第三話 僕らの味方は小さな蜂?

 ——あれから、二日。

 ノノさんは本当に村の貸本屋に通い詰め、通りすがった村人を手当たり次第に捕まえて図鑑を音読してもらっているようでいつの間にか村民みんなノノさんを知っている状態になっていた。

 元々ニンゲン族が少ない村だし物珍しさもあったんだろうけど、そうでなくとも明朗なノノさんの評判はいい。母さん相手に発揮した会話術を遺憾なく奮っているらしい。……あと、僕の警告もちゃんと覚えていてくれたのかな。迂闊に違う世界から来たとか言わないほうがいいって。

 どうも集中するといろんなことを疎かにしてしまうらしいノノさんは下手すると朝から夕まで何も食べずに図鑑を見ているものだから、時々僕が古本屋に押しかけては引きずって家でご飯を食べさせていた。

 まったく、自称大人なのに世話が焼ける!


「まさか連日泊めてもくれるとは。私は普通に野宿するつもりでいたんだけどねえ」

「冗談でしょ⁈ 春だけど夜はさすがに寒いよ! ニンゲン族って僕らより寒さに弱いでしょ。母さんも是非って言ってるし、気にしないでよ」

「優しいなあ」

「ノノさん、家事手伝ってくれるし母さんも喜んでるんだよ。僕もほら、その……姉さんができたみたいでさ、楽しいし……」


 気恥ずかしさからもにょもにょするしかない僕。

 長椅子に敷いた布団に包まったノノさんは何がおかしいのかケタケタと声をあげて笑った。何だよもう!

 泊まってと言ってもさすがに僕の部屋でといかないから、急きょ客間に寝具を持ち込んでノノさんにはそこで寝泊まりして貰っている。

 ノノさんは大きな図鑑を抱えたまま布団の中にいる。文字は読めなくても取り敢えず絵を見るだけでも違うからと、貸本屋さんから一番分厚いのを借りてきたらしい。

 どうせ今日も夜遅くまで睨めっこしてるつもりなんだろうなあ。

 分かってたから、とっておきの夜食を持ってきた。サラダの次に僕が好きなキャロール料理。

 炒めたキャロールとコッコヘビの卵で作ったオムレツを、甘めのチョマチョソースと一緒に挟んだサンドイッチだ。


「ノノさん、今日も遅くまで勉強するんでしょ。だからはい、これ」

「お?」


 ノノさんのつるりとした手の上では、サンドイッチを包んだ紙はより大きく音を立てる。

 こういうのを見ると、僕らの体毛は音を消す力を持ってるんだなあなんて考えるようになってしまった。ノノさんの影響だろうなこれ。


「おお、サンドイッチ! ありがとうルリくん。なるほどキャベツ……じゃない、キャロールはやはり万能食材だね。こういう料理にもなるのか。ところでこの……卵のような食材は?」

「卵のようなも何も、卵だけど。コッコヘビの卵だよ」

「ああ! 昼に読んでもらったところに載っていたぞ。あの羽毛みたいなものが生えたふっといヘビか!」


 言うが早いか、ノノさんは素早く包みを開いてサンドイッチにかぶりつく。

 大口開けてもぐもぐ食べてくれるところを見るに、美味しいのかな。母さんにばっちり作り方教えてもらって良かった。


「ふむ……この滋味深いまろやかな美味さ、ニワトリの卵と遜色ない……それでいてウズラの卵のような濃さもある……。なるほど、この世界の卵はこれがスタンダード……。そしてこの赤いソースから感じる風味はトマトのそれ! にしてはやたら甘いが、不思議と合うな……」


 ノノさんはこうやって、この世界のものを食べながらも度々よく分からない独り言にまみれる時間に突入してしまう。

 時々出てくるニワトリとかトマトとかの言葉は、ノノさんが元々いた世界の生き物とか食べ物の名前なのかな。ちょっぴり響きが似てるようなそうでもないような、不思議な名前たちだ。


「気に入ってくれた?」

「ああ、もちろん。とても美味しいよルリくん!」

「それならよかった。あとでハニマルシトラスのジュースも持ってくるね」

「ハニマルシトラスとは」

「こう……丸くて小さい、黄色っぽいオレンジ色の……」

「要はミカンか!」


 ガバッと布団を脱ぎ捨てて、残りのサンドイッチを口の中に放り込んだノノさんはすごい勢いで図鑑のページを捲り出す。


「ミカンがあるならいるだろうアゲハチョウみたいなの! いやこの国には柑橘系を食べるアゲハはいないかもなのか⁈ どうなんだ⁈ 比較的温暖そうだからいてもおかしくないぞ!」

「……はあ」


 楽しそうだなあ。これは邪魔できない、と僕は踵を返すことにする。

 そういえばノノさん、植物と虫の関係性が好きで他の世界のそれも見たいって一心でここに来たんだっけ。そりゃ楽しいよね、色々調べるの。

 もちろんたくさん調べ物をしてくれているのは——どうも、シロキャワチョウに悩まされている僕らを助けてくれるつもりのようだから楽しいばかりじゃないのかもだけど。

 実際一日中ああやって本と睨めっこして、時々目頭押さえてたりするし……身体は疲れるよね。

 それなら僕は頑張ってくれているノノさんを支えたいし、教えてくれるだろうことをしっかり実績できるようにしなくちゃならない。

 ノノさんの考えていること、伝えてくれようとすることを少しでも正しく理解できるように。


「……僕も少し、お勉強しようかなあ」


 専門的なものはないかもしれないけど、何も読まないよりはマシだろう。今日はちょっぴり夜更かしすることに決めて、父さんの書斎に向かった。

 あ、ハニマルシトラスのジュースもってくの忘れないようにしなくちゃね。



 ◆ ◆ ◆



 三日目の朝。

 朝食を食べ終わったあと「ついておいで」とノノさんに呼ばれ、寝不足気味の目を擦って僕は席を立った。

 今日もいい天気なようで、要は洗濯物がよく乾くという内容の適当な歌詞の歌を母さんがご機嫌に歌っている。ノノさんのあとをついて家の外に出てみれば、清々しい朝の空気が少しだけ眠気を覚ましてくれた。


