第二話 キャロール防衛最前線

「まあ、ノノさんは学者さんの卵なの! お若いのにすごいわねえ」

「ええ。植物学を中心に色々齧っておりまして……新しい発見を求めて旅をしていたところ、奥様がお作りになった菜園の愛情こもった造りに魅入られてしまいました。つい話し込んで、ご子息のお仕事の邪魔をしてしまい申し訳ない」

「とんでもない! そう言っていただけて光栄だわあ」


 並べたお皿に手際よく料理の盛り付けをしつつ、母さんはニコニコしている。

 家に入る前にしっかりスカートの土汚れを払ったノノさんは、お行儀よく足を揃えて食卓の席についていた。

 ……いや、あのあと盛大な腹の虫を響かせたノノさんを見かねて一緒にうちでご飯どうですかと思わず誘ってしまったのは僕なんだけども。そうなんだけど、何でこんな短時間で自然に僕の家に溶け込んじゃってるんだノノさん……。

 母さんも元々誰かとのお喋りが好きなもんだから、適当な嘘も得意で意外にもおだて上手なノノさんと会話が弾むこと弾むこと。

 とにかく菜園を褒めちぎられて、さっきから僕とおんなじ青い目をキラキラと輝かせている。

 僕はついついまた頬の毛を摘んで引っ張った。燻んだ黄色い毛のほうは父さん似。食事の好みもどっちかといえば僕は父さんに似ていて、例えば——


「あっキャロールとアプフールのサラダ! やった!」

「あなた、ほんとこれ好きよねえ。母さんはキャロールは生で塩とオレアオイルで食べるほうが好きだわー」

「なになに?」


 僕らのやりとりに興味を持ったのか、ノノさんが座ったまま首を伸ばしてこちらを伺う。

 母さんから受け取った白いお皿の中にたくさん盛り付けられているのは僕の大好物。さっと茹でたキャロールとすっきり爽やかな甘さのアプフール、それと香ばしいモルナッツをリモモン汁と塩と白ピッパーの粉で和えたサラダだ。


「僕はキャロールは茹でたほうが甘くて好きなんだよね。生も美味しいけどさ、ちょっとピリッとするから……」

「その辛みがいいんじゃない。まだまだお子ちゃまねえ」

「もう十二歳ですー!」


 からかってくる母さんに舌を出しつつ、じっとお皿の中を見つめているノノさんによく見えるようにサラダを少し傾けてあげた。

 ノノさんは生とこの温サラダ、どっちが好きかなあ。というか、違う世界から来たならまずキャロールだけじゃなく調味料とかも口に合うのかな……。


「ふむふむ……ちょっと、先にいただいてみてもいいかな?」


 おっ、どうやら味も気になるみたいだ。

 僕の好物に興味を持ってもらえたことがなんだか嬉しくて、どうぞどうぞと僕は急いで小皿にサラダを取り分けた。


「これはウチで採れたやつじゃなくて今朝市場で買ってきたやつだから、あんなひどい虫食いはないよ。安心して食べてねノノさん」

「お気遣いありがとう。ではお言葉に甘えていただきます……ふむ!」


 一口食べた途端、ノノさんがぱっと顔を輝かせた。


「これは美味しい!」

「ほんと? よかった!」

「この柔らかくもシャキッとした新鮮な歯触り、じんわりと奥深い甘み……やはり君たちの言うキャロールとはこちらで言うキャベツとほぼ同じか。それとこの甘酸っぱい爽やかな果物は……リンゴか? リンゴ系だな? こっちのナッツみたいなものは……うん、色も味もクルミに似ているな。味付けは塩、胡椒にレモン汁……とよく似ている……。なるほど……なるほど」


 ……言ってることの半分も理解できない。

 一口食べ進めるごとにぶつぶつ小声で考察めいたものを呟き続けるノノさん。いや美味しく食べてくれてるんなら何でもいいんだけども、キャベツとかリンゴとかクルミとかってなに……?

 よその世界から来たこともう、ちょっとちゃんと隠そうよ。下手なバレ方したら時と場合によっちゃたぶん大騒ぎだよ。

 って、なんで僕が心配しなきゃならないのか。

 他の料理も手早く配膳して、僕も遅れて食卓につく。最初に食べるのはやっぱりキャロールのサラダ。あーあ、早く自家製のキャロールで作ってもらいたいな。

 そのためにも何とかしなきゃならないのはシロキャワチョウたちだ……と、そうだ!


