テンプラ・ガーディアンズ

星野道雄

第1夜「俺の婆ちゃん」

KAC2023お題④『深夜の散歩に起きた出来事』   

   

   「テンプラ・ガーディアンズ」

    

         ◯


 神奈川県の海沿いに位置する小さな街。金倉市凰船。

 

 この街には凰船観音寺という、山の頂に位置する古い寺があった。その寺には凰船観音と呼ばれる巨大な観音像が鎮座している。

 観音像は昭和二年に建設しようと動き出し、最終的には完成まで三十年ほどの月日がかかった。この三十年の間には戦争や世界的な不況などさまざまな出来事が目まぐるしく起こっていて、その歴史を街と共に乗り越えた。

 

 凰船観音は当初「護国観音」として地元有志によって築造を目指したものだった。その像は、白衣びゃくいに身を包んだ女性の姿をしていて、慈愛に満ちた微笑みを浮かべながら今も街を見守っている。


 ──。



 街守航平まちもりこうへいは、地方の大学を卒業した後すぐに上京した。別に何かやりたい事があったわけではない。ただ何となく、東京というものを見てみたかっただけだ。

 航平は気が済んだらすぐに実家に帰った。だがやはり定職には就かず、貴重な若い時間を浪費していた。

 

「そんなに暇なら婆ちゃんの手伝いしてこい」

 

 ある時、父にそう叱られることとなる。

 

 祖母、街守海子まちもりうみこは神奈川県の田舎の街で寺の管理だか維持だかをしていると聞いていた。もう今年で八十歳になり体力も衰えを感じ始めたらしい。丁度、男手が必要だから暇そうな孫を貸してくれ、と連絡をもらったそうだ。

 

「あのババアまだ生きてたか」

 

 航平の祖母、海子はとにかく厳しかった。箸の持ち方、椅子の座り方、立ち方。襖の開け方や閉め方、歩き方。などなどあらゆる所作を注意され続けた。さらに空手の有段者なのでやりたくもない稽古まで付けられていた。

 怠け者な航平は祖母と馬が合わず、高校に上がってからは一度も会っていなかった。

 

「今は女性のアシスタントさん一人しかいないから男手が必要なんですって。航ちゃん、お婆ちゃんを助けてあげて」

 

 ついに母まで航平にプレッシャーをかけ始めた。

 

もう航平はついに観念した。確かにどうせ暇なのだからいいや、と。

 こうして、航平は中学生の頃以来の「凰船」という街にやってきたのだった。

 

 


          ◯


 祖母の家は山の頂に位置する「凰船観音寺」という寺の裏手にある古い日本家屋だった。ああ、こんなだったなあ。と航平は思い出してきた。

 確か夏休みに遊びに来ると、朝五時に叩き起こされて誰もいない寺にお参りさせられていた気がする。

 

 航平は祖母の家の座敷に通された。再会した祖母は確かに歳をとった。痩せたし、頭は全て綺麗な白髪になっていたし、少し顔の皺も増えた。

 だが相変わらず背筋はぴんと伸びているし、その声はハキハキと活気に満ちていた。

 

「航平、久しぶりなのに婆ちゃんに何か言う事は無いのかい」

 

「別に何もないよ。で、何を手伝えばいいんだ?」

 

「まずは挨拶だろう」

 

始まった。航平はうんざりした。そこからは思った通り婆ちゃんの説教だった。何も変わってない。俺はもう大人だっつうの。航平は説教を聞き流していた。

 

「──それじゃあ、お前。この世の中を渡っていけんのかい」

 

「もう働いて金も稼いだ事あるよ。アルバイトだけど」

 

「それ見た事か。お前は昔から中途半端だ。何一つやり遂げようっていう気概を感じぬ」

 

「俺だってなあ、いろいろと──…」


「いろいろ? いろいろ何だ。言ってみろ」

 

 目の前にはぴしっと背筋を伸ばして正座する祖母、海子がこちらを睨んでいる。航平はこの目が苦手だった。

 

「だからぁ、いろいろだよ……俺だってさあ……俺もさあ」

 

