深夜の散歩」に出かけていたのだった。
「で、私がその街守家の四十代目。でも、あんたの父親には継がせなかった。霊的なモノを感知する才能が無かったからね。でもそれで良いと思ったよ。あの子は“普通”に暮らせば良いんだ」
「じゃあ、何で俺は」
航平は海子の部屋で美波、虎右衛門が同席のもと、昨日の事を問いただしていた。
──そのつもりだったのだが、海子の語った話に完全に圧倒されてしまった。
「お前には“才能”があったからだよ。私の力を継いでしまった。だから今回お前を呼んだのさ。いずれお前は巻き込まれる。だから、地方で遊ばせておかないでこっちに呼んで鍛えてやろうと思ってね。昨日もわざと後を尾かせた。実際に見てほしかったからね」
「この話、俺の父さんと母さんは知ってるのかよ」
「知らないよ。私が国から報酬貰ってる事も話してないからね。何故かお金持ってる婆さん、くらいにしか思ってないんじゃないかい?」
「じゃあ、父さんを地方に追いやったのは守る為で、俺を夏休みに呼びつけて説教してたのは鍛える為って事か」
「分かってきたじゃないか、航平。少しは頭が使えるみたいだね」
「うるせえよ」
航平は睨んだ。何がわざとだ。俺は死ぬところだったんだぞ、勝手な事を言いやがって。航平はそう思って胸に息苦しさを感じた。それにまだ許せない事がある。
「美波さんを戦わせてるのか、自分が婆さんだからって。関係ない女の子を巻き込んで」
海子は答えなかった。美波はおろおろとしている。航平は言葉を続けた。
「昨日の、俺を助けたのは美波さんだろ。なんとか言えよババア。使命だか何だか知らないけど恩を売って女の子をコキ使ってたのかよ」
美波は祖母に助けられたのだと、本当に尊敬し感謝していた様だった。そんな子の気持ちを利用して一族の使命とやらに巻き込んで、あんな化け物たちと戦わせていたなんて。
しかし、海子は鼻で笑って答えた。
「ふん、どうしたんだい急に。いつもそんな事、気にもしないくせに。分かったなら選びな、航平」
「お前はいずれ化け物に狙われる運命だ。私たちはこの土地の加護を受けて力を使う。だから、私たち自身を喰えば奴らにとっては同じ事なのさ。黙って化け物に喰われるのを待つか、私と一緒に“深夜の散歩”と洒落込むか、選べ航平」
海子の真っ直ぐな瞳に射抜かれて、航平は視線を逸らした。そしてぼそぼそと言い返した。
「うるさい、俺には無理だ。じゃあな、ババア。俺は実家に帰る」
航平はそれだけ言うと黙って立ち上がり、部屋を去った。もう帰ろう。化け物退治なんて無理だ。漫画やゲームとは違う、本当に「死」を感じた。あれらと毎晩戦うなんて、想像しただけで気が狂いそうだ。
────。
航平が部屋を出た後、海子は咳き込んだ。やれやれ、頑固さまで私に似ちまったとは。
たしかに、もうかなり年老いてしまった。毎晩毎晩、化け物と戦うのも限界が近いのだろう。海子には分かっていた。だからこそ、航平に後を継いでほしい。血を分け、才能を分けた孫になら任せられる。
「海子さん、大丈夫ですか」
「ああ、大丈夫。美波にも無理をさせているからね。私が弱音を吐くわけにはいかんよ」
美波が背中をさすると、海子は微笑んだ。虎右衛門も心配そうに駆け寄る。
「海子様、あまりご無理をなさらずに。僕が航平様を連れ戻して来ましょうか?」
「それは、お前のガラじゃないだろ。お前はのんびり屋の怠け者でいておくれ。大丈夫、航平は帰って、くる……」
また海子は弱々しく咳き込んだ。
────第3夜に続く
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