執筆に行き詰まったら歩く俺

たかぱし かげる

職質された。

 キーボードを叩く手がとまる。

 ディスプレイの文字カーソルが、さっきから行きつ戻りつを繰り返している。


 完全に行き詰まっていた。

 来月が締め切りの、公募の原稿だった。


 ストーリーはできている。

 情景も、頭のなかには浮かんでいる。

 なのに言葉として書き出すと、なにか違っているようで。

 吐き出せないまま無為に時間だけが過ぎていく。


 パソコンの前に座っていてもこれは駄目だ。こういうときは、駄目なのだ。


 保存ボタンをクリックして俺は席を立った。


 行き詰まったときは歩くのがいい。

 気分転換になるし、体を動かすと血流もよくなる。

 ぼーっと歩いていても、ふいにアイディアが降りてきたりする。


 時計は深夜の1時を指していて、外を出歩くような時間帯ではないのだが。

 夜しか執筆できない俺としては、時間など気にしている場合でもない。

 むしろ、誰一人いない世界を独占できると思うと、それだけでなにか物語が始まりそうだった。


 寝ている妻に気取られないよう、そっと玄関を抜ける。

 静まり返ったアパートを脱出し、春の名残を留めた夜の闇へと滑り込んだ。


 今日の空に月明かりはない。

 家と田んぼが並ぶ田舎道は街灯が少なく、ほとんどの家がすでに門灯も消している。光の代わりにジージーと鳴く虫の音ばかりが満ちていた。


 人も車も絶えた町は昼とまた違う貌を見せる。


 匂いをたどるかのように当てもなく歩を進める。

 たまにまだ明かりの漏れる窓もあり、誰がなにをしているのだろうかなどと夢想する。


 気分よく、そろそろ家の方へ戻ろうかと思ったときだった。ふと道の先に人影があるのに気がついた。

 おや。人がいる。と思う。

 一人っきりを破られたような残念さと、同士を見つけたような嬉しさ。


 まあ、現実的な話をすれば、田舎にだって深夜に用事があったり帰宅したりする人の一人二人、いるだろう。静な声で挨拶した。


「こんばんは」


 向こうは気づいていなかったらしい。

 影は驚いたように動き、懐中電灯の明かりを向けてきた。


 急に顔を照らされて、こちらもびっくりする。


「なに者だ?」


 ずいぶんと不躾な態度と声音だ。

 気分がよかったのに全部ふっとんで、むっとした声を返す。


「あんたこそ、なにしてるんだ」


 答えずに相手が明かりで自分の姿を照らし出す。

 がっちりとした体格を制服で包んだ、いかつい顔のお巡りさんが浮かび上がった。


「うあ」


 やってしまった。

 真夜中の散歩中に見回りしている警察官へ喧嘩を売ってしまった。


「あ、いや、怪しいものでは、ありません」


 後ろめたいことはないのに、焦ってしどろもどろしてしまう。

 これではかえって怪しさ倍増だ。


「こんなところでなにをしているんだ」


 懐中電灯の光にじろじろと見つめられ、せめて人畜無害だと伝えようと手を上げる。


「いえ、別に、ただ、ちょっと散歩を」


「こんな時間に?」


 ごもっとも。


「あ、の、まあ。家で仕事をしていまして、煮詰まったので、ちょっと気分転換を」


 あはは、と愛想笑いをしてみるがどうも白々しい。

 プロの作家ではないから厳密にいえば仕事ではないが。他に説明のしようがない。


「気分転換ねえ。家というのはこの近所か?」


「あ、はい。町内です。向こうのフローハイツです」


 なんとか不審者ではないと信じてほしい。


「身分証は? 持ってる?」


 しまった。尻のポケットに手をやるが財布はそこにない。

 田舎ゆえコンビニも近くにはなく、財布など持って出たところで起きるイベントは「財布を落とす」ぐらいだったので、特に持ってきていないのだ。


「すみません……財布、置いてきたので」


 懐中電灯の明かりが上下する。


「なにか所持品は? 持ってるか?」


 なにも持ってない。せめてスマホか財布は持って出るべきだったと今思っている。


 しばらくそうしていたお巡りさんは、ちょっと脱力するように息をついた。


「まあ危険物も持っていないようだし、今回は目こぼしするが。こんな時間に意味もなく出歩くのはやめなさい」


「……はい」


「さあ、帰って。寝るんだな」


「まっすぐ帰ります。すみません」


 叱られたものの、どうやら疑いは晴れたらしい。

 よかった。

 お巡りさんの視線を背に感じつつ、家への道をとぼとぼ辿る。


 なんとも間の悪いことだった。

 でも考えてみれば、今まで職質にひっかかったことはないし、事故や事件でお巡りさんのお世話になったこともない。

 初めての貴重な経験と言えないこともない。


 今書いている小説はファンタジーだから関係ないけれど、いつか使えるかもしれないから記録にでも残しておくか。

 帰りついたアパートの前でそんなことを考えた。




 それから数日後の朝、出勤前にサイドテーブルの回覧板に気づく。

 ここはまだ田舎なので回覧板が現役なのだ。


「これ、上の階? もう回していい?」


