後日談
「ミラーズシティの市民の皆さん、おはようございます。昨夜は合計で二十九名の市民が人狼によって殺されました」
朝八時ちょうど、冬の装いに身を包んだ女性キャスターがいつものようにテレビ番組『恐ろしい夜が明けました。皆さんおはようございます』に登場し、市民にニュースを伝えた。
以前のこの時間、いつもなら林若草はまだベッドの中だった。しかし最近は目覚まし時計が鳴るとすぐに起き、それからてきぱきと身支度を整え、朝食の用意をする。弁当はすでに昨晩準備済みだ。
今日の朝食はシリアルにフルーツである。スプーンでシリアルを口に運びながらテレビを見る。
一般ニュースのあとはインタビューの時間となり、記者が学者風の男性に質問した。
「
「今回の騒乱の原因は、明らかに政府がこれまで行ってきた種族政策に関連しています」
陳博士は厳かに述べた。
「人狼問題はいつ爆発するかわからない爆弾のようなものですので、正しい方法で解除しなければなりません。もし政府がこれといった解決策を提示できないままだと、次はさらに深刻な衝突が発生し、最悪の場合は戦争が起こる可能性さえあります――」
林若草はリモコンでテレビを消すと、使い終わった食器をシンクに入れて洗った。
すべての準備が終わると、カバンと弁当袋を持って玄関へ向かった。
靴を履く際、ふいに下駄箱の上に置かれた集合写真に目が止まった。
そこには仲の良さそうな姉妹が手をつなぎ、こちらに向かってキラキラした笑顔を浮かべていた。
「姉さん、学校に行ってくるね」林若草は写真の中の年上の女性に小さな声でそう言うと、家を後にした。
アパートの家賃やそのほかの生活における雑費を独力で支払っていくのは、高校生にとっては大変なことであった。
幸いにも大家のおばあさんが林若草の境遇に同情し、家賃を大幅に下げてくれたり、ひいては借金の取り立てに来た高利貸しを追い払ってくれたりと、彼女が安心して住み続けられるようにしてくれた。
林若草はすでに考えを決めていた。仮に将来このアパートに住めなくなったとしても、なんとか近所に部屋を借りて、簡単にはこのコミュニティから離れないつもりだった。
なぜならいつの日か林若萱が正気を取り戻したとき、自分にはまだ帰れる家があり、自分の帰りを心から待ち望んでいる妹がいることを思い出すかもしれないからだ。
アパートを出ると、一月の冷たい風が顔に突き刺さった。林若草はマフラーを巻き、手袋をはめ、いつものように自転車で学校へ向かった。
通りの両側にある街路樹はすっかり葉が落ちた枝だけが残っており、物寂しい気分を感じさせた。
寒さで路面が凍りついていたため、自転車走行中はスリップしないよう特に注意する必要があった。
林若草が交差点に差し掛かると、前方の道路が鮮やかな黄色の非常線で封鎖されているのが目に入った。
非常線の向こうには、隆起したブルーシートが死体のようなものを覆っているのがぼんやりと見えた。
排水溝のそばには野獣に咬みちぎられたような腕も転がっており、至る所に血痕が残っていた。
最近では、首都区におけるこのような光景はきわめて普通のこととなっていた。林若草はもはや動じることなく、そのまま回り道をして安平高校へ向かった。
学校へ着くと、林若草は二年C組の教室に入った。
以前は教室に足を踏み入れるとにぎやかな声が聞こえ、クラスメイトたちがそれぞれにグループを作っておしゃべりしたり遊んだりしていたが、最近はそういった光景を目にすることはほとんどなくなった。仮に誰かが騒ぎ立てても、あっという間に静かになってしまうのである。
林若草は自分の席へ着いた。彼女のそばには本来であれば小恵が座っていたが、去年のハロウィン以来ずっと病欠していた。
林若草が教室の最後列を見やると、井千陽が同じようにぽつんと座っていた。南宮樹も学校に来ていない――彼女はもう、彼には会えない可能性が高いと考えていた。
林若草と井千陽の視線が空中で交差すると、二人は無言でうなずき挨拶した。
南宮樹と小恵の不在を除き、クラスではさらに二名のクラスメイトが自主退学と転校を申し出た。
首都区の狼殺率が高まってきていることから、彼らの家族は一家を挙げて治安の比較的良い東区に居を移すことを決めたのだった。
*****
今は冬にもかかわらず、昼は依然としていくらか暖かい日差しが校内に降り注いでいるため、景色はそれほど寂しくはない。
林若草はこれまで小恵ら友人たちと一緒に昼食を食べていたが、小恵の欠席だけでなく桃子と芊芊もまた学校に来ていなかった――彼女たちは永遠に、二度と学校へ来ることはない。
南宮樹以外、井千陽は学校にほかの友人がいなかった。そこで二人のはぐれ者同士、校内にあるあずまやで一緒に食事をすることにした。
林若草が食べているのは彼女が自分で作ったおにぎり弁当で、井千陽は購買で買ってきたサンドイッチだった。偶然にも、彼らの飲み物は同じブランドの紙パックのリンゴジュースであった。
