食い意地の張ったうさぎの案内

葵月詞菜

第1話 食い意地の張ったうさぎの案内

一.

 ふと目が覚めた。

 ——今夜はこの日だったか。

 普段は夜中に目が覚めることなどないのだが、たまにその日はやって来る。忘れた頃に突然に。

 ぼんやりとした感覚もなく、さっきまで寝ていたことが嘘のように頭も目も冴え渡っている。

 

 そして一番不思議なのは、この時の自分はどこかことだった。

 

(私はレイ。それは確かなんだけど——)

 何か、どこか違和感がある。

 例えるなら、今ここにいる自分は夢の中にいる幽霊みたいな存在で、実は全く別の世界に実体がいるような。

 今までの経験上、こうなっては朝まで眠れない。なぜか昼間眠くなることはないので、恐らくただの不眠症ではないだろう。

 レイは早々に諦めて布団から出た。このまま横たわっているのもしんどいだけだ。

 

 カーテン越しに入ってくる月明かりに部屋の中が浮かび上がっている。目いっぱいかわいいを集めた心安らぐはずの部屋も、今は特に心動かされない。

 このままじっとしているのも不安で、気を紛らわせようとカーテンを捲ってみた。天気とタイミングが良ければ月が見えるはずだ。

 期待した通り、暗い空にぽっかりと月が浮かんでいた――のだが。

 

「ん?」

 

 レイの視線が上から下へと移動した。

 雑草の生えた庭に一匹のうさぎがいた。

 このあべこべ兎鞠とまり町では、あちこちでうさぎの姿を見ることができる。住人たちはそれに対して何も不思議に思わず、当たり前のように過ごしている。

 だから今みたいに庭で目撃しようがおかしいことではないのだが、そのうさぎは短い両手に饅頭みたいな丸っこいものを持ってむしゃむしゃと食べていた。傍に置いた籠にも同じ饅頭らしきものが山と入っている。

 

「食い意地の張ったうさぎね……」

 

 呆れたように見ていると、ふいにうさぎがこちらを見上げた。そしてなぜか嬉しそうに笑った——気がした。

 

「?」

 

 明らかにレイを見ている。こちらを認識している。

 今まで見てきたうさぎの中で、嫌に人間味のある個体だった。

 

(あのうさぎ何なのかしら)

 

 特に気持ち悪さや不気味さは感じられない。それ以上に大きな興味に負けて足が階下に向かっていた。

 どうせ一人で朝まで寝ずに過ごさなければならないのだ。それならいっそ気になることに首を突っ込んでみようと思ったのだった。 

 こんな真夜中に部屋を出て、あまつさえ外に出るなんて普段からは到底考えられない。

 まずこの『うさぎ壮』の管理人である兄弟が許してくれないだろう。

 

「レイ?」

「!」

 

 玄関前で呼び止められたレイは思わず首を竦め、今の時間帯に彼が起きていることに驚いた。


「……まだ起きてたの、トキ」 

 

