【KAC20234深夜の散歩で…】幻夢の魔法

羽鳥(眞城白歌)

さいはての街、魔女の城、時計塔の真下。(まだ世界がつづいていた頃)


 草木も眠る午前れい時。墨色と紺青こんじょうが混じる天鵞絨びろうどの空に、銀の星が散って瞬いている。透きとおった闇色の夜気はひんやりしていて、無垢むくな静けさが辺りを支配していた。

 空のてっぺんに居座る満月は、青く冴え渡っていて控えめだ。この同じ月が地平線へ近づくほどに赤面していくとか、どんなことわりが働いているのだろうと思う。


 生身ひとではないこの身体は、睡眠を必要としない。長くて静かな夜の時間は思索にふけるのにちょうどいい。読書をしたり、絵を描いたり、こんなふうに外を散歩してみたり――。

 なにか目的があるでもなく、お城の庭を散策していたそのとき。藍色の闇に沈む時計塔のほうから、奇妙な音が聞こえた。遠吠えのような悲鳴のような尾を引く響きのあとに、ひどく鈍い音。


 魔女の城、と呼ばれるここに住んでいるのは、私ともうひとりだけ。彼は私と違って生身のいきもので、ちゃんと人族ひと姿かたちをしているのだけれど、実はほんの少し子なのだ。だからなのか、こんな月の綺麗な夜――に限らず、いつも夜になると活動的になる。

 私は使い魔ペットの銀竜を呼びよせると、急いで時計塔の下へと向かった。





 時計台の針は午前零時を指している、はずなのに、短い針が真下を向いていた。白いいばらが覆いつくす庭のどこかで、かぼそいうめき声も聞こえる。ははーん、なるほどこれは。探偵さんの真似をして推理してみる。

 長閑のどかな静寂に、ご機嫌な満月。彼に混じっている魔狼の血が騒ぐには絶好の夜だ。

 いつもの散歩だけじゃもの足りなくなった彼は、時計塔のてっぺんに登ってまたもをしたのだろう。

 彼の背に顕現けんげんする魔狼の翼は小さくて、せいぜい落下の速度を弱めるくらいしかできないのだけど、私が以前に旅する天狼のお話を聞かせてから、彼は空を飛ぶことに憧れるようになったのだった。


 確かに天狼は翼の力ではなく風の魔力で飛ぶらしいし、私の銀竜も魔狼とよく似た翼を持っている。身体の割に小振りなそれで上手に飛ぶから、練習次第では飛べるようになる、とは思うのだけれど。

 おそらく、塔の上から飛び降りたもののうまく飛べなくて、時計の針にしがみついたあと滑り落ちてしまったのだ。つまり、彼は時計の針が指し示す真下にいるに違いない。

 銀竜の背の上から見渡せば思ったとおり、白い茨に受け止められた格好で、紫銀の仔狼が目を回して伸びていた。見た感じ、怪我がなさそうで安心する。もふもふと毛羽だった身体に、太くしっかりした脚。背中の蝙蝠こうもり羽はまだまだ成長期だけれど、黒くてつややかだ。


 いつ見ても、私の弟はとても可愛い。

 早く大きくなって、上手に飛べるようになるといいね。

 私が近づくと、白い茨が身を引くように道を開ける。怪我はないようなので、気付け薬の瓶を取り出し振りかけてあげた。柑橘の爽やかな香りが辺りに広がって、仔狼は黒い翼をぷるると震わせ飛び起きた。


「銀ちゃ、大丈夫?」

「あれ? 真白シロねえちゃ?」


 躑躅つつじの花みたいな色合いの目が私を見て、ぱちりと瞬きした。そんな姿も可愛らしく、私は思わず笑ってしまった。





 錬金術師の失敗作である魔法人形ホムンクルスの私に、身内と呼べる存在はいない。この闇エルフ少年は銀郎ぎんろうという名で、私を姉みたいに慕ってくれていた前職の後輩くんなのだ。

 私がお仕事を辞め国を出て、さいはての街にお城を建てて引きこもってからもよく遊びに来てくれて、そのうちここに住み着くようになった。今の私にとっては、世界でいちばん大切な弟だ。

 人の姿カタチだと、十代半ばくらい? 成長することのない私よりも歳上に見えるし、ずっと背も高い。額にできた引っ掻き傷を手当てするには、地べたへ座ってもらうしかない。


