第四話 コンパニオンプランツに感心してる場合じゃなかった⁈

 昨日父さんの書斎で読んだ本にも理解しようとすることを放棄するなって書いてあった。

 父さんの本棚には生き物の本はあんまりなくて、海や造船についての本以外には歴史の英雄に学ぶやる気を出す言葉とかが載った本ばかりだったからついそれを読んじゃってただけなんだけど。


「ご、ごめんノノさん。それで、えっと……このハチが僕らの味方っていうのは……」


 ちょっとのあいだ黙って待っていてくれた様子のノノさんは、僕がそう言ったのを聞いて微笑んだ。


「つまりね、ルリくん。このハラキリコツブバチはシロキャワチョウの幼虫を幼虫のままで食い潰してしまう。成虫になれなかったシロキャワチョウはもちろん、子孫を残すことはない」


 人差し指をくるくると空中で回し「ということは?」と僕へ首を傾けて見せる。

 そこまで話してくれれば、僕にも分かった。

 答えが頭の中に閃いて、耳がピンと立つ。


「シロキャワチョウが増えるのを防いでくれるんだ!」

「正解!」


 拍手までされたら悪い気はしない。ちょっぴり誇らしい気持ちになると同時に、ノノさんがこの子たちを大切にしなさいと言っていた意味を理解した。

 知らなければ同じ虫として一緒くたに駆除しなきゃと思っただろう。

 けれどハラキリコツブバチ、この子たちはシロキャワチョウがこれ以上増えるのを防いでくれる存在なんだから絶対そんなことをしちゃいけないんだ。


「今日から、この子たちを見つけたら追い払ったりせず好きにさせてあげなさい。大発生したシロキャワチョウを抑止する鍵になってくれるだろう」

「分かったよ。……ねえ、ノノさんの世界にもやっぱりこういうハチがいるんだよね?」

「無論。アオムシサムライコマユバチと言ってね、姿も生態もよく似ている。違う世界であってもこうして似た進化をし、関係し合っている生態を見ることができるなんてと私は感動しているよ……と、それから」


 立ち上がったノノさんはそのまま畑の端の方へと歩いて行った。

 目で追いかけていると、隅に置いていたらしい木箱を抱えて僕の隣に戻ってきてちょこんと座る。何だろう?


「苗?」

「そう」


 そこに入っていたのは植物……いや野菜の苗。

まだまだあまりにも若々しくて小さいから一瞬なんだろうと思ったけど、葉の感じと香りで分かった。これ、チェシャーリーフの苗だ。

 水分多くてシャキッとして苦味があって、水洗いしただけでサラダにもよく入ってるけどやっぱり僕は生食があんまり得意じゃないからスープにしたほうが好きな野菜。


「私たちの世界にあるレタスという野菜によく似ているけど、ここではチェシャーリーフというらしいね」

「うん、そうだよ。母さん、それもそのうち育てたいって言ってたなあ。この苗どうしたの?」

「朝イチちょっとお散歩に出た時にね、ご近所さんの畑にあるのをお見かけしたので除草作業と引き換えにとお願いしてお裾分けいただいた。しかし普通に無償で分けてくださろうとするから驚いてしまったよ」

「ご近所さんにも馴染んでたの、ノノさん……」


 朝ごはん前、散歩から戻ってきたノノさんの手や靴がやたら汚れていた理由が今わかった。結局雑草抜きのお手伝いしてきたんだろうなあ。

 いやまあそれはさておいて、なんで今チェシャーリーフの苗を?

 苗をひとつ取り出して素直に首を傾げる僕に、ノノさんは人差し指を立てて見せる。


「私たちの世界には、コンパニオンプランツという言葉があってね。違う種類の植物を混植することで成長を促進させたり、病気や害虫を抑えたりする効果を持つ組み合わせのことを言う」

「そんなのあるの⁈」

「あるとも。例えば昨日のオムレツサンドに使われていたソースのトマト……じゃない、チョマチョだったか? あれとバスィルなるハーブとの組み合わせは鉄板らしいね」

「あ、うん……昨日のソースにも入ってるよ」

「やはり。そんな風味がしたよ。あれが私の知るトマトとバジルなのだとすれば、その二つもコンパニオンプランツだ。バジル……いやバスィルは水分が多い環境を好み、チョマチョは水分が少ないほうが甘味が増す。その二つをそばに植えると積極的に水を吸うバスィルによって土の中で水分が調整され、適度に乾いた土だと甘く育つチョマチョにとっても理想的な環境が仕上がるというわけだ」

「へえー……!」


 ひたすら僕は感嘆の息をこぼすばかり。……そんなものがあるなんて、世界はよくできてるなあ。

 しかも食べ合わせても相性がいいんだからチョマチョとバスィルはすごい。これは後々一緒に植えることを母さんに提案しよう。

 ……で、それはさておき。


「ということは……チェシャーリーフとキャロールはどんな関係なの?」


 積極的に聞きにくる僕に、ノノさんはどことなく嬉しそうだった。


「よくぞ聞いてくれたルリくん。チェシャーリーフは一見キャロールとよく似た葉物野菜と思われがちだろうが、ええと……そうそう。キャロールはアララナ科、チェシャーリーフはムム科とまったく違う植物だ」


 言いながら、ノノさんはチェシャーリーフの苗の葉先をちょっとだけ破った。

 途端にチェシャーリーフの香りが強くなる。


「キミはきっと私より強くこの匂いを感じているだろう。実はね、この香りがチェシャーリーフがキャロールのコンパニオンプランツたる所以だ」


 香りが?