「ねえノノさん。さっきの話なんだけど」

「ん? 別の世界から来たって話?」

「あっ、ちょっ、わーっ!」


 またサラッと!

 慌てて咄嗟に大声を上げたけど、いつの間にか母さんは台所にいない。いつも料理終わりにそうしてるように、裏庭に野菜の皮とかを貯めに行ったみたいだった。あとで肥料に加工するためだ。

 とりあえず胸を撫で下ろして、僕は向かいに座るノノさんをジト目で見る。


「そういうこと、あんまり気楽に喋っちゃダメなんじゃないの? 信じてもらえなかったらこのニンゲン族アタマおかしいって思われちゃうよ」

「それならそれでいいさ。遠巻きにされたほうが好き勝手に生態観察しやすい場合もある」

「捕まって病院に入れられちゃうこともあるかもよ。気をつけたほうがいいよ」

「……えらく気にかけてくれるねえ」


 ノノさんはにんまりと黄緑の目を細める。

 なんだか急に恥ずかしくなって、またまた頬の毛を引っ張りたくなった。


「いや、すまない。からかったつもりじゃないんだ。純粋に心配してくれたんだよね、ありがとう。君の言うとおり気をつけたほうがいい場面もある……肝に銘じよう」

「……うん、そうしてよ」

「はは。それに、君が先ほど本当に聞きたかったことも分かっているよ。シロキャワチョウの件だろう? 食事をいただいたあとで改めて、詳しく話そうか」


 あれ、意外と素直だぞノノさん……。

 もうちょっと屁理屈捏ね回して遊ばれるかと思ってた。こういうところを見ちゃうと、ノノさん自身が言うとおり本当に大人なのかもなと思ってしまう。

 でもどう見たって僕とふたつみっつくらいしか違わなそうなんだよなあ。なんて思ってたら。


「だがまあ……リスクを背負う覚悟もなく得られるものはないからねえ」


 耳の良い僕にも聞こえるか聞こえないかくらいの小さな声でそう呟いて、ノノさんはサラダをぱくりともう一口食べた。



 ◆ ◆ ◆



 昼食を済ませて畑に戻ってきてみれば、やっぱりシロキャワチョウがひらひらと舞っていた。

 げんなり顔の僕を見てノノさんは少し苦笑い。それから目の上に右手を翳して、畑をじっと観察する。


「キミのお母様はよく勉強されたのだね。なんとも綺麗に畑を整えている」

「母さん、凝り性だから……。虫はちょっと苦手だけど、まあ頑張ろうってしてたとこに想像以上にシロキャワチョウが大発生して頭抱えてたけどね」

「仕方ない。苦手意識はそう簡単に拭えるものじゃないしねえ。ましてや大切に育てようと思っていた野菜をびっしり増えた苦手な虫にズタボロに食い荒らされたのでは、だいぶ心を折られたことだろう」

「そりゃあもうね。こいつら、ちっこいくせに食べる量と速さがすごいんだもん」


 まだ家庭菜園を始める前、虫取り遊びで捕まえたシロキャワチョウの幼虫はただ小さくてひ弱だなとしか思わなかった。

 それがまさか、一夜にしてキャロールを食い荒らす食欲の悪魔だなんて知る由もなく。


「イモムシなんぞ腸に脚と口がついてるみたいなものだからね。彼らはひたすらに食べることに一日のほとんどを費やす。シロキャワチョウ……この子らなぞまだ小型だからマシなほうさ。大型のイモムシとなると広大な畑をものの数日で壊滅させることだってある」

「うっわ……そりゃ本当に悪魔だ」

「必死なのさ。食べなければ成虫になれないからね」


 言って、ノノさんはキャロールの葉を齧り続けるシロキャワチョウの幼虫を軽くつついた。


「彼らは私がいた世界にいるモンシロチョウと呼ばれる蝶に姿も生態もよく似ている。このキャロールという野菜も、こちらにあるキャベツという野菜にそっくりだね」


 違う世界なのに似たようなものがあるんだ。不思議なものなんだなあ。

 ということは、ノノさんのいた世界でもその……モンシロチョウとかいうのはキャベツをもりもり食べちゃうのかな。

 思ったことをそのまんま質問してみると、ノノさんは頷いた。


「そうだよ。関係性も非常によく似ている」

「じゃあノノさんの世界でも害虫駆除で大変だったんだろうね……」

「そうだろうね。だが農薬……ええと、なんと言ったものか。キミの言う害虫たちを容易く大量に死滅させてしまったり近寄れなくしてしまったりするお薬が、私たちの世界では発達していてね。近年ではそうでもない、が」

「んぇっ⁈」


 お腹の中がひっくり返ったような変な声が出てしまった——それも仕方ない。

 突然ノノさんがさっきの筒を取り出して蓋を外し、僕の鼻先に突きつけてきたからだ。その途端になんとも言えないとんでもない刺激が鼻を襲って、僕は後ろに飛び退いた!