「でも、今日はちょっと飛べたんだよ! ふわって、こんな感じで、いける――って思ったのになー」

「危機感が足りないのかも。銀竜クゥオルが、下で口開けて待機してようか? だって」

「えぇっ!? 食われちゃうよっ!」


 汚れを拭き、消毒して、絆創膏をぺたり。手当て中で身動きできない弟の背後に音もなく私の銀竜が忍びよって、かぱっと大きな口を開けた。この子はそういう悪ふざけをするところがある。

 気配を感じた弟は勢いよく後ろを振り返り、びくりと震えて固まった。めっ、と銀竜を下がらせてから、弟のマゼンタピンクの長髪頭をよしよしと撫でてあげる。


「大丈夫、人い竜じゃないから」

「だってッ! いま、口開けてたっ、牙がッ!」

「銀ちゃは怖がりなんだから。なのに、空を飛びたいの?」


 青い満月が闇色のとばりいろづかせる、日と日のはざまの時刻。草木も鳥も獣も眠る真夜中は、秘密の打ち明け話にふさわしい。

 月をぎった雲が落とす影に便乗して、前から不思議に思っていたことを聞いてみる。


「んー……」


 伏目がちになり、褐色の手で口元を覆い隠して、少年は考え込んだ。長くて先のとがった耳と、細身だけれど均整のとれた身体つき。こうして眺めていると、どこから見ても彼は闇エルフにしか見えない。

 人の姿のときにも魔狼の翼が背中にあれば可愛いのに、なんて私が妄想していることをつゆ知らず、弟はやがて目を輝かせて顔を上げた。


「空を飛べれば、ずっと遠くまでいけるじゃん! 僕は旅人だからー、いろんな場所に行っていろんなモノ見てみたいんだよね」

「そっか」


 旅は翼持つ狼に本能づけられているとでも? 私はいきものではないので、懐古や憧憬といった情動を感じたことはないけれど。

 私を名づけ、翼の形をした風魔法と魔法製の竪琴ライアをくれたひとを思い出す。いまも願えば背に顕現けんげんする大きな白翼。でも私は鳥や天使のように翼を使って飛ぶことはできないのだ。


「私にこの翼をくれたひとは、世界の果てを見に行くって言って旅立ったよ」


 以前にも聞かせた話に、魔狼の血が混じる少年は相槌を打って視線を空に向けた。

 やわらかな藍色たゆたう空が世界の天蓋ふたなら、あの月は向こう側へつながる窓なのだろうか。ここはさいはてと呼ばれる地だけれど、そんな場所から見あげる月もやはり遠くて、たどり着けるなんて思えなかった。

 弟も、きっと同じことを思ったのだろう。彼の口からぽろりとこぼれ落ちた言葉が、私たちの間に張りつめた夜を震わす。


「そのひと、世界の果てを見れたのかな」

「どうかな。そもそも世界に果てなんてあるのかな」


 いきものの気配も感じられないほどの静寂が満ちる中、私と弟はしばらく黙りこくってそらを見あげていた。

 そんな私たちの上で、時間のずれた時計台の針がカチリと音を立てる。


「……魔法すっごい苦手なんだよねー」


 そらのかなたまで飛んでいた意識が地上に戻ったのは、弟が先だったようだ。ため息混じりに言うと細い両手をうんと伸ばし、こてんと仰向けに倒れる。白い茨がわしゃわしゃ寄ってきて、芝生がわりに少年の背中を受け止めた。


「私も魔法苦手だよ。最初は、もらった力を使いこなそうと思っていろいろ頑張ってたけど、今はあんまりなにもしてないし」

真白シロねぇはこんなに魔女なのに!?」


 跳ねるように上体を起こして、弟が私を見る。なかなか、運動神経は悪くないよね。


 国家に属さず、団体や組織にも属さず、魔法以外になにも持たない私は、職業カテゴリでいえば魔女になる。けれど私にできるのは、ラクガキを実体化させることだけだ。

 実体化といっても、そういう形と質量を持たせるだけで、実質なかみはない。食べものを現出させても感じられるのは味覚だけで、ひとの血肉になるわけではない。

 魔狼が混じった闇エルフである少年も、その種族特性に反してあまり魔法が得意ではないのだった。だから素養はあるのに今も飛べず、月のある時間しか魔狼の姿かたちになれない。血のつながりなどないのに、こんなところはよく似ていると思う。


