狐の散歩
めへ
深夜の冒険
待ちに待った週末の深夜、治樹は今夜着ていく衣装を用意し始める。
今日の衣装は狐のお面に決定していた。服装は神主の服、提灯も持参して本格的だ。
衣装を着ると、等身大の鏡の前で確認し、そろりと玄関の戸を開ける。
辺りを見回し、耳を澄ませ誰もいない事を確認すると、小走りでアパートの廊下をわたり、路上に出た。
この姿で家から出るところは誰にも見られたくない。正体不明である事に意味があるのだ。
提灯の灯りを点けて歩き始める。ルートは定期的に変えているが、いずれもコンビニや遅くまで開いている店の無い、住宅街や人けの無い場所に限っている。その方が謎めいていて良い気がしたからだ。
日々契約社員として退屈な労働に勤しみ、薄給を得る治樹の唯一の楽しみ、それは奇妙な格好をして深夜に外をぶらつく事だ。
人通りが極端に少ない深夜に、奇妙な姿で歩いていると、まるで自分がいつもの自分ではない存在になった気分になる。
例えばこの間、血のりを付けた白いワンピースに長い髪のウィッグを被って歩いた時の事、まるで自分が幽霊にでもなった気分だった。
そしてチラホラと通りすがる人たちは皆、幽霊かお化けでも見たかの様に反応するのである。そんな反応を見る事もまた、楽しみの一つである。
提灯をかざしながら、薄暗い竹林と塀に囲まれた道を歩いていると、向かい側からサラリーマン風の男が歩いて来た。
彼は治樹の姿に気付くやいなや立ち止まり、凝視していた。やがてすれ違う距離にまで近づくと慌てて隅に寄り、道をあける。
あの男は家に帰った後、誰かにこの事をどう話すのだろうか?
男とすれ違ってから数分、暗い道の向かい側にぼんやりとした灯りが見えてきた。
自転車だろうか、と思ったがそれにしては速度が遅いし、灯りの大きさも違っている、もっと大きい。
灯りはだんだんと近づいてきて、薄明りの中照らしだされた存在を見た治樹は息をのんだ。
自分と同じ狐の面を被った人間が三人、一人は提灯を手に先頭におり、二人は籠を抱えて運んでいる。
籠、それは時代劇などで目にするお殿様やお姫様が乗るものだ。籠から伸びた棒を二人は抱えながら運んでいた。
三人の歩く速度はとてもゆっくりとしている。
どこかの神社の行事か何かだろうか?治樹がそう思っていると、三人は治樹の前でピタと止まり、籠を下ろした。
提灯を持つ狐が御簾を上げると、中には誰もいない。
三人はじっと、治樹を見ている。面を被っているのに、痛いほどの視線を感じて、治樹は三人が自分を見つめている事を悟った。
治樹は吸い込まれるように、籠の中に入った。提灯を持つ狐が御簾を下げ、二人は再び籠を担いだ。
四人の姿はやがて、闇夜に消えていった。
その後、治樹の行方を知る者は誰もいない。いや、元からそんな人物はいなかったかの様になっている。
彼の住んでいたアパートは現在空き家なのだが、随分昔からずっとそうだと大家は言う。
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