「何だと聞いている、さあ言ってみろ航平。お前はそれでも男か!」


「うるせえんだよ、ババア!」

 

 逃げ場なき追求と説教に対し、航平はついに怒鳴り声をあげた。


 

 

 

 お茶を淹れた湯呑み二つをおぼんに乗せて廊下を進むのは海子の助手、七瀬美波ななせみなみだ。彼女は航平より一つ歳が下の二十三。

 身寄りの無いところを海子に拾われてお世話になっていた。師弟であり親子のような間柄で、航平よりもよっぽど良好な関係を気づいていた。

 

「前に言ったとおり、来週からうちの孫が来る事になった」

 

「お孫さんですか。確か、コウヘイさん」

 

「そうそう、手伝いにね。あのヘタレも少しは立派になってるのかねえ」

 

「ふふ、肩でも揉んでくださると良いですね」

 

 美波が笑うと、海子はふんと鼻を鳴らした。美波には分かる。海子は「嬉しい」んだ。

 普段から夕食の時には海子は離れて暮らす家族の事をよく話している。それを話している時はいつも楽しそうにしていた。今日はそれに加えて何だか嬉しそうだ。孫の話をしている時は特にそう感じた。

 海子に世話になってから既に数年経つがたまにその「孫」に嫉妬する。この人がそこまで愛する孫はどんな人なのだろう。

 

  

 美波は「失礼します」と襖を開けた。

 ──。



「早くくたばれクソババア!」

 

「婆ちゃんに向かってその口のきき方はなんだい! 口ばっか達者な根性なしめ!」

 

 美波は襖を閉めそうになった。あの喧嘩している青年が「孫」だろうか。聞いていた雰囲気と少し違った。

 

「航平はね、私がしっかり教え込んだから口調は丁寧だし、箸も綺麗に使う。気は効くし、頭も良い。加えて、私に似て美形なんだ」

 

 いや全然違うよ、海子さん。

 

「やっぱり来るんじゃなかったぜ、誰が手伝いなんかするか、この妖怪ババア」

 

「ババアババアと言うんじゃないよ、しょんべんたれのクソガキ! 私がおねしょの世話してやったの忘れたとは言わせないよ!」

 

「あのう、お茶が……」

 

「ああん?」

 

 航平と海子にほぼ同時に揃って睨まれ、美波はどきりとした。そして理解した。


「ああ、二人は本当に血が繋がっているんだなあ」


 羨ましいような、何だか残念なような、複雑な気持ちになった。

 


 

         ◯


 夕飯の間も航平は海子と目も合わせなかった。海子も無視しながら食事を続けていて、板挟みの美波は気まずい思いをした。

 

 航平は食事をし、風呂に入るとすぐにあてがわれた部屋に閉じこもった。

 寝転がると畳の匂いがする。この部屋の扉は襖なので鍵は付けられない。航平は舌打ちした。だから古い家は嫌いなんだ。プライバシーも無しかよ。

 

「手伝い」とは何だったのか。結局聞きそびれてしまった。本当は、航平も喧嘩がしたいわけじゃない。だが祖母の前だと素直になれずに語調が強くなってしまう。

 それこそ、小学生になったばかりの頃はそんな事はなかったのに。いつからこうなってしまったんだ。

 

「航平さん」

 

 航平が思考に没頭しているとその外から美波の声が聞こえた。起き上がってみると部屋の襖がノックされている。航平は「なんすか」と答えた。

 

「海子さんとお散歩に行って来ますね」

 

「散歩? 深夜にですか?」

 

 航平はスマートフォンの画面を確認した。時刻は「23:45」となっていた。

 美波は閉じられた襖の向こう側から答えた。

 

「ええ、海子さんの日課なんです。あの、航平さん。開けて良いですか?」

 

 八十のババアが深夜に散歩するのが日課ってなんだよ。航平はまた心の中で毒づいた。しかし、それよりも開けて良いですか? だと。航平は佇まいを正さねばと、その場で正座した。もちろん乱れていた布団も角を揃えておいた。