「魔女だけど。私が使えるのは、これだけだもの」


 私はポシェットから二本のペンを取り出して見せた。羽根ペンと、丸ペン。ノートも入っているけど、省略だ。


「……なに? これ」

「私の、武器だよ」


 魔法や特別な力があるわけでもなく、なんの変哲もないペンだけど、大切なひとの形見であるこれは私にとって宝物。えがいたモノを実体化させるには描くための道具が必要だから、これは私にとっての武器でもある。

 言葉など、無力だと思う。どんなに語り尽くしたところで、わかり合えない人もいた。必死になって、時間を費やして仕事をしても、国という巨獣の行く先を変えることなどできない。世界を変えることも、神様の心を変えることだってできなかった。


 だとしても、私にはこれしかないから。

 ぬいぐるみみたいに役立たずだった私が唯一使える魔法――事象を書き換える『幻夢の魔法』は、私の存在意義であり、私が魔女わたしたる最後の砦でもある。

 私の隣に大人しくうずくまり、いま大欠伸をした銀竜も、元はといえば私の絵から現出したのだ。

 素直で賢い私の弟は、言いたいことをすぐに理解してくれたらしい。私のペンと銀竜とを見比べてから、遠吠えみたいな声をあげてまた仰向けに倒れ込んでしまった。白い茨に埋もれて拗ねたように呟いている。


真白シロねぇ、魔法使いこなせてるじゃん!」

「そこは、うん。思い込みと自己暗示で」

「それが難しくってさぁ。あーあ、妄想なら任せろっ、て感じなのになー。あっ流れ星! 飛び損ねて落っこちた星かも!」


 確かに、と言わざるを得ない妄想を聞かされて、私はやっぱり笑ってしまった。この子はまっすぐで素直で、とても優しい。傷つかないで欲しいし、幸せになって欲しい。そのために、私は、なにができるだろう。

 託されたものには、想いが宿る。受け取った側は、その想いにこたえようとして、大事にしすぎて、自分の中にある本当の可能性ゆめを見失ってしまうこともある。そんな挫折を、弟には経験してほしくない。


「積み重ねたものは無駄にならないもの。本当に必要なときには、ちゃんと発現できるようになるよ」

「そうかなー」

「私はもう寝るから、銀ちゃも早く寝なよ。夜更かしばっかりしてると、背中の羽が人型のときでも?」

「えぇ!? それはちょっと!」


 言葉に魔力ねがいを織り込んで、バイバイと手を振った。私が乗り込むと、銀竜は起きあがって黒く大きな翼を広げ、羽ばたかせる。

 跳ね起きたままの格好で地面にしゃがみ込んでいる弟の肩越しに、一対の小さな悪魔羽を見届けてから、私は夜の散歩を終わらせ自室へ戻ることにした。しばらくして、夜の闇に遠吠えるような弟の悲鳴が響き渡る。


「私も少しは、魔女っぽくなってきたかも?」

「クァ?」


 にんまりして独り言を呟いたら、銀竜が不思議そうに首を傾げた。


 弟の背中にくっついている小さな羽は、朝日が昇る頃には消えるはず。

 落書きの魔法に隠して渡した風魔法の欠片には、永遠に気づかなくていい。託されたものなんて、いずれ自分に似合いのねがいを見つけるための中継ぎに過ぎないのだから。

 内側に積み重ねた経験値はいずれ自身の血肉になり、思いどおり使いこなせるようになるはずだ。そして、本当に必要となったとき――だれかを本気で助けたいとか、なにかを本気で成したいとか、ここぞというとき結実するに違いない。


 たとえ、そう上手くはいかないとしても。

 叶わぬ夢に絶望してしまわないためには、自己暗示を繰り返すしかない。

 戯言でも、落書きでも、なんだっていいのだ。願いを形にしていくことが、生き続けてゆく力になるのだから。


「がんばれ、銀ちゃ」


 吐息にのせるかのようにそっと吐きだした囁きは、だれに届くでもなく、夜の静寂しじまに溶けて消えていった。


 


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