異世界渡りの生態マニア〜傍観ときどき救世主〜
陣野ケイ
第一話 僕と蝶々とノノさんと
「いやあ……素晴らしい!」
長い黒髪を縄みたいに一本の三つ編みにしたその人は、すぐ後ろで呆然と立ち尽くす僕に気付きもせずウットリと頬を抑える。
フワフワの体毛が全身を覆う僕らとは違い、つるりとした肌と顔の横についた丸い耳。硬い爪も持っていなければ尻尾もない。ニンゲン族であることは一目瞭然だけど、少なくともこの村では見たことがないお姉さんだ。
声をかけるべきか、見なかったことにしてそっと家に戻るべきか。
一瞬考えてしまったけれど、ここは僕の母さんが頑張って作った家庭菜園の中だ。勝手に入られちゃ困る。
本を見ながら何とか配合した肥料を詰めたバケツをそっと脇に置いて、スカートの裾が地面につくのも気にせず地べたに座り込んで畑を凝視しているお姉さんに一歩近付く。
「……おっ?」
「わあ!」
途端、急にお姉さんが振り返った。首から下げてる、緑の宝石がついた大きな金の鍵がチャラリと鳴る。
僕みたいによく聞こえる長い耳を持ってないはずなのに、やたら勘がいい!
ドキドキとうるさく鳴る心臓の音。お姉さんの明るい黄緑色の目がパチリと一度瞬いて、それからゆっくり柔らかく細まった。
「ウサギ型か。なるほどなるほど、ここはキミみたいな獣人が暮らす世界なんだね」
「う……うさ……なに?」
「かと言って、今のキミは純粋に急なことにびっくりしただけであって私の姿自体に驚いているようには見えない。つまりヒト型の生き物も共生し文化生活を営んでいる世界だと推測できる。これは当たりだ、やりやすそうだぞ」
口元に手を当ててぶつぶつと独り言をこぼすお姉さん。
もしかして、あんまり関わっちゃけいない感じのニンゲン族だったかな。というかウサギって何だろう。僕はれっきとしたラビーニ族の一員なんだけど。
なんか早口気味に喋ってることの半分も理解できないお姉さんはさておいて……いいかは分からないけど、いやとにかく僕は意味不明の会話をしてる場合じゃない。掃除とか洗濯をしてくれてる母さんに代わって、畑の世話をしにきたんだから。
——そう思い直して地面に置いたバケツを持ち直そうとしたとき、お姉さんの後ろをひらりと飛ぶそいつらに気が付いた。
「あーっ! シロキャワチョウ!」
「ん?」
咄嗟に大声を上げた僕に釣られるように、お姉さんは後ろを見る。
そこにいたのは小さな真っ白い蝶々たち。
レースのハンカチみたいなふんわりした翅の可愛い蝶だけど……今の僕と母さんからしてみれば、地獄からやってきた悪魔の使者そのもの!
「もう! 何回追い払ったって来るんだからお前は! ダメだよ来ないで!」
慌ててお姉さんの横を駆け抜けて、畑の上をひらひらと踊るように飛ぶ数匹のシロキャワチョウに向けて腕を振り回す。
一見ゆっくり飛んでるように見えるのに、これが全然掠りもしない。すれすれのところをかわされて、結局シロキャワチョウは知らん顔で畑の——正しくは柔らかな葉が丸まり始めたばかりの春野菜、キャロールの上を舞う。
こいつ、やっぱりまたキャロールを狙ってきた。というかもしかして、もう……。
「あああやっぱり!」
淡い緑色の葉に目を落とせば、そこにとまったままのシロキャワチョウもいる。そしてさらによく見れば、見落としそうなほどこれまた淡い黄色の小さな卵が産みつけられてる。
ということは当然、と隣のキャロールに目を移せば歯の色に溶け込むような色合いの……イモムシが……たくさん……むっしゃむっしゃと……!
「やめて! もう! すーぐこうなる!」
「おやおやまあまあ」
半泣きでイモムシを摘み上げる僕を見て、お姉さんがけたけたと笑う。あのね、笑い事じゃないんですよ!