過去にはシスターアンジェラが井千陽と南宮樹のために自ら弁当を準備しようと申し出たことがあったが、彼らは若くして糖尿病になりたくなかったのでやんわりと断った。
昔のことを思い出し、井千陽は悲しい気持ちになった。今となってはもう、シスターアンジェラの作ったいかなる料理も食べることができないからだ。
「最近は狼殺率がすごく深刻だから、かなり忙しいでしょ?」林若草は井千陽に尋ねた。
井千陽はしばらく沈黙したあと、ゆっくりと口を開いた。「僕は……もう神民じゃないんだ」
「どうして?」林若草は大いに驚いた。
続けて井千陽は彼女に自分の本当の身の上、そして彼が人間ではないがゆえに神民からスパイだと疑われていたことを話した。
神民たちは『我が族類に非ざれば、其の心必ず異なり』と固く信じていた。彼が基地を陥落させた元凶の一つと考え、教会から追放することを決定した。過激派の神民の中には、彼の処刑を主張する者さえいた。
林若草は井千陽が吸血鬼で、しかも王子様であったとは夢にも思わなかった。
彼女は去年小恵らと男性について話し合った際、自分が『王子様のお嫁さんになっても幸せになれるとは限らない』と言ったことを思い出し、思わず顔が火照った。すぐさま心の中で、なんて恥ずかしい奴なんだと自分を呪った。
「教会は最近、年齢、性別、学歴に関係なく大量の新人を募集している」井千陽はさらに言った。「もし君がハンターになることに興味があるのなら、試してみたらいいんじゃないか」
「ありがとう、よく考えてみる……」話の途中に突然、林若草は井千陽の手の中の物を緊張した面持ちで見つめた。「ちょっと待って!それ!」
「え?」井千陽は困惑して尋ねた。
「そのリンゴジュース……私が飲んだやつ」
「あ……ごめん」井千陽は静かにリンゴジュースを置いた。「新しいのを買って返すよ」
彼は平静を装っていたが、リンゴよりも赤くなった耳がすべてを物語っていた。
この冬はまだまだ長いが、詩人が言ったように『冬来たりなば春遠からじ』である。
*****
放課後を告げるチャイムが鳴り響き、井千陽と林若草は肩を並べて教学棟を出ると、校門に大勢の人が集まっているのに気がついた。
そのほとんどは女性であり、ひっきりなしに黄色い声と歓声があがっていた。
「先輩、誰の下校を待ってるんですか?」
「スポーツカーカッコいいですね!」
「先輩、もうすぐアルバム出すって聞きましたけど本当ですか?」
囲まれている男性を遠くから目にした瞬間井千陽の顔が青ざめ、裏門から学校を出ることにした。
「あの先輩もかなりの目立ちたがり屋だよね?スポーツカーで学校に来るなんて」林若草は不満げに舌を巻いた。「どうしてこんなに多くの人に人気があって、さらには校内イケメンコンテストで優勝して一位になっちゃうのか本当にわからないわ。人狼がいたにもかかわらず芊芊を置き去りにしたのに……」
「何だって?」井千陽は少し眉をひそめた。それから林若草は彼に、去年起きたことの一部始終をありのまま話した。
その男性――呉皓軒はやっとのことで人混みを抜け出して井千陽の前に来ると、苦笑いを浮かべた。
「放課後正門で俺を待つよう言わなかったか?最近は治安が悪いから、お前を一人でウロチョロさせるわけにはいかないんだ」
「あんた、あの芊芊という子に何をしたんだ?」井千陽は冷ややかに彼を問い詰めた。
「芊芊?それは誰だ……」呉皓軒は困惑した表情を浮かべていたが、林若草の殺意に満ちた表情を見て急に思い出した。「あ、ちょっと待ってくれ、そのことについては理由があるんだ……」
林若草には行くところがあったので、井千陽に別れを告げた。
去り際に、呉皓軒が井千陽に笑顔で、かつ懸命に何かを説明しようとしているのが目に入った。漠然と「人狼とやり合うには変身しなければならない」「正体がバレるのは嫌だ」といった断片的なフレーズが聞き取れた。
林若草はバスに乗って病院に行き、受付のスタッフに来意を告げるとそのままある病室へ向かった。
この数か月、彼女はほぼ毎日顔を出し医療スタッフにさえ覚えられていたので、もはやこの病院の『常連』と言っても過言ではなかった。
病室で、林若草の目に白い病衣を着た少女の姿が映った。
少女はもともと金髪のショートカットだったが最近はまったく手入れをしていなかったため、その長さは今や肩先を越えそうな勢いだった。
以前と違うのは、今日の彼女はベッドに横たわっているのではなく、身を起こしてぼんやりと目の前の壁を見つめていたことだった。
「小恵、よかった。やっと目が覚めたんだね!」
林若草はあまりの嬉しさに涙し、すぐさま駆け寄って彼女を抱きしめた。しかし小恵は丸太のようにまったく反応がなかった。
