足音を待っている

秋色

walking with her

「最近、夜中に怪しい足音が聞こえるの。今度聞こえたら、一度外に見に行って」


 そう母親に頼まれたのは、天気予報の前置きで「暦の上ではもう春」という言葉を聞くようになった頃。父親は仕事があるから夜中に起きれないし、もう高齢としだからって。

 高校卒業後に就職した会社を辞め、ニート生活のオレ。夜更かし族だった。

 この辺は静かな住宅街で、家のすぐ前の道は幅が狭いし、ここの住民以外はほとんど通らないはず。それも軍人のような歩き方だと言う。

 体格のいい男に違いない。強盗犯が下見に来てると想像すると、さすがにヤバい。いや、人間とは限らない。人外の可能性だってある。

 午前四時前後、その足音は聞こえてくると言う。



 一日目。足音が聞こえたから大急ぎで外に出たけど、すでに人影はなく。

 二日目。すぐに外に出られるよう、玄関近くでスタンバっていた。軍人みたいなカッカッという足音が聞こえ、すぐに外に出たけど、風が吹き、月の光が道を照らすだけ。

 継続力に欠けているのはニートだからだろうか。それにモチベーションも見つからない。だからもう深夜の足音の事は放っておく事にした。しばらく聞こえないって家族も言ってるし。



 深夜の足音について忘れかけていたある日、夜中にゲームをしていてどうしてもカップ麺が食べたくなった。表通りまで出れば、家から歩いて五分の距離にコンビニがある。散歩がてら行ってみようか。夜中の四時半という時刻は不気味だが。


 仕方がない。走って行こう。そして家を飛び出した瞬間、あまりにも唐突に、足音の主に出くわした。

 軍人のような勇ましい足音を響かせていたのは、ただの女の人。歩く速度が速いから「ただの」じゃない。自分より十才は年上だろうか。同じ夜更かし族なのか。いや、それにしては、ちゃんとしたコートを着ている。人外にしては、生活感にもあふれている。夜目にも分かる、きりりと整った輪郭のその人は、吸い込まれそうな瞳で、オレを睨んでいた。足にはブーツ。これが軍人みたいな足音の出どころか。


「いきなり道に飛び出してきてビックリするじゃない」


「スミマセン」


 怒ったような言い方。自分と同じく、大通りを目指しているらしい。歩いていると、相手はいきなり振り返った。


「まだ何か用?」


「いえ、自分もこっち方面に用があるんです。コンビニへ行こうと思って」


「そう」


「お姉さんはどこへ?」


「君に関係ある?」


「いえ、ありません。でも最近、夜中に通りを勇ましく歩く足音が聞こえてくるって家族が心配してて。ウチみたいに住宅街から引っ込んだ所に住んでいると、知らない人が通るだけで不安になるんですよ。ましてや夜中だと。人が寝てる時間ですからね」


「そぅ……。ごめんなさい」と急に申し訳無さそうな顔になった。


 二人で歩く細い路地は、すぐ横に近所の家の庭があって、梅の木がもう固い蕾みをつけている。いつか子供の頃に見たカンフー映画のように、このお姉さんが梅の木の精だったりして……などと人外の可能性をまだ捨てきれていない。


 大通りに出ると、眩しいコンビニの光が眼に飛び込んできた。

 コンビニでカップラーメンを買って帰ろうとしたら、さっきのお姉さんが「あの、お詫びにこれをあげる」とエメラルドマウンテンの缶コーヒーを僕に差し出した。いつの間にコンビニで買ったんだろ。

「私、ここのバス停からバスに乗るんだ。ここにに来るのに、あの細い道が近道だから、最近通ってたの。うちの近くのバス停から出るバスはダイヤ改正で、うんと少なくなったから」


「こんなに朝早くですか?」


「ええ。勤務先が移転してね。ほら、前そこにあった市立病院が移転したでしょ?」


「だったっけ? 病院には縁がないので」


「私、そこの看護師なんだけど、移転して遠くなった上に、最近、院内の委員会に加わっててそのレポート書いたりしてるの。朝早く行って、休憩室でその準備してるから、いっそう朝が早いのよ」


