明るい夜の真ん中で

壱ノ瀬和実

明るい夜

 東京の夜は明るい。

 夜の十一時。就職のために上京して一年近く。もう時間の感覚も狂った。数年前までこの時間はもう真夜中で、地元じゃ寝る以外にすることなんてなかったが、この街はまだ、起きていた。

 俺は一人歩く。スーツのネクタイを緩めて、残業続きの苛立ちを誰に吐き出すこともなく。

「お兄さん、大丈夫?」

 突然声を掛けられた。

 女の子だった。

 ブレザータイプの制服姿で、俺を呼び止める。

「こんな時間になんだ。君みたいな子が出歩いていい時間じゃないだろ」

 心配になって、俺は立ち止まった。

「こんな時間だからこそ、って可能性はない?」

「……家出か」

「似たようなものかな」

 随分と妖艶な子だった。少し傷んだように見える黒髪は腰元まで伸びて、スタイルに自信があるのかスカートの短さは目のやり場に困るくらいだ。

「お兄さん、なんかすごく疲れてる」

「そりゃ疲れもするさ。こんな時間まで働かされて、労いの言葉もなく、明日も七時には出社だ」

「大変だね。家近いの?」

「いや、次の駅まで散歩でもしようと思っただけ」

「早く帰れば良いのに」

「電車に乗るのも嫌になる時があるんだよ」

「そっか」

 そう言って、少女は俺の手を握った。

「お疲れ様。わたしでよかったら話聞こうか?」

 心に響く声だった。

「やめてくれよ、虚しくなる」

「どうして?」

「弱音なんか吐いたってどうにもなりやしないのに、女子高生の君に話して一体何になるんだ」

「スッキリするかも」

「ならないよ」

「試してみればいいじゃない」

 少女はにこっと笑った。彼女の冷たい手に、温もりを覚える。

「お兄さん、東京の人じゃないよね」

「どうして分かる」

「訛り。ちょっと違うから」

 直ったと思っていたが、やはり少し癖が残っているらしい。

「辛いよね。東京。賑やかで、華やかで。皆輝いて見えるけど、その分、付いていくのに精一杯。信頼出来る友達もできなくて、弱音を吐くこともできず、弱みを見せたら高層ビル群にすぐに呑み込まれちゃいそうになる。分かるよ。わたしも、そうだから」

「君も?」

「そう。高校進学のとき東京に出てきたの」

 彼女は目線を落とし、握る手に力を込めた。

「一人じゃないよ。辛いとき、きっとあなたを癒やしてくれる人はいる。東京にも、ちゃんとオアシスはあるんだよ」

「そう、かな」

「そうだよ。辛いときは辛いって言って良い。泣きたいときは泣けば良い。だから、肩の力を抜いて、今日くらい羽を伸ばしても良いんじゃないかな」

 弱った身体に彼女の力が伝わってくる。

 へたった心に、その言葉が突き刺さる。

「良いのかな。俺も、自由になって」

 彼女は頷いた。優しく微笑んで、俺の手を、彼女の胸元まで運ぶ。

「話そう。それで、スッキリしよう?」

 孤独だった。

 夏は暑く、冬は寒い。春の賑わいは他人事で、秋は一人で冬を待つ。

 そんな毎日で、俺はきっと求めていたんだ。

 救いを。

 人の温もりを。

「一緒に、来る?」

 彼女の笑顔に、俺はこくりと頷いていた。

 家出少女に成人男性がついていくことがどれだけいけないことかは分かっている。

 それでも、今夜だけは許して欲しい。

 息苦しい世界で、今だけは。

 彼女は俺の手を引いた。

 まだ明るい東京の真ん中で。

 俺を誘うように――。

「はいお客様ご来店でーす」

 ……風俗のキャッチだった。

 家出少女じゃなかった。ばりばり働いてた。

 彼女は女子高生じゃなかった。女子校生だった。二十歳だった。

 でも、良心的な店だった。初めてだったけど、なんかめっちゃよかった。たぶんまた来ると思う。給料日がくるたびに来ると思う。

 おかげでかなり、スッキリした。

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明るい夜の真ん中で 壱ノ瀬和実 @nagomi-jam

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