「あなたが教学棟の屋上から飛び降りたあの日から……ずっと目を覚まさないんじゃないかと心配してたんだよ……」林若草は涙にむせびながら言った。「幸いあのとき落ちたのが柔らかい草むらの上だったのと……ちょうど私が通りかかったから……じゃなかったら……じゃなかったら……」
しばらくして、林若草の腕の中の『丸太』がようやく反応を見せ、うつろな声で話し始めた。
「あんた……どうして私を助けたの?」
林若草は思わず唖然とした。
「いったいどうして私を助けたのよ?」小恵は苦痛に満ちた口調で詰問した。「私には生きていく資格なんかこれっぽっちもないのよ!」
「小恵……」
「私がハロウィン街頭パーティーに参加しようなんて言い出さなければ、桃子と芊芊が人狼に殺されることはなかったのに……」
小恵はきつくシーツを握ると、その顔から大粒の涙がこぼれ落ちた。「あの子たちが食べられてしまったのは……全部私のせいよ……」
「あの夜人狼はミラーズシティのあちこちで悪行を働いたから、家にいたたくさんの市民が被害を受けたわ。実際のところ、パーティーに参加したのはそこまで関係ないよ」林若草は彼女を慰めた。「自分を責め過ぎないで。全然あなたのせいじゃないよ」
小恵は首を振って泣くだけだった。「違う……桃子と芊芊は私が殺したの……私が人狼に食べられるべきだったのよ、あの子たちじゃなく……」
「あなたは私を元気づけるためにみんなをパーティーに連れていったんだから、そういうことなら私にも責任があるわ」
林若草がどんなに慰めても小恵は依然としてかなりの罪悪感を感じており、自分を責め続けていた。
「自殺する以外、私にはほかに罪を償う方法がないのよ……この罪は命で償わなきゃならないの……」
林若草はしばらく沈黙したあと、小さな声で話し始めた。「『今日から君は、人狼の手からより多くの市民を救うんだ。十人、二十人、三十人……もう救えなくなるまで。一番の贖罪は殺戮じゃなく、救うことだ。その対象には自分自身も含まれる』」
小恵は困惑した表情で彼女を見た。
「この言葉はある神民が私に言ってくれたの。彼はこの言葉をお母さんから聞いたんだって」林若草は小さな声で説明したが、その神民が井千陽であることは言わなかった。「その神民はこの言葉が彼を救ったって言ってたの……あなたの助けにもなるかもしれないわ」
小恵はただうつむき黙っていた。
「小恵、私たち神民になろうよ」林若草は決然と言った。「この罪を償う道がどこまで続くのかはわからないけど、あなたは一人じゃない。私もここにいる。あなたと一緒に道の終わりまで行くわ」
*****
「ご来店ありがとうございました。ぜひまた来てくださいね」
ファーストフード店で最後のテイクアウト客が帰ると、林若草はようやく仕事をあがることができた。時間はもう夜の十一時を過ぎていた。
放課後にアルバイトをすることはかなり大変だったが、この仕事が家賃の支払いの助けになると考え、何があっても頑張っていくことにした。
制服を着替え同僚たちに別れを告げると、林若草は自転車に乗って帰宅した。
中央公園を通りかかったとき突然公園から凄まじい悲鳴が聞こえ、一瞬にしてゾッとした。
林若草は自転車を止め、袋の中からそっと折り畳み式の猟銃を取り出した。足音を忍ばせて公園に入ると、大木の後ろに身を隠した。
案の定、ケガをして倒れうめき声をあげている男性と、凶悪な顔つきをした人狼が目に入った。
彼女が人狼に向けて引き金を引こうとしたちょうどそのとき、一歩先に耳をつんざく銃声が響いた。銀の弾丸に体を貫かれた人狼は、大きな声で吠え叫んだ。
銃を撃ったのは、ブランコのそばに立っている女性の神民だった。彼女の狙いはきわめて正確であり、一発で人狼の心臓を打ち砕いていた。その鮮やかな手際を見て、林若草は密かに喝采した。
林若草がかつて井千陽の指導を受けたことがあるとはいっても、一貫して教会の正式な訓練を受けたことはない。しかも短い時間だったので、正式な神民と比べるとその実力ははるかに劣っていた。
――もし皆を守る力を手に入れたいのであれば、やはりまずは神民にならなければいけないのだろうか?林若草はひそかに思いを巡らせた。
帰宅の途中、林若草はしばしば遠くから聞こえる悲鳴と狼の遠吠えを耳にすることがある。全員を救うことができればいいのだが、それが不可能であることはわかっている。
彼女にできることは、自分の能力の範囲内で力を尽くすことだけだ。
家に着くと、彼女はショートメールを受け取った。それは小恵が送ったものであった。
「若草、どうやったらなれるの――」
(第一部完、第二部へつづく)
恐ろしい夜がやってきました。市民の皆さん、目を閉じてください 阿賴耶/KadoKado 角角者 @kadokado_official
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