 管理人の兄の方だった。

 自分のことを棚に上げて、すっとぼけるように訊ねる。


「ああ、さっきまで明日提出の課題を仕上げていたんだが――お前はこんな所で何をしているんだ? 寝惚けて手洗いの場所を間違えたのか?」

「……まさか」


 ここで「そうね、うっかりしてたわごめんなさい。そしておやすみなさい」と言って部屋に引き返すこともできただろう。むしろその方がスムーズに解放されたに違いない。

 だが今はそれよりも、外に出て庭のうさぎに会いたいと思う気持ちの方が強かった。


「ねえ、庭にうさぎがいるみたいなのよ」

「うさぎ? まあ、この町では珍しくもないだろう」


 トキが小首を傾げたのは、うさぎが庭にいることに対してではなく、レイがそれを気にしていることに対してのようだった。


「ちょっと気になるうさぎなんだってば。ね、トキも一緒に見に行こうよ」


 こうなったら巻き込んでしまえ。

 レイが若干強引に彼の腕を引くと、トキはその勢いに負けて足を動かした。


「ナコならともかく、お前はそんなにうさぎに興味なんてなかったんじゃないのか」

「だから余計に気になるんじゃないのよ。あのうさぎ、庭で饅頭をむしゃむしゃ食ってたのよ」

「はあ?」


 二人で庭に回ると、果たしてそこには先程のうさぎがまだいた。

 レイの姿を見付けて目を細めたところを見るに、もしかしたら自分を待っていたのかもしれないと思う。

 うさぎはレイの隣にトキがいることに少し驚き、次の瞬間彼に向かって大きく飛び跳ねた。


「うおわっ」


 トキが胸の前で抱きとめると、うさぎは満足そうな顔になっていた。


「ちょっと待ってよ。さっきまで私のことを見てたのに何でトキの方に行くの」


 トキは普段から動物の類に懐かれやすい性格である。だが今回は先に目をつけたのはレイだと悔しい気分になった。

 うさぎはまたどこから取り出したのか丸い饅頭にパクリと食いついた。


「本当だ。饅頭食ってる」

「でしょ!?」


 トキが目を丸くし、レイもその事実を再認識した。

 咀嚼を終えたうさぎはトキの腕から降り、道路に向かって走り出した。門の手前で振り返り、腕を上げる。


「まさか呼んでる?」


 レイとトキは顔を見合わせた。

 レイが「これは行くしかないでしょ!」と目で訴えると、トキは溜め息とともに「仕方ないなあ」と呟いた。と言いつつも彼も気になっているに違いない。


 こうしてわけが分からないまま、レイとトキはうさぎに導かれるようにして深夜の散歩に出かけることになったのだった。



二.

 昼間に比べると恐ろしいくらいの静けさだ。

 交通の音が全く聞こえて来ない。町全体もほとんどの照明が落ちて眠りについているようだった。さすがにこの時間、出歩いている人の姿もない。

 静かすぎて、自分たちの靴音が嫌に耳につくくらいだ。

 だから自然と声もひそひそ声になってしまう。


「あいつ、どこに向かってるんだ?」

「こっちって商店街とは逆の方よね……?」


 夜の道は、昼間の景色と全然違う。よく見知った場所でも全く知らない所にいるような錯覚がする。

 うさぎは二人の数メートル先を行っていた。たまにレイたちがちゃんとついて来ているかを確認するように振り返る。

(これはトキを巻き込んで正解だったかもしれない……)

 彼がいなければ、レイはこの暗い町を一人で追いかけなければならなかった。


「ところでレイ、お前は――」


 トキが何かを言いかけた時だった。ふいに目の前が明るくなった。

 辿り着いたのは公園で、そこには――


「何これ!?」


 思わず声を上げて口を大きく開けてしまった。

 公園の中には多くのうさぎが集まっていた。もしかしたら町中のうさぎが集まっているのではと思ってしまった。

 さすがのトキも隣で呆然と突っ立って、目の前に広がる光景をただ瞳に映していた。

 公園の中にぽつぽつと置かれた灯篭。その間にうさぎたちが思い思いに集まって、一緒に何かを食べたり話したりしている。

 まるで人間が花見や打ち上げで集まった時のような風景だった。

(ちょっと頭の処理が追い付かないんですけど……)

 そろそろレイの頭も理解を諦めてぷすぷすと煙が上がり始めた頃、一匹のうさぎが足元にやってきた。あの、饅頭らしきものを食べていたうさぎだ。


「どうぞ中へ。今晩起きている人間の方は稀ですので」

「え?」


 喋った。レイは思わずトキを振り返った。彼は困ったように眉を八の字にして首の後ろに手を遣った。


「んー、もう何も考えない方が良いような気がしてきた」

「……同感」


 レイも頷いて、先程のうさぎの後について公園の中に入った。

 レイたちが通るとそばにいたうさぎたちは穏やかな表情で軽く会釈をしてくれる。よく分からないが、反射的にこちらも同じように会釈を返していた。

 先程のうさぎは饅頭の入った籠を持って来て、「どうぞ」と勧めてくれた。トキが先に食べたのを確認して口をつけると、もっちりとしてなかなかに美味だった。中のあんこは少し芋が入っているようだった。

(一体これは何なんだろう)

 うさぎたちは別にレイやトキに話しかけてくることもなく、彼ら同士で交流を楽しんでいる。

 饅頭を持って来てくれたうさぎだけが、レイたちのそばで相変わらずむしゃむしゃと饅頭を食べ続けていた。この小さい体のどこにこれだけの量が消えていくのだろう。そもそも饅頭を食べて大丈夫なのか?


