二 並行世界から来た男

「君達、〝ノストラダムスの大予言〟というのを知っているかね?」


「ああ、はい。20世紀末に世界が滅ぶって云われてた終末論ですよね? リアルタイムじゃないけどなんとなく知ってます」


「確か、恐怖の大魔王が天からやってくるとかなんとか……」


 なぜだか突如としてオカルトめいたものに話が逸れたが、俺と友人は面食らいながらも、わずかに持っていた浅い知識でなんとかそれについてゆく。


「1999年7の月、空から恐怖の大王が降ってくる。アンゴルモアの大王を復活させるために……これが16世紀フランスの占星術師ミッシェル・ノストラダムスが記したという予言の詩だ。これを当時の我々は人類滅亡を意味するものと捉え、誰もが恐怖のどん底へと突き落とされた」


 細かいところは微妙に違っていたが、どうやら俺達の認識はだいたい合っていたようだ。


「でも、何も起きなかったんですよね? 俺らがこうして無事にいるのが何よりの証拠だ」


 あえて訊くまでもない、至極当たり前のことではあるが、俺は相槌を打つ代わりにその歴史的事実を一応確認してみる。


「そう。その通りだ……君らの暮すこちらの世界・・・・・・ではね」


 ところが、男性は再びこちらへ眼を向けると、なんだかもったいぶった様子で意味ありげな言い回しを敢えてしてみせる。


「だが、私のもといた世界──世界線といった方がいいのか、そこでは予言通りに確かに〝恐怖の大王〟が空から降ってきた……恐竜の時代を終わらせたとされるものよりもはるかに大きな、巨大隕石という名の恐怖の大王だ」


 俺達は、予想外すぎるその展開に思わず息を飲む。


「それは一瞬だったよ。あっという間にもすべてが眩い光に包まれ、激しい衝撃波とともに私も街ごと消し飛んだ……はずだったんだ。しかし、急に静かになった周囲の様子におそるおそる目を開けてみると、私だけがこちらの世界線へ飛ばされていた……理由はわからないが、私だけが〝予言が外れる〟世界線へと飛ばされたんだよ」


 普通に聞いたら明らかに眉唾ものの与太話にしか思えないが、男性はいたく真面目な顔をして語り聞かせてくる。


「おかげで命拾いはしたが、こちらの世界線は文字通りの世界だった……いや、常識も物理法則も特に変わりはしないが、細かな事象が微妙に違うんだ。当時、私はまだ学生だったのだけれど、クラスにはまったく見ず知らずの友人達ばかりがいる。でも、私はまるで知らないのに、向こうは私のことをよく知っているんだよ」


 淋しい瞳をグラスに向けたまま、男性はさらに続ける。


「まあ、中には見憶えのある顔も何人かはいたが、彼らの記憶ももといた世界線とは違ったものだ。それは家族にもいえることで、やはり私の知る家族とは異なる記憶を皆が持っていた……つまり、大まかには変わらずとも、歴史が微妙に異なっているのさ。この世界の中で、私だけが違う歴史を知る異質な存在なのだよ」


 魔法が使えたり、幻獣が実在していたり、なんか景色が中世ヨーロッパ風だったり……そうした目に見えて異なるものではないにしても、それは確かにある種の〝異世界〟と呼べるものなのかもしれない。


「歴史は偶然の積み重なりでできている。隕石衝突が起きない世界ともなれば、それくらいの差違はむしろ当然と言えるものだろう……ま、そのおかげで命拾いしたわけなんだが、自分一人だけ見知らぬ土地にいるというのもなかなかに辛いものさ。例え命を失おうとも、もといた世界にどうにかして戻って、皆と運命をともにしたいと正直思っていたりもする……」


 俄には信じ難き話ではあるが、男性のあまりに真面目な語り様に、俺も友人も押し黙ったまま、いつしかじっと聞き入ってしまっていた。


「さて、そろそろ時間か。いや、酒のせいか少々余計な話をしてしまったようだ……ああ、すみません、お勘定を」


 と、不意に男性はすくと立ち上がり、俺達を置いてけぼりに帰り支度を始める。


「じつはその隕石が衝突した日というのが今日なんだよ。向こうでは居酒屋じゃなく喫茶店だったんだけどね。私はここで轟音と激しい振動に襲われ、様子を見に外へ出たところであの瞬間に遭遇した……その運命の時間まであと数十秒ほどだ」


 そんな彼をポカンとした顔で見上げていると、清算を済ました彼は再び話を始める。


「だから、なんとか向こう側に戻れはしないかと、毎年、この日に私はここへやって来ては、あの日と同じことをずっと繰り返しているのさ。異世界…ましてや違う世界線へ飛んでしまうことなんて、意外と簡単に起きてしまうことなんだよ……いや、今夜は邪魔したね。それじゃあ、ちょうど時間になったんで私はこれで……」


 そして、腕時計を眺めながらそう話を締めくくると、入口の引戸を開けて店の外へと出てゆく。


「…………」


 一瞬の後、ぴしゃりと閉まったその引戸を、俺も友人もただただ呆然と見つめていた。


 いや、外へ出た男性がその後どうなったのか? それはわからない……特に轟音も振動も起きてはおらず、店内は酔っ払い達の喧騒で相変わらず満たされたままだ。


 無論、男性の試みの結果を知るのはいとも簡単なことだ。あの引戸を今すぐ開けて、ちらと外の様子を見るだけでわかる……。


 だが、なんだかそれをしてしまったら、自分達も世界線を越えてしまうような気がして、言い知れぬ不安に駆られた俺達は、どうしてもそれをすることができなかった……。


                 (世界線を越えた日 了)

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世界線を越えた日 平中なごん @HiranakaNagon

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