「な、な、なに⁈ なにソレ⁈ めちゃくちゃ鼻痛いんだけど!」

「ふむ。やっぱり」


 ヒリヒリする鼻を押さえる僕を見て「すまない」とノノさんは頭を下げた。

 あの筒、確か光の一部を反射させるためのお薬って言ってたような。近くに持ってこられただけでこんなになるなんて、いったいあれ何で出来てるの。

 ついでに涙まで出てきてしまって必死で目を擦る。

「申し訳ない。想像以上にキミたちにとっては刺激物みたいだな。やはり薬の類は安易に提供してはならない、と」

「え、ええ……?」

「二足歩行して背丈も同じくらいで知能レベルや思考の方向性もほぼ同じとはいえ、キミたち獣人系の生き物は私のようなヒト型とは感覚器官の鋭さが違いすぎるんだ。私の世界のように農薬を発展させることを提案するのは、今のところ得策ではないだろうね……。となると、やはり……」


 んん……?

 さっきサラダを食べていた時みたいに、ノノさんはまた一人でぶつぶつ難しいことを言い始めてしまった。

 しばらくそっとしておいたほうがよかったりするのかな、これは。思い出してみれば、父さんも仕事のこと考えてるときこんな感じになったりするもんね。

 ただぼーっと待っておくのもなんだから、考え込むノノさんの隣で僕はキャロールにつくシロキャワチョウの幼虫を捕まえる作業に入る。これけっこう時間かかるんだ。

 あ、コイツまだかなり小さい。卵から生まれてそう経ってないのかな、なんて思いつつ、摘んではできるだけ遠くへ放り投げていく。

 潰したほうが早いのは分かってるけどさすがにそれは僕自身ちょっとウワッとなってしまうから……。


「……ルリくん。潰す以外で補殺したいのなら、水に沈めるのがお勧めだよ」


 僕の行動に気づいたのか、そう言ってノノさんが隣にしゃがみ込んだ。


「えっ水に?」

「彼らはどこで呼吸をしていると思う? 口じゃないんだ、身体の横に並んで開いている気門と呼ばれる小さな穴さ。水に落とせば一斉にその穴すべてを塞いで窒息させられる」

「……なんか、えげつないね……」

「害虫駆除なんてそんなものだよ」


 それはまあ、そうなんだけど。

 叩き潰すのと水に沈めるのどっちがよりキツいかと言われたら分からないしね。

 苦笑いするしかない僕におんなじような顔を返して、ノノさんは立ち上がる。


「——さて。ルリくん、聞きたいことがあるんだけども」

「僕に聞きたいこと? なに?」

「この村に、図書館……何かしら図鑑とかを見れるところはあるかな? 何せ私はまだ、この世界の植物や虫をあまり把握できていなくてね」

「え、ええと……村の北側のほうに貸本屋さんがあるよ。そこならたぶん……」

「貸本屋! それはいい。ありがとう!」


 いきなりどうしたんだろう。

 首を傾げる僕。対するノノさんは生き生きとした笑顔で、着ている服の襟を正す。


「この世界の文字が読めるかどうかだけが気がかりだが……なあに、読めなければ店主なり通りすがりなり捕まえてひたすら音読してもらうだけだ。何とかなるさ」

「えっ……と、あの……?」

「そういう手間によっては、もしかしたら多少時間がかかるかもしれないな。ちょっと待っていてくれ」


 時間って、何の?

 待っていてって、何を?

 目を瞬かせるしかない僕。ノノさんはニッと唇を釣り上げる。


「基本的に、私は生態を“見たいだけ”の傍観者なのだけどね。キミには親切にしてもらったし」

「へ……?」

「シロキャワチョウも生きるために必死なわけだが……キミもまた成長期。今より大きくなるためにも、美味しいキャロールを食べたいだろう?」


 長い一本三つ編みを風に揺らし、ノノさんは腰に手を当てた堂々とした立ち姿で僕を見つめる。

 そして、なんとも可愛く片目を瞑って見せた。


「ここはこの生態マニアに任せてもらおう!」



 ◆ ◆ ◆

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