結婚式

自分には弟がいた気がする、美香にはずっとそんな気分が付きまとっていた。

馬鹿馬鹿しいと自分でも思う。自分は一人っ子だ、アルバムを見ても弟の姿などどこにも見当たらない。

生き別れの弟がいたりするだろうか、と親に聞いてみたが「何言ってるの」と笑われただけだった。

なぜそんな気がするのか、美香には分からなかった。


会社を出て、帰宅途中に賑やかなビル街を歩いていて思わず足を止めた。


向かい側から提灯を持つ狐の面を被った人間がゆっくりと歩いて来るのだ。

さらに近づくと、背後に時代劇で見るような籠を担いだ、これまた狐の面を被った人間が歩いている。

提灯を持つ狐は袴姿、籠を持つ狐も股引のような下に着物姿、彼らの居る空間だけがまるで別世界である。

周囲を歩く人々は皆、この三人の狐の姿が見えないかの様に、素知らぬ顔で素通りしていた。


彼らの姿が見えるのは自分だけなのか?それともこれは近年流行っているパフォーマンスか何かで、驚くような事ではないのか?

美香は狐につままれた心地になった。


三人の狐は美香の前まで来ると、立ち止まり、籠を下ろした。

提灯を持つ狐が御簾を上げると、そこには誰もいない。

美香は吸い込まれるように、中へ入った。



気付くと美香の周囲は昼間の様に明るく、賑やかな声がする。

周囲を見回すと、狐の面を被った人たちがテーブルに着き、談笑しながら前を見ていた。

美香も彼らと同じようにテーブルに着いていた。目の前には懐石風の料理が並んでいる。


彼らの見ている方を美香も見た。そこには二人の狐の面を被った者が座っている。

二人は黒紋付羽織袴姿であり、たまに顔を見合わせており仲良さげに見えた。


結婚式だ、と美香は悟った。しかしなぜこの席に自分がいるのだろうか?

視線を感じてふと見ると、新郎の一人がじっとこちらを見ているのが分かった。

彼はやがて、自分にむかって手を振った。


瞬間、美香は全て思い出し声に出していた。


「治樹!」


そうだ、私には弟がいた。治樹…なぜ忘れていたのだろう、なぜいつの間にか他の皆も忘れて最初からいない事になっていたのだろうか。



美香はビル街に立っていた。なぜ自分がこんな所で立ち止まっているのか思い出せない。

何か、大切な事を忘れている気がするのだが思い出せなかった。

すれ違う人々にぶつからぬよう気を付けながら、彼女は自宅へ足を向けた。




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