「はは。なんかこのうさぎを見てるとナコを思い出すね」


 トキが笑うのを聞いて、レイも確かにと納得してしまった。

 同じ『うさぎ荘』に住む中学生の少女もまたブラックホール並みの胃を持っているのだ。だが、彼女がおいしそうに食べているのを見るのは好きだった。

 しばらくうさぎたちをぼんやりと眺めていると、ふいにトキが訊いて来た。


「それで、レイは本当は何で起きてたんだ?」


 レイは彼の方を見ずに、遠くで踊るうさぎを見ていた。


「――トキは、この世界は何なんだろうって思うことある?」

「……というと?」

「こんなことを言ったらおかしいと思われそうだけど、たまに私は、自分は実は違う世界で全然違う人生を送っているように感じることがあるの」


 無表情かつ無感情にレイは言う。


「今だって、目の前で繰り広げられている光景は現実?」


 トキは少しの間考えるように黙り込み、やがて柔らかい口調で言った。


「そうだなあ。実はそうなのかもな。俺だってたまにこの世界に違和感を覚えることがある」

「トキでも?」


 想像していなかった言葉に驚いて、今度は彼の方を見た。

 トキは饅頭を頬張り続けるうさぎを見つめて微笑んでいた。


「幸せな時ほど特にな」


 トキの言葉にレイはさらに驚いた。自分とは全く違うトキでもそう思うことがあるのか。

 だがレイの中にある「違和感」は、少し特殊だった。レイもどう伝えたら良いか分からないが、彼が本当に同じ気持ちを共有しているかどうかも分からない。

(――そう、この違和感はやっぱり――)


「みなさん、夢を見てらっしゃいますからね」


 饅頭を食べていたうさぎが口を開いていた。レイは目を見張る。

 うさぎはそのまま続けた。


「この町とこの世界は、一人の少女が願った夢が形になったものなのです」


 それは一体どういうことなのか。レイの頭では意味が理解できなかったが、自分の体のどこかでは納得しているように感じた。


「私たちうさぎは、その少女の夢を形作る要なのです。こうして定期的に集いを開くのはそのためです」


 すでにうさぎが何の話をしているのか分からない。ただレイの耳を通り過ぎて行く。

 うさぎが改めて、レイとトキをじっと見つめた。吸い込まれそうなほど黒く深い瞳だった。


「私たちのこの集いを知る者はおりません。――そして、この日に起きている方がいたなら、それはその少女にとって特に思い入れのある方ということです」


 つまりそれは、レイとトキのことだろうか。

(もしかして、今まで私が夜に目覚めた日はこうしてうさぎたちが集いをする日だったんじゃ……)

 しかし、だとしたらトキはどうなのだろう。

 レイがはっとしてトキを見ると、彼は何とも言えない渋面をしていた。


「トキ……? もしかしてトキも寝れない日があった……?」

「……まあな。なるほど、そういうことか」


(一緒のことがトキにも起きていた……?)

 レイの頭はさらに混乱を極めていたが、逆にトキはうさぎの話に何か納得するものがあったらしい。理解したという顔であったが、なぜか少し寂しそうな表情をしていた。


「――これが夢なら、他に現実があるということだな」


 トキの言葉に、うさぎが小さく頷いた。


「ちょっと待ってトキ。それは一体どういう意味――」


 詳しく訊こうとして、くらりと眩暈がした。

 気付けば周りに灯っていた明かりが消えていた。うさぎの姿が見えなくなる。

 急な不安に襲われたレイの手を、誰かが握ってくれたのが分かった。

 きっとトキだろうと思ったのだが、そばで聞こえた声は聞き慣れた、幼くて鈴を転がすようなそれだった。


「レイ、トキ。この世界ではどうか一緒に生きて」


 真っ暗な視界が回復することはなく、レイの意識はそのまま遠くなった。



三.

 目覚めると、ベッドの上にいた。

 昨夜は夜中に目が覚めた日だったような気がするが、再び寝てしまったのだろうか。

 そういえば食い意地の張ったうさぎが出て来て、トキと一緒に追いかける夢を見たような……。

 レイは不思議な気分で起き上がり、カーテン越しに明るい日差しを受け止めた。

 朝日に照らし出された部屋は今日もレイの大好きな「かわいい」に溢れている。今度バイト代が入ったら、次は何を迎え入れようか。

 お腹が鳴ったのを合図に着替えて階下の食堂に向かうと、早くも朝ごはんの準備をしているトキがいた。他の二人はまだ寝ているのか姿が見えない。


「おはよう、トキ」

「おはよう。――よく眠れたか?」

「そうだ。ちょっと聞いてよトキ。昨日私変な夢みて――」


 すでに朧げになりつつある夢の記憶を引っ張り出しながら説明するレイに、トキはいつもの笑みを浮かべて耳を傾けてくれた。


「それは変な夢だな」

「でしょー」


 レイがマグカップに珈琲を淹れてテーブルに向かおうとした時、キッチンにいるトキの声が背中越しに耳に届いた。


「今が幸せなら、こちらが現実になるのかもしれないな」


 どこまでが夢で、どこまでが現実なのか。

 ただ、今目の前にあるマグカップは確かに温かく、レイは確かにここに存在している。

(本当に、この世界は何なのかしらね)

 考えてみても分からなかったので、レイはとりあえずそこそこ満足しているこの現実を生きていくことにした。


Fin.

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

食い意地の張ったうさぎの案内 葵月詞菜 @kotosa3

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