 まだ朝食を食べている妻に聞く。


「うん、もういいよ。ついでにポストに入れてって」


 回覧板に貼られた「窃盗犯に注意」のどぎつい文字が目に飛び込む。

 明らかに手作りらしいチラシは町内会長のお手製だろうか。


「それ、なんか一昨日、町内の田島さんちが入られたらしいよ」


 味噌汁を片手に妻が顔をしかめる。


「入られた?」


「そう。ほら、最近市内で流行ってるでしょ。夜に寝静まってるとこへ泥棒にはいるやつ。田島さんも寝てるうちにやられたって。全然気付かなかったって」


「ふうん」


「うちの戸締まり気をつけなきゃ」


 そうか、と思い出す。

 真夜中の散歩で警察官に出くわしたのは、その深夜の窃盗に警戒して見回りしていたからだろう。


「え、一昨日?」


「そう。8日の夜」


 どきりとする。

 一昨日。8日の夜。

 それは他でもない、深夜の散歩で職質をされた夜だった。

 同じ町内の出来事である。

 まさか。いまごろ容疑者として自分が疑われていたり、とか。


 どきどきと胸が打ち始める。


 犯行のあった夜、警察官が遭遇した身元不明の不審者。やや挙動不審(だった気がする)。

 もう、それはもう、めちゃくちゃ怪しい。


「え、どうしよう」


 不安になって妻に事の次第を説明する。

 聞いた妻は盛大に呆れた顔になった。


「なんで真夜中に散歩なんか出かけたの?」


「だって」


「これだからモノカキは」


 自分だって創作をするくせに、妻はそういうことを言う。


「でも大丈夫でしょ」


 妻の口調は実に軽い。


「住んでるとこ答えたんだし。疑うなら、まず確認に来るって」


 それはそうかもしれない。でも部屋番号までは答えていないから分からなかったのかもしれないし、留守の間に来たのかもしれない。

 やっぱり怪しいと人相で手配などされたりしたら目も当てられない。


「気にしすぎだと思うけどな」


「それはそうかもしれないが」


「まったく。モノカキは繊細なんだから」


「なんだよ。大賞をとっても肉奢らないぞ」


 その前に容疑者としてしょっぴかれるかもしれないが。


「はいはい、ごめんごめん。そんなに気になるなら、交番に行って聞いてみれば?」


「……出頭するみたいで嫌だな」


「いい小説のネタになるでしょ。ちょっと出頭してきなさいよ」


 面倒くさそうに妻は言った。




 一日仕事中気になって、なんとも仕方がない。

 とんだミスをしでかす前に、妻の言うとおり交番へ行ってみた方がいいかもしれないと思う。


 しかし交番に行った途端、あの夜の警官に出くわして、不審者発見逮捕!とか叫ばれるのではないかとか、あれこれ想像してしまう。

 モノカキは想像力が豊かなのだ。


 それでも気持ちが追い詰められて、ええいままよと帰宅途中に交番へ寄った。

 地域を管轄する交番は、しかし田舎ゆえ家からはちょっと距離があり、例えば町内でなにかあっても原付で15分もかけて駆けつけるおっとり具合である。


 比較的小さな交番の建物を恐る恐る訪ねてみると、もちろん足を踏み入れた瞬間警官に包囲されるなどということは起きなかった。

 カウンター向こうに一人いたお巡りさんはベテランの風格を醸した年配者で、柔和な顔で対応に出てきてくれる。


「どうかされました?」


「いえ、あの、ちょっと気になることがあって、確認したくて」


 自分が住んでいる町内で8日に窃盗があったこと。たまたま仕事の息抜きで夜の散歩に出たこと。巡回中のお巡りさんに行き合ったこと。怪しまれているのではないかと不安に思ったこと。取り越し苦労かもしれないが身分証を持って確認してもらいに来たこと。


 年配の警察官は親切に最後まで話を聞いてくれた。


「それはご不安なことでしたねえ」


 それからパソコンの記録を覗いてうんうん頷く。


「ああ、確かに8日は窃盗事件がありましたねえ」


 最後に慎重に免許証を確認してにこりと笑う。


「ええ、大丈夫ですよ。高橋さんのことは疑っていません」


「あ、そうですか。やっぱり俺の思い過ごしでしたか」


 なんだか急に恥ずかしい。


「すみません、勝手な思い込みで、お手数をお掛けして」


「いえいえ。そんなことはありません。ところで」


 にこにこ笑っている警官の目が、鋭く光った気がした。


「その夜中に会った警察官らしき男について、他に覚えていることなんか、ありませんかね?」


「……え?」


 戸惑う俺にお巡りさんは言った。


「あの晩、見回りをした記録はないので。偽警官か、あるいは窃盗犯の可能性があります」


「え」


 あの晩の警官のいかつい顔が脳裏に浮かぶ。

 あいつ。あいつの方が不審者だったのか。


 幸いなことに、小説のネタにしようと思って書き留めてあった記録があったので提出したら、逆になんでそんな記録をとったのか聞かれ、ちょっと困った。




 後日、窃盗犯は無事に逮捕されたらしい。

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