飢餓と爺さんの思い出

神崎 ひなた

飢餓と爺さんの思い出

 空腹が限界で夜も眠れなかった。もう三日も何も食ってない。吹けば飛ぶようなボロアパートの一室には、食べ物なんて存在しない。救いを求めて捻った蛇口からは、プスンと間の抜けた音しか出なかった。そういや水道代払うの忘れてたわ。俺は日頃の行いを悔い、涙が出るのを必死で堪えた。今は一滴の水分すら失うのが惜しい。

 なぜバイト代がまだ残っていると勘違いしていたのだろう? 口座はとっくに空っぽだったのに。どうして金もないのにDNMカードを一万円分も買ってしまったのだろう? 後悔は募り、空腹は増すばかりである。

「ハァハァハァハァ、気が狂いそうだぜ」

 真夜中なのにまったく眠れる気がしない。俺は厚手のパーカーを羽織って、気晴らしに散歩へ出た。

 よく晴れた三月の夜だった。どこか暖かい空気は肌に心地良く、深呼吸するたび春の気配が鼻孔を通り抜けていく。電信柱の影がぼうっと長く伸びていた。遠くの線路で貨物列車が、ガタンゴトンと走っていた。街灯がチカチカと点滅していた。普段は見えない・聞こえないものが深夜の街で蠢いていた。普段は気にする余裕がなかったのか、それとも空腹で神経が過敏になっているのか。

 そんなことを考えているうちに、近所の公園に辿り着いた。都会にしては自然が豊富で、小高い丘もある。散歩にはうってつけの場所だった。足元には青芝が綺麗に生え揃っていて、周辺にはほそい木や植え込みが、しん、と佇んでいる。

 こういう自然を感じる場所に来ると、五年前に亡くなった俺の爺さんを思い出す。まだ小さい頃、私有地の山へ山菜取りに連れて行ってくれた爺さん。キノコを採って帰る途中、ツチバチの巣を踏んでしまって、二人で全身を刺されまくったのはいい思い出だ。

「爺さん……」

 あの頃の、山菜やキノコの味を思い出すと不覚にも泣きそうになってしまう。空腹が限界だという理由が九割、残り一割がセンチメンタル。

 と、その時、少し離れた場所から喋り声が聞こえてきた。俺は咄嗟に気配を殺し、近くの茂みに隠れる。しばらくすると、声の主が姿を現した。

「というわけで、今日は近所の公園で食べれる野草を採取しているわけですが~はい~、結構イイのが採れましたね~」

 自撮り棒に向かって延々と喋っている成人男性……どうやら動画投稿者的なサムシングらしい。

 最近、結構いるんだよな。野草とか採って調理する系のサムシング。

「しかし……そうか、その手があったか」

 爺さんを思い出した時、なぜ気が付かなかったのだろう? 金がなくとも食べ物を得る手段はあるじゃないか。財布を頼らず、自然を頼る。人間が社会に生きる前は、みんなそうしていたはずだ。ならば俺にできない道理もない。

 俺は全集中で、サムシング的な人の声に耳を傾けた。どうやらこの公園では、ノビルやタンポポが自生していて、ちゃんと調理すればなかなかイケるらしい。運がよければバッケも見つかるとか!?

 サムシングが撤収するのを待ってから、俺は茂みから飛び出し、公園中を駆けずりまわった。スマホの灯りで地面を照らし、手あたり次第に喰えそうな野草を探す。しかし、なかなかそれらしいものは見つからない。

「爺さんの話をちゃんと聞いとけばよかったなぁ」

 爺さんは色んな山菜を知っていて、事あるごとに色んな話を教えてくれた。だが当時の俺はまったく興味がなくて、ほとんど聞き流していた。

 あの時の知識が一ミリでも残っていれば役に立ったのになぁ。

 もう一度、爺さんに会いたいなぁ。

「ヤバイ、また泣きそうになってきた」

 センチメンタルと空腹が、全力で俺を泣かそうとする。こんな深夜に俺は何をやっているんだろう……なんて、思ってはいけない。立ち止まったらそこで試合終了だぞ。

 とはいえ、いつまでも果ての無い捜索を続けるわけにもいかない。もしかすると、さっきのサムシンガーが目ぼしいものは全て回収しちゃったのかも、という当然の考えが脳裏を過ぎる。

「仕方ない。帰ろうか」

 いい加減、空腹よりも眠気が勝ってきた。諦めて公園の水をたらふく飲んでから、とぼとぼと一人、月明かりに照らされながら帰路に付いた。

「…………ん!?」

 下を向いて歩いていた俺の眼に止まったのは、電信柱の下から伸びるバッケの芽だった。まさに小さい頃、食卓に上がっていたのと同じサイズ感。突然の再会に思わず飛び上がって叫んでしまう。

「神は俺を見捨てなかったッッッ!」

 ありがとう、神。

 ありがとう、爺さん。

 ありがとう、サムシング的な人。

 もう細かいことを考えている余裕もない。俺はバッケを引っこ抜いて意気揚揚と小躍りしながら家に持って帰った。

 早速洗って食おうと思ったが、水道が止められているのを忘れていた。仕方がないので、冷蔵庫に昔から眠っている料理酒を召還して、ダバダバダーとかけた。酒には殺菌効果があるらしいので、これでイケるだろう。

「すべての出会いに感謝して――」

 いただきます。俺は小さなバッケを一口に喰らった。


 その瞬間、脳裏に爺さんの懐かしい言葉が蘇った。


「バッケの苦みを味わえるようになったら、お前も立派な大人じゃなぁ」


「………にげェェェェェェェェェェェェッッッッッッッッ!!!!???」


 そう、空腹のあまり、俺はすっかり忘れていたんだ。バッケ本来の味を。思い出の味を。火もロクに通していないバッケなんて、苦ェに決まってんだろうが!!!

 咄嗟に、余っていた料理酒を飲み干す。口中に広がったみりん味のアルコールに耐えきれなかった俺は、口からすべてを吹きだした。


「いつかお前と、同じ酒を飲める日が来たらなァ」


 なんて、爺さんの言葉を思い出す。

 今度こそ、俺は泣いた。一人きりのボロアパートで、ボロボロと涙を零した。

 キッチンの窓から差す明け方の太陽が、目に眩しくって痛かった。



 あれから一週間経ち、バイト代を手に入れた俺は、なんとか飢餓の日々を脱した。すっかり心の平穏を取り戻したせいか、「そういやバッケに泣かされた日々もあったっけ(笑)」なんて、思い返す余裕も出てくる。たまには感傷に浸るのも悪くないと思った俺は、例のバッケを見つけた電信柱へと行ってみた。


 散歩中の柴犬が、電信柱におしっこをかけていた。


 俺はなにも見なかったことして、アパートへの帰路を急いだ。

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飢餓と爺さんの思い出 神崎 ひなた @kannzakihinata

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