——僕の家は父が不在がちだ。
大きな町のほうで船をつくる仕事をしている父さんは、完成した船を注文先まで操縦して持っていく役割も担っている。
遠い国からの注文も珍しいことじゃなくて、そんな時は数ヶ月帰ってこないことだってよくある。だから家は僕と母さんの二人きり。父さんがいないことが多いぶん、僕が母さんを助けてあげたい。
母さんもパワフルだから父さんがいない間は私が家を守るといつもやる気満々で、つい最近「家計の足しになるかもね!」と家庭菜園を始めた。
最初は窓辺で鉢で育てられるような簡単なのから始めたけど、行動力の権化な母さんはあっという間に家の敷地内に立派な畑を拵えてしまった。そこまではよかった。よかったんだ、けど。
生でもよし煮てもよし炒めてもよしの万能野菜キャロールの栽培に手を出し、春になった途端。今年に限って大発生したらしいシロキャワチョウに苦しめられることになった。
家庭菜園なんて始める前はただの可愛い蝶でしかなかったシロキャワチョウ。しかしこいつら、よりにもよってキャロールをモリモリ食べる超害虫なんだ。
気付いたらいつの間にか卵を産みつけて生まれて、ここが無料の青空食堂ですねとばかりに暴食の限りを尽くしてくれる。
きっちりと葉をボール型に丸めた姿に育つキャロールの、まだ巻く前の柔らかい葉は瞬く間にズタボロの穴だらけにされてしまった。
元々イモムシが苦手だった母は春の悪魔のあまりの所業に卒倒しそうになってしまうし、僕としても母が作ってくれるキャロールのサラダが大好きだから、自分たちで育てたもので作ってもらえるのを楽しみにしてたんだ。
だからこんなのは困る。どうにかしたいものだけど、まだこれといった方法が分からなくて引き続き困ってるところだった。
「いやあ。お気持ちは察するよウサギくん」
「いきなり変なあだ名つけないでください! 僕の名前はルリ、ラビーニ族のルリ・コバルトです!」
悠々と舞い続けるシロキャワチョウを追い回す僕に楽しげに声をかけてくるお姉さん。
相変わらずウサギとかなんとかよく分からない名前で呼んでくるから、シロキャワチョウへの憤りも混ざって大声で叫んでしまった。
「失敬。ラビーニ族のルリ・コバルトくん」
チラッと目をやると、軽く片手を挙げたお姉さんが僕の名前を復唱してくれた。
裾に土埃がついたまんまなことを気にも留めずにスカートのポケットに手を突っ込み、何やら取り出す。白い紙とハサミと、……何だろう。テカテカの、筒?
「名乗り遅れたね。私の名前はノノ。ノノ・クリソプレーズだ。こう見えて大人だよ、宜しくね」
「大人……?」
ハサミを忙しなく動かして紙を切っていくお姉さん——ノノさんの顔を、つい僕はまじまじと見てしまった。
僕らラビーニ族とあまりに姿が違うニンゲン族の年齢は見た目ではっきりとは分かりづらいけど、背丈も小さくて目も大きいノノさんはどう考えても僕より少し年上なだけのお姉さんって感じだ。とても本人の言う大人とは思えない。
何故か蝶々そっくりの形に切り抜かれた紙を手のひらに乗せ、ノノさんは反対の手に持った筒の蓋を口で開ける。
「それは……?」
「日焼け止めクリームというやつだよ。文明度から見るに、キミたちの世界にはおそらく無いものだろうね。これを満遍なく塗って……と」
「へ?」
「それから……ああちょうどいい、この支柱ちょっと借りるよ」
畑に植えていたエンドーブビーンズの蔦のために添えていた棒を一本引き抜いて、ノノさんは蝶形の紙を何か透明なものでその先にくっつけた。なんか、絵本に出てくる妖精の杖みたいだ。
そしてノノさんは、その棒を——棒の先についてる紙の蝶を、まるで生きてるみたいに器用にひらひらと動かす。
「な……何してるんですか?」
「まあまあ、見てなさいルリくん」
妖精ごっこでもしてるかのようなノノさんは、まあ可愛くはあるんだけど自称大人がいきなり何をやってるのか僕には分からない。
……ていうか、さっきノノさん「君たちの世界」とか言ってなかった?
