最終話 生態マニアのノノさん
こう見えて大人だと自己紹介していた、どう見ても僕よりふたつみっつ年上なだけのお姉さんにしか見えないノノさん。
ただ童顔なだけなのかと思っていたけれど、それってもしかして。
「言っただろう? リスクを背負う覚悟もなく得られるものはないと」
光の点滅の間隔が少しずつ早くなる鍵を握りしめたまま、ノノさんは笑って上空へ目をやった。
つられて顔を上げると、シロキャワチョウがふわふわと飛んでいる。
「……私のいた世界は、ここに比べればかなり文明が発達していてね。おかげで便利でもあったが——虫や動物、植物たちはずいぶんと少なくなってしまった」
シロキャワチョウと畑と僕をゆっくりと順番に見ながら、独り言のように溢すノノさん。
忙しない点滅を続ける黄緑の光は、気付けばノノさんの足元にも散っていた。光の砂埃といったふうなそれは少しずつ上のほうへ巻き上がっていっているように見える。
「それでも、いなくなったりはしていない。手を変え品を変え環境に適応し、足掻きながら生きている」
慣れたものなのか、ノノさんは徐々に這い上がってくる光の粒を一瞥もしない。
落ち着き払ったその態度に感化されたのか、それは分からないけど——とんでもない光景を目にしているはずなのに、そんなことよりノノさんの言葉を聞き漏らさないようにと僕は長い耳をまっすぐ立てていた。
「というか生き物たちは元からみんなそうなのさ。皆が想像しているよりも彼らは強いよ。ただ食い荒らされるだけに見えるキャロールだってそうだ」
ノノさんの視線が畑の上に落ちる。
動けない植物なんだから当たり前だけれど、ただ無抵抗にシロキャワチョウ幼虫に齧られているだけにしか見えないキャロール。
なんとも愛おしげな目を向けて、ノノさんは言った。
「シロキャワチョウの幼虫に卵を産みつけるなんて局所的な生態を持つハラキリコツブバチが今ここにいるのは、偶然なんかじゃない。シロキャワチョウに齧られたキャロールは特有の揮発物質を放出する。ハラキリコツブバチはそれを感知して飛んできたんだ」
「つまり……キャロール自身がハラキリコツブバチに助けを求めたってこと?」
「その通り。それだけじゃなく、キミが苦手と言っていた辛みもキャロールが持つ武器だ。昆虫による食害を避けるための軽度な植物毒の一種だね。もっとも、それを解毒する
ええと。
まとめると……キャロールは元々、虫に食べられにくいように毒を持ってたけどシロキャワチョウはそれを無効化してしまう力を持っているから食べ放題。
だからキャロールは何とか生き延びようとして、シロキャワチョウの天敵であるハラキリコツブバチを呼ぶ物質を放出するようになった。って、ことなのかな。すごい、そんなことしてたんだキャロールって。いやシロキャワチョウも毒が効かないとか案外強いなあ。
なんて頭の中でノノさんの説明を整理してひとり頷いていたら、光の粒がついにノノさんの全身を取り巻いてしまった。
うっすらとノノさんの後ろの景色が透けて見える。
ああ、もう行っちゃうんだ。言ってることの半分も理解できなかったし突拍子ない行動するし、大変だったけど——困ってた僕を助けてくれた。
もっとノノさんの話を聞いて、僕も勉強したかったのに。
「ルリくん」
別れの言葉なんて咄嗟に出てこなくて、頬の毛を引っ張りながら口を開けたり閉じたりするしかない僕にノノさんは。
「日々食って食われてを繰り返している彼らは、そう簡単に死滅しない。あまり心配しすぎず、ほどほどに傍観して——私が愛する彼らの生態を、生きる力を信じてやってくれ」
そう言って手を振った。
名残惜しむでもなく、清々しいほどに綺麗な笑顔で。
それなら僕もあたふたするのはやめて、ただすっぱりと頷いてみせよう。
「うん! 分かったよノノさん、いつかまた——」
「あっ! もしまた会えたらアレだ、ロールキャベツ……じゃない、なんて言うんだここでは? ロールキャロールでいいのか? 二度巻きするみたいな響きになってないか? いやまあいいや、とにかくそれをキミが育てたキャロールで食べた——」