「そういう事かぁ。やっぱ勤務先が移転したからってさすがに引っ越しまでしませんよね」


 オレは、コンビニで用を済ませたのに、お姉さんが気になって、一緒にバス停にいたのだ。


「別にもっと近い場所に部屋を借りても良かったのよ。

 でもこれをきっかけに仕事辞めようかなーって思ってたから。だから辞めるまでとりあえず頑張ろって思ってたんだけど。そうしたらやっぱり未練があったの、病院に。ずっと働いてたから、色んな思いが詰まってたのね」


「でなきゃこんなに早く出勤したりして頑張らないですよね?」


「ゴメンナサイね。みんなが寝静まってる時間にカツカツ足音を響かせてしまって。明日からは足音を立てずに歩くわ」


「足音を立てずに……。かえって怪しまれます!」


「そうかなぁ。夜中だもんね。でもね、一つだけ言わせてもらうと、夜中だと思っていても、それは他の誰かにとっては違うのよ」


「えっ?」


「ほら、私がそうでしょ? 君の家では、みんな寝静まってても、私は職場に向かう所」


「僕は違う。夜中、家族は寝静まってても一人でゲームしたり、動画見たりしてるんだ」


「じゃさ、あっち見て。君ってあの子に似てない? パチンコ店の前に、ちっちゃな子が一人で遊んでるでしょ? あの子にとっては、長い長い一日の続きなの。親を待っていて、その親が帰ってくるまで今日という日は終わらないの。それに街角には十代の子が家に帰りたくないまま、お喋りしてる」


「気持ち、分かる。夜って寂しいから」


「じゃ、朝って思うといいよ。ほら見て」

 バス通りの向こうの公園には人影が見えた。


「あのお年寄りは毎朝、運動しているの。家だと物音がすると、家族から文句言われるので、公園まで来て運動をしてるみたい。若い頃は夜中って夜の遅い時間って感じだけど、年をとると朝の始まりって考えるものなのよね。 

 ね、この車の数、意外でしょ? 早朝にこうして出勤するようになって、夜中でも世の中動いてるんだーってすごく感じるようになったの」


 ――へえ。でもどうしてそれをオレに?――


 まるでオレの心の声が聞こえたように彼女は言う。


「なんでこんな事、話しちゃってるんだろ。私の離れて住んでる弟を思い出したからかもね」


「弟?」   


「うん。あ、バスが来た。じゃ、またね」


「ハイ。あ、あの、缶コーヒーをどうもありがとうございました」


 そうして彼女がバスに乗り込むのを見送ったオレは、踵を返して帰ろうとした。その時、角の建物の明かりに気が付いた。ところどころ、窓から照明が漏れている。あれは……市立病院。なんだ~。移転したって言ってたけど、ちゃんと市立病院の建物に明かりが点いてるじゃん。いや、待てよ。って事はあの女性ひとは嘘をついていた? いややっぱこの世の人じゃないのか? 人外なのか?




 *



 そんな事があって一週間。背中に冷たいものを感じながら、喪失感に打ちひしがれながら過ごしていた。たまらなくなり、幼なじみのヒロユキに打ち明けた。


「……というわけなんだ。ここでその女性ひとと別れたんだ。オレ、幻を見たのかな」


「きっとな」


「信じてくれるん?」


「ああ」


「オレが世にも綺麗な幽霊を見たって事」


「それはどーかな。お姉さんがユウレイなんじゃなくって、市立病院の建物が、だよ。よく見てみ」


 角にある建物は、明かりなんか点くはずもない、朽ち果てた、ここしばらく人がそこにいた気配のない瓦礫だった。

「建物が幽霊だったのか」


 オレは、お姉さんの言っていた「色んな思いが詰まってたのね」という言葉をボンヤリと思い出していた。


 あれから夜中の足音が聞こえてくる事はなくなった。お姉さんが配慮してくれているのだろうか?

 でも通り過ぎている事に気付けないじゃないか!……と勝手な文句の一つも言いたくて。あの人が幽霊でなかった……その事実に救われている今だから。



〈Fin〉








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