なんかその言い方もまるで、絵空事を描いた物語の登場人物みたいなんだけど。
訳がわからなさにムズムズして、つい僕がそういうときの癖で頬の毛を引っ張り始めた時だった。「ほらきた!」と嬉しそうなノノさんの声。
「……えっ!」
そこには不思議な光景があった。
さっきまで僕がどれだけ追い回してもひらひら逃げていくだけだったシロキャワチョウたちが、ノノさんが振る紙の蝶に一斉に集まってきていたんだ。
「やっぱりモンシロチョウと同じ生態か! 紫外線を反射させてやればこの通りだ、メスと勘違いして群がってきた!」
目がまんまるになる僕。
ノノさんは満面の笑みでこっちを振り向き、渾身のしたり顔を見せる。
……いや、なんで?
モンシロチョウって何とかも気になるけど、なんで逃げ回ってたシロキャワチョウが急に紙の蝶に集まってきたんだろう?
「な、なんで⁈ ねえノノさん、何したの⁈」
「おっと」
焦ってピョンと勢いよく飛び寄ったら、近付きすぎた。
鼻が触れ合うかもしれないくらいの距離に急に来た僕にさすがに驚いたのか、ノノさんは蝶の杖を手放してしまう。途端にシロキャワチョウたちもビックリしたと言わんばかりに散り散りになり、少し遠くへ離れていった。
「ご、ごめんなさい」
「いや。謝ることはないよ」
ノノさんはそう言ってくれたけど、いきなり失礼だったよね。大きく一歩、ゆっくり後ろに下がる。
それから改めて質問しようとした僕を手のひらで遮るノノさん。
「簡潔に教えよう。さっきの蝶……シロキャワチョウとキミは言っていたね。彼らは光の中の、紫外線と呼ばれるものを色として見ることができる。そのおかげで我々には全く同じに見える白い翅も、彼らにはオスとメスで違う色に見えているわけだ。彼らはそうやって相手の性別を見分けている」
「ええ……? どう見ても同じ白なのに?」
「不思議だろう? そしてさっきの筒の中身はね、肌に塗るだけで紫外線を跳ね返す力を持つお薬だ。私の世界では暖かい季節の必需品なのさ。メスの翅は紫外線を跳ね返す構造になっているため、適当に切った紙にアレを塗ってやればメスを探して飛んでいるシロキャワチョウのオスは勘違いして寄ってくるというわけだ」
「そ、そうなんだ? ……いや、ていうか……」
「そう。重ねて教えてあげるが、繁殖期にああやって元気に飛び回っているのは大体オスだよ。メスはほら、さっきキミがあの葉の上に見た子みたいにじっとしている。産卵前に無駄に体力を使うわけにはいかないからね」
……『私の世界』?
そこが気になって、元気に喋り続けて説明してくれているノノさんには悪いけれど詳しい話はあまり僕の長い耳には入ってこなかった。
僕らの世界と、ノノさんの世界。その二つは全然違うところだと言わんばかりの。
なんとも言えない顔の僕にさすがに気付いたのか、ふとノノさんが解説を止めた。それから、バツの悪い顔をして。
「こっちを先に説明すべきだったか。混乱させて悪かった」
軽く頭を下げて、長い三つ編みを翻して僕の方へ向き直った。
金の鎖で首から下げた宝石付きの鍵を摘み上げて、こちらへ掲げて見せてくれる。
「私はこいつを使って別の世界からやってきた」
「は?」
「長くて良い耳をしているんだから一度で聴こえているだろう? 別の世界からここへ渡ってきたんだ」
僕はもしかして、とんでもないことを聞かされてないか。
空いた口が塞がらないとはこのこと。
無限に流れ込んでくる空気の味も分からなくなっている僕を置いてけぼりにして、ノノさんは畑と——しつこくもまた舞い戻ってきたシロキャワチョウへと手のひらを差しのべる。
そして、歌うように高らかに叫んだ!
「植物と! それを食べる虫たち! 生きるために食って食われて戦う関係! そんな彼らの、いろんな世界でのいろんな生態を見たい一心でね!」
……なにも、返せる言葉が出てこない。
引き続き虚無の空気を味わう僕。
「ひとは私を生態マニアと呼んでいた。——そんなわけで、よろしく頼むよ。第一村人こと、ルリくん」
耳の先にシロキャワチョウがとまって休憩しようが何も反応できず思考停止している僕に、ノノさんはそう言ってにっかりと歯を見せたのだった。
◆ ◆ ◆
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