…………実に色気のない大騒ぎをしながら、ノノさんは渦巻いた光の中に消えていった。
さよならとも言われなかったし言わせてももらえなかったんですけど。
最後まで、ノノさんはほんとノノさんだったな。脱力したけれどそれ以上におかしくって、腹の底から大笑いしてしまう。
ひとしきり笑い終わったら、母さんを呼んでさっき聞いた話をしてあげよう。
それからキャロールの隣にチェシャーリーフを植えて、家庭菜園を仕切り直すんだ。
いつかまたやってくるかもしれないノノさんに、僕らが育てた美味しいキャロールを食べてもらうためにもね。
◆ ◆ ◆
季節は巡って、また春がやってきた。
「うーん……」
冬の終わりに苗木を買ってきて植え付けたばかりのハニマルシトラスはまだ小さくて、僕の腰くらいまでしかない。
それでも買ってきたばかりの頃よりはずいぶんと大きくなってくれて、暖かくなってきてからは濃い緑の葉っぱをたくさん繁らせてくれていた。のだけど。
「……これはちょっとなあ……」
目の前にあるのは、僕にとっては目を背けたくなるほど悲惨な光景。
指の太さほどはあろうかという黄緑の、黒とか白とか妙な模様が入った大きなイモムシたちがバリバリと葉を貪っている。
その食欲たるや、身体が大きいせいかシロキャワチョウ幼虫より凄まじい。特にハニマルシトラスの木がまだ若木で小さいせいで、あっという間に致命的なレベルにまで食害されてしまう。
しかもこいつらは摘み取ろうとすると、きつい匂いのする黄色いツノを頭からニュッと突き出して威嚇してくるんだ。イモムシのくせして、大人しく摘まれてくれたシロキャワチョウ幼虫を可愛く思えるほどに気が強い。
「ううーん……とりあえず、匂い我慢して水に落とすかあ……」
身体が大きいおかげでシロキャワチョウ幼虫よりは捕まえやすいのが不幸中の幸い。まあ、触ると例の臭いツノ出してくるから手も臭くなっちゃうんだけどさ。
これが毒針とかもないこいつらの戦い方なんだろうなあと考えれば、それくらいこっちも耐えないとね。
駆除作業から先にして、そのあとドーモ・コロシの植え付けを始めなきゃ。そうだ、キャロールもそろそろいくつか収穫しないと……。
「やあ、だいぶ背が伸びたね」
頭の中で今日やることを組み立てながら、バケツに水を入れに行こうと踵を返した僕の視線の先にいたのは。
聞き覚えのある声に、思わず耳がピンと立つ。
縄みたいに長い一本三つ編みに大きな黄緑の瞳の、小柄ながら堂々たる立ち姿。首から下げた金の鍵が朝日を反射して眩しい。
「——成長期だもん。たくさん食べたし、大きくもなるよ」
「喜ばしいことだ。では再会を祝して、私にもたくさん食べさせていただきたいところなのだけれど。ほらあの、キャロールロール」
「それさあ、何のことなのか分かんなくてけっこう悩んだんだよ。ノノさん巻くとか言ってたし、もしかしてと思ったけどキャロールボールのこと? コッコヘビの挽肉をキャロールで巻いてチョマチョソースで煮込んだやつ」
「おお、きっとそれだ! なるほどキャロールボールというんだね!」
「ちょうど今からキャロール収穫するつもりでいたし僕も料理の腕あげておいたからさ、とっておきをご馳走してあげるよ。でもその代わり」
思わせぶりに言葉を止めて後ろのハニマルシトラスをちょっとだけ振り返る僕に、黄緑色の目がキラリと光った。
モリモリとハニマルシトラスの葉を齧り続けるイモムシを指し示して、僕は首を傾けて見せる。
「ちょっと困ったことになってて。あの子たちの生態も見て、僕に教えてくれる? ——生態マニアのノノさん」
「もちろん。お安いご用だ、ルリくん」
一年前と何ひとつ変わることのない笑顔で、ノノさんは頷いてくれた。
◆ 完 ◆
異世界渡りの生態マニア〜傍観ときどき救世主〜 陣野ケイ @undersheep
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