「あ、ああ。どうぞ」

 

「失礼します」、と美波が襖を開けた。

 美波は可愛らしく華やかな顔に不釣り合いな随分ずんぐりとしたジャージを着ていた。「芋くさいな」と航平は正直に思ったが、歳の近い女の子、というだけで何だかとても魅力的に感じた。

 

「どうかしたんすか」

 

「いえ、先程の事を海子さんの代わりに謝りたくて。海子さんも本心ではないんです。私には言っていたんですよ、孫が来るのが楽しみだって」

 

 航平の胸の奥は少しだけざわついた。知ってるよ、思わず答えそうになる。自分を叱る祖母から憎しみや悪意を感じた事など一度もない。全て自分のためなのだと言うことは昔から知っている。自分は逃げただけだ。

 

「ああ、もういいってそれは。美波さんが謝る事じゃない。俺こそ悪かったっす。夕飯の時に態度悪くて、空気も気まずいですよね」

 

「い、いえ。それこそお気になさらず。私は羨ましいです。私は、少しその……ので家族とも上手く行かず、そんな時に助けて下さったのが海子さんなんです。とても愛の深い方です。海子さんと血の繋がる家族であるという事をどうか、誇ってください」

 

「そんな大袈裟な。でもまあ、分かりましたよ」

 

言いたい事は分かる。航平は頭を掻いた。そんな航平に対してくすりと笑うと、美波は「そうそう」と思い出した様に告げた。

 

「実は航平さんの他にも海子さんの手伝いをして下さっている方がいらっしゃるんですよ。ドラエモンさん」

 

他にも手伝いがいるじゃねえか。航平は少し不貞腐れた。本当に困っているのかと思ったら、まさか叱りつける為に呼び出したのか。

 美波が名前を呼ぶと、廊下から青年が現れた。随分と「モッサリ」した青年だった。歳は航平と同じくらいに見える。その青年は航平と目を合わせると、お辞儀して挨拶を始めた。

 

「どうも、お初にお目にかかります。僕は観音寺虎右衛門かんのんじどらえもんと申します。先祖代々、海子様ご家族“街守家”に仕えること早ウン百年。とうとう僕の代になって参りました。航平様、この虎右衛門は貴方にお仕えできて感激至極。身を粉にして働く所存であります。これからよろしくお願い申し上げ候」

 

「おお」

 

航平にはドラエモンとかいう、ふざけた名前の青年が語った話の半分も理解出来なかった。我が家族に仕えて「ウン百年」だと? 親は普通のサラリーマンだ。海子だって昔から寺の管理? とかいう仕事をしてるだけの単なる長生き婆さんだし。そもそも住職でも地主でもないのに寺の側に昔から住んでいて「寺の管理」をしている。これはどういう事なんだ。

 

「では、航平さん。身の回りの事やお手伝いの事はドラエモンさんに聞いてくださいね。私は海子さんとのお散歩がありますのでそろそろ……」

 

航平が訳もわからず沈黙していると、美波はあっという間にいなくなってしまった。残されたのは虎右衛門と航平の男二人きり。沈黙が続く。

 用が無いなら出てってくれ、航平がそう言おうとした時だった。虎右衛門が口を開いた。

 

「航平様」

 

「なんだよ」

 

航平が答えると、虎右衛門はいやらしい笑みを浮かべた。

 

「美波ちゃんに恋人はおりませんよ。因みに僕には愛する恋人がおりますので、の心配は無用であります。美波ちゃんは男らしい人がタイプとの事です。ぜひ筋力トレーニングに打ち込まれ、鍛え抜かれた『マッソウ』をご用意されるのがよろしいかと存じます」

 

「え?」

 

 かあ、と何故か身体が熱くなるのを感じた。それじゃあまるで自分が美波を好きみたいじゃないか。航平が抗議しようとすると、虎右衛門は「ではでは」とさっさと襖を閉めてしまった。

 なんであんな得体の知れない男まで一緒の家にいるんだ。

 

もう良い、今日は疲れた。

航平はまた布団に寝転んだ。




────第2夜に続く

  

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