 僕は首を捻る。確かに独特の香りではあるけど、でも特別香りが強すぎることもないし、変な匂いでもないし……。

 口を尖らす僕を見てちょっと笑って——ノノさんは人差し指を立て直した。


「なんとシロキャワチョウはチェシャーリーフの香りを嫌うんだ!」

「えっ! ……てことは、つまり」

「そう! キャロールとチェシャーリーフを混植すれば、チェシャーリーフの芳香を嫌うシロキャワチョウは自然と近付きにくくなるというわけさ!」


 なるほどそういう手があるのか……!

 チェシャーリーフと一緒に植えるだけであの白い悪魔が寄り付かなくなってくれるのなら植えない手はない。

 それでもめげずにしつこくやってきたシロキャワチョウがキャロールに卵を産んでしまったら、そのときはハラキリコツブバチにも助けてもらえばいいんだ。


「キミもいま考えていることだろうが、対策を二段構えにしておくにこしたことはない。そのほうが成功率は高くなるからね」


 頭の中で納得して自然と笑顔になってしまっている僕を見て察したのか、にまにまと笑うノノさんがそう言って立ち上がった。

 ……あれ。

 気のせいか、首から下げてる鍵の宝石が……淡く光ってるような。


「あとは防虫ネットのようなものもあれば完璧なのだけれど……ま、うまいこと彼ら彼女らと共生してくれ。キミのその真面目な性格なら、そうやって対策を整えていけば美味しいキャロールを育てることができるだろう」


 日の光を反射してるのかなと思ったけど、目を擦って改めて見てみてもそうじゃない。

 ノノさんが喋っている間にも光は強さを増していく。


「の、ノノさん。それ」

「おや」


 僕の指差す先、胸元の鍵を見てノノさんは光る宝石と同じ色の目を丸くした。


「そろそろだろうとは思っていたが、今か。次の扉を見つけたようだね」

「次の、扉? えっ、なに、どういうこと」

「うーん。どう説明したものか……」


 足元に置いたチェシャーリーフの苗が入った木箱をそっと自分の側から離して、ノノさんは顎に手を添える。

 初めて会ったとき、ノノさんはあの鍵を使って僕の世界に来たと言っていた。その鍵がひとりでに勝手に光って、扉を見つけたってことは……つまり、どういうことなんだろう。

 なんて考えていると、強くなった光はついに夏の夜に飛ぶホシツブムシのお尻みたいにチカチカ点滅しだした。

 見ていると不思議と急かされているような気分になる。


「この鍵はね、私が発明したものなんだ。前に言ったように、他の世界の生態が見たかったその一心で……徹夜を繰り返してお肌と内臓をバカみたいにボロボロにして完成させた」


 なのに、ノノさんはのんびりした口調。

 昔のことを懐かしむように遠い目で、鍵をいじり回しながら僕からも一歩離れる。


「そうして、異世界渡りの力を手に入れたまではよかったんだけどねえ。残念なことにこの鍵、よその世界への扉を開くタイミングも行く先の世界がどんなところになるのかもいつも適当で、意図して私が選ぶことはできないんだ。おまけに一方通行で帰り道の扉は開けない。そういう機能を組み込むのを綺麗さっぱり忘れていた!」

「何でそんな肝心なとこ忘れるんですか⁈」

「いやあ……私にとっての新世界を見に行けるって喜びだけで頭がいっぱいで、ついねえ……」


 恥ずかしそうに頭をかいて見せるノノさんだけど、いや照れてる場合じゃない。天才とナントカは紙一重とか言うけど、まさにノノさんのことを言うんじゃない?

 それつまり、いつどこの世界に飛ぶかも分からない上に元の世界には帰れないかもしれないってことじゃんか!

 ここに来てからのノノさんは生態に興奮する以外ではずっと落ち着いていたから、よその世界に来たって言っても帰る算段が普通にあるんだと僕は思い込んでいた。

 それがまさか、二度と家に帰れない旅の途中だなんて。


「そんな心配そうな顔をしないでくれよ。世界が一体いくつあるのかは分からないが、その中から毎回適当に選ばれるということはここにもまた来れるかもしれないし……もしかしたら、いつか元いた世界だって選ばれるかもしれない。その可能性もゼロじゃないのだからね」

「いやそれでも! もし戻れてもまたそのうち、次の扉を勝手に開いちゃうんでしょ⁈」

「まあそうなんだが……経験上、最短でも三日は留まらせてくれるから懐郷病を癒すには十分じゃないかな。今回はその三日めにルリくんの悩みを解決できてよかったなあ」

「いやいやいや! あ、そうか元の世界に戻れたらその鍵すぐ外して壊しちゃえば……」


 我ながらいいことを思いついたと思ったんだけど、ノノさんは「いや」とすぐ首を振った。


「これね、外せないんだよ。私の身体の一部も同然になってしまっているらしい」

「もはや呪具でしょソレ⁈」

「世界を区切る壁に勝手に扉を取り付け不法侵入しまくるなんて真似をしたから、神様にメッされてしまったのかもしれないねえ」

「笑ってる場合じゃないよ⁈」

「大丈夫大丈夫。そのおかげで私はずっと変わらない姿のまま、永遠にありとあらゆる生態を見に行けるのだから」


 ——それは。

 喉が詰まって、咄嗟には何も言葉が出てこなかった。

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