深夜、お散歩デートの終点で

冬華

深夜、お散歩デートの終点で

「……ねえ、親には今夜は真紀の家に泊まって来るって言ってるの。だから……」


耳元で囁かれたその言葉の意味を正しく理解して、思わず唾を飲み込んだ。今はカラオケ店に居て、彼女が言った真紀ちゃんが『新時代』を熱唱しているが、耳に入ってこない。どうやら、俺にも新時代というやつが見えてきたようだ。


「わかった。少し遠いけど、俺んち来る?」


「うん」


こうなると、最早それ以上の言葉はいらない。仲間には「急用ができたから」と言って、テーブルに千円札を2枚置いて、彼女と共に店を出た。夜風が少し冷たかったが、その分握った彼女の手は温かく感じた。


「ねえ、こういうのもいいよね」


「そうだね」


付き合い始めてからおよそ1カ月。アパート暮らしの俺とは違い、実家暮らしの彼女は親の目がある以上、夜中に好き勝手をするわけにはいかない。だから、こういう『深夜のお散歩デート』は初めてで新鮮に感じた。


「そういえば、お父さんってどんな人?」


「なによ。藪から棒に。気になるの?」


「え?まあ、そりゃね……」


何しろ、この後手塩に育てた娘さんの『初めて』を美味しくいただくことになるのだ。気にならないと言えばウソになる。バレたら、怒られないとか……。


「そうね。とぉっても厳しい人よ!わたしに手を出したと聞いたら、ゴルフクラブを振り上げてメタメタに叩かれるわね!こわくなった?」


「ははは……冗談、だよね?」


「ふふ……さあ、どうかしらね」


彼女の口角が上がり、悪戯っぽいような顔をした。やはり、冗談のようだ。


「だけど、厳しいというのは本当よ。会社で部長さんしているんだけどね、仕事に一生懸命で、曲がったことは許さないわ。だから、会うことになったら挨拶や礼儀には気をつけてね。初めが肝心よ」


たぶん、それはまだ先の話だろうが、彼女はそう言って、父親に会う時の心得を教えてくれた。これには苦笑するしかなかった。


そうしながら、たわいのない話を続けていくうちに、ようやく住んでいるアパートが見えてきた。部屋は103号室。ちなみにだが、隣の102号室に綺麗なOLさんが住んでいるが、浮気を疑われるのは面倒だから彼女に内緒だったりする。しかし……


ガチャリ


間が悪いことに、隣の部屋のドアは開いた。しかも、中から中年のおじさんと共に出てきたのだ。見てはいけないものを見てしまったと、気まずい思いがこみ上げてくるが……


「「え……?」」


正面と真横からほぼ同時に驚くような声が重なった。正面の声の主は中年のおじさんで、物凄く驚いたような、気まずそうな顔をしていた。そして、隣にいる彼女の表情も何故かこわばっていた……。


「どうしたの?知り合い?」


「パパ……」


「「えっ!?」」


今度は、俺とOLさんの声が重なった。どういうことだとつい顔を見合わせてしまった。やはり、彼女には悪いが、綺麗な人だなと見惚れずにはいられない。広く開いた胸元から見える谷間も相まって、自然と鼻の下も伸びたりした。


だが、そうしている間にも、父と娘は言い争いを始めた。


「どうして!なんでこんな所にパパがいるのよ!北海道に出張じゃなかったの!?」


「そ、それはだな……重要な書類を彼女の家に置き忘れてだな……」


「置き忘れた!?……っていうことは、以前にも部屋に入ったということよね!そもそも、誰よ!その女の人は!!」


「誰だっていいだろうが!子供には関係ない話だ。」


どうやら、父親の方は墓穴を掘ってしまったようだ。こんな美人の部屋にこんなに夜遅くに入っておいて、何もなかったとは到底思えない。しかし、父親の方も負けてはいない。情勢が不利と見るや、大人の熟練技で話をすり替えようと、逆に追及の矛先を娘に向けた。


「大体、そういう自分は、どうして男と一緒にこんなところに居るんだ!真紀ちゃんちに泊まるんじゃなかったのか!?ママからラインが来ていたと思ったが?」


「う……それは……」


「まさかと思うが……嘘をついてその男とこれから……。許さんぞ!今すぐ家に帰りなさい!!」


「はあ!?それはパパの方でしょ!!今からママに『パパが浮気していた』ってラインで報告しておくから、帰ったら土下座して謝ったらいいわ!!許してくれないと思うけどっ!!」


そう言って、彼女はポーチからスマホを取り出して操作を始めた。


「お、おい、よせ!それはやめてくれ!!」


「だったら、わたしたちのことも放っておいてよ!!」


つまり、交換条件である。お互いに見なかったことにしようというのだろう。それでいいのかと思わなくはないが、この場を収めるという一点においては悪くないように思えた。しかし……父親は受け入れなかった。


「そういうわけにはいかんだろ!その歳で妊娠でもしたらどうするんだ!?」


「それはこっちのセリフよ!まさかと思うけど、その女の人のお腹の中に、弟か妹か……いるんじゃないわよね?」


「いないわ!そこの若僧と違って、きちんと避妊はしておるわ!ヘマなどせん!!」


「ほら!やっぱり、浮気してたんじゃない!!」


まさにカオスだ。修羅場だ。そして、大声で騒ぎ立てているものだから、他の部屋や近所からも人が集まってくる。こうなると、流石にこの後……ということにはならないだろう。どうやら、俺の新時代の幕開けは、まだ先になるようだ。


すると、そんな落胆する自分の肩をたたく人が居た。OLさんだ。


「あなたも大変ね。今、タクシー呼んだから、来たら二人とも乗せて帰らせなさいね」


「あの……お姉さんは?」


「わたしは逃げるわ。こんなところを会社の人とかに見られたら大変だからね」


そして、「あとは任せた」と言わんばかりに、俺の手にメモのようなものを残して、ひとりでこの場を去っていく。どうやら、騒動が収まるまで、真夜中の散歩に出かけるようだが……


「なんだろう?」


手渡されたメモを開いてみると、こう綴られていた。


「あとで、わたしの部屋に来て♡」


その文の意味を理解できないはずはない。去り行く彼女の後姿を見送りながら、期待に胸と股間を膨らませたのだった。

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