「ノノさん、どうかしたの?」


 行き先は畑だなと何となく分かったから、どこにとは訊かず何かあったのかと尋ねてみる。

 歩みを止めず、顔だけでちらっとこっちを振り返ってノノさんは右手の人差し指を立てた。


「待たせたね、ルリくん。ようやく説明できそうなのさ、シロキャワチョウからキャロールを守る方法が!」

「えっ……本当⁈」


 ついついぴょんとその場で飛び跳ねる。

 畑にシロキャワチョウが現れるたびに追いかけ回しておっぱらったり、地道につまんで放り投げたりする以外の方法を見つけてくれたんだ!

 わくわくしていたらもう畑についた。今日も今日とてさっそくシロキャワチョウが楽しげに飛び回っているけれど、取り敢えずそれはそのまんまにしておくとしてノノさんが説明してくれるのを待つことにする。


「実は、シロキャワチョウとキャロールが私のよく知るモンシロチョウとキャベツのそれによく似ていると気付いてからもう既にいくつか思い付いてはいたのだけどね。ただ、実際この世界にも“彼女ら”がいてくれるかどうかまでは確信が持てなかったものだから……」


 後半になるにつれ独り言の声音でそう言いながら、ノノさんはキャロールの前にしゃがみ込んだ。

 顔を近づけてまじまじと葉の上を観察するものだから、つられて僕も隣に座って同じように葉っぱを見る。ノノさんは何を見つけようとしているんだろう?

 あ、この幼虫けっこうもう大きいじゃないか。これくらいの大きさのやつ、すごい速さでキャロール食べちゃうんだよな。なんて思いながらそいつを摘み取ろうとしたら。


「あれ?」

「おっ!」


 僕とノノさんの視線と声が、キャロールの上で重なった。

 淡い黄緑の葉っぱの上に、それはもう小さな小さな虫がいる。

 小さい上に黒くて細くてまるでアリみたいだけど、形的にはどっちかといえばハチかな。透明な翅だけが朝日にキラキラ虹色に光ってて、これはこれで宝石みたいに綺麗だ。

 でも何でキャロールの上にハチがいるんだろう。ハチって花の蜜とか樹液吸ったりしてるんじゃなかったっけ……葉っぱは食べない、よね?


「ハラキリコツブバチ、だったか? 図鑑では見つけていたが、やはりアオムシサムライコマユバチによく似ているなあ」


 しみじみとそう言って、優しい目でハチを見つめるノノさん。

 ええと……すごい物騒な響きだけど、たぶん最初に言ってたのがこのハチの名前だよね。それで、そのあと言ってたのはノノさんの世界にいるコイツによく似たハチのことかな。

 こんな小さな虫にもよその世界にそっくりさんがいるんだと感心していたら「この子たちを大切にしなさい」とノノさんが言った。

 えっ、このちっさいハチを?


「コバエのようだからと言って追い払ったり駆除したりしてはいけない。この小さなハチはシロキャワチョウの天敵……つまりキミたちの味方だ」

「天敵? こんな弱そうなのに⁈」


 ハチっていうと大きくて危険なのもいるのは知ってるけれど、この……ハラキリコツブバチだっけ。コイツはとても強そうには見えない。

 そりゃシロキャワチョウだってめちゃくちゃひ弱そうだけど、その幼虫より小さいんだよこのハチ……?

 訝しげに見つめる僕を気にも留めず、ハラキリコツブバチは長い触覚で何やら葉っぱの上をちょんちょん触っている。何してるんだろこれ。


「シロキャワチョウの幼虫を探しているのさ。触覚で葉っぱを叩いて、その反響を感じ取ることで幼虫の居場所を特定する」

「へええ……。で、見つけてどうするの? まさかこんな小さいのに、シロキャワチョウの幼虫を食べちゃう……?」

「いや、卵を産みつける」

「は?」


 思わず素っ頓狂な声が出た。

 え、なに、怖い話?


「産みつけられた卵はシロキャワチョウ幼虫の体内で孵化し、その体液を啜って育つ。……まあつまり、食べちゃうという表現も間違っているわけではないのだが。そして大きくなると」

「……お、大きくなると……?」

「宿主たるシロキャワチョウ幼虫の身体を、ヒャッホー!とばかりに一斉に突き破って這い出してくる」

「うわあああああ!」

「多くてその数およそ八十匹」

「殺意高くない⁈」


 下手な怖い話よりおぞましいじゃん!

 耳の先まで全身の毛が逆立つのを感じながら、僕は頭を抱えてうずくまる。なんでそんな生き物いるの、怖い!


「ルリくん、話はこれで終わらないぞ。出てきたハラキリコツブバチの幼虫は穴だらけになったシロキャワチョウ幼虫の上で繭になり……」

「ああああああ!」


 飄々とそんな解説を続けるノノさんが怖いまである。あるけど。

 這い上がってくるゾワゾワ感についつい叫び声を上げたあと、僕は大きく息を吸った。一度、ちょっと、落ち着かないと……。

 そうだよ。ちゃんとノノさんの話、聞いて理解するって決めたじゃないか。

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