幽霊の 正体見たり 幽霊じゃん!?

谷地雪@悪役令嬢アンソロ発売中

幽霊の 正体見たり 幽霊じゃん!?

 今夜は新月だという。「月夜ばかりと思うなよ」という有名なフレーズを思い出し、何かが起こる気がして、俺は一人暮らしのマンションを出て、深夜の公園に向かった。

 僅かばかりの街灯を頼りに、ぶらぶらと目的もなく散歩する。当然のように、周囲には誰もいない。ただ歩いているだけなのに、不審者の気分になった。職質されたらどうしよう。小心者だから挙動不審になってしまう。


 公園内のベンチに座って、仰け反るようにして空を見上げた。月は無くとも、星は案外見えるものだ、とぼうっとしていると。


「あのう、おにいさん」


 突然女が声をかけながら覗き込んできた。俺はびっくりしすぎて、心臓が止まるかと思った。

 人間驚きすぎると声も出ないもので、固まる俺に、女は続けた。


「あ、ご、ごめんなさい! 驚かせるつもりはなかったんですけど、ちょっとお話したくて」


 おはなし? 俺と? なぜ?


「…………美人局?」

「なんでそうなるんですか!」

「いや、だって、こんな深夜に初対面の男と話したいって」

「ほ、ほんとうにお話したいだけですよぅ! だって、ここにお話できる人がくるの、久しぶりで」

「はぁ……? なんだそれ。公園なんだから、昼間だったらいくらでも人がいるだろ」

「ダメなんです。だって私、幽霊だから」


 幽霊。なんだ、頭のおかしい奴か。


「へー、ゴシュウショウサマ」

「あ、し、信じてないですね!?」

「幽霊だなんて、馬鹿馬鹿しい。どっからどう見ても、普通の人間……」


 言いながら、俺は自称幽霊を頭からつま先まで眺めた。いや、正確には、眺めようとして、途中で目を留めた。


「足ないじゃん!?」

「だって幽霊ですから」


 俺は絶句した。幽霊。いや、見間違いなのでは?

 そう思って目をこすってみるも、どう見たって足がない。トリックアート?

 腰より少し下から霞がかったようになっていて、向こうの景色が見える。

 そんな馬鹿な。俺実は霊感とかあったのか? そんな知られざる能力が? 今まで一度だって霊とか見たことないけど。


「え、そ、え、じゃぁ、なに。話って、あれ? 未練を聞いてほしい、とか? 成仏したい的な?」

「そんな重たい話しませんよぅ。普通にお喋りしたいだけです」

「ええ……幽霊が、お喋り……」

「だって話せる人が限られてますもん。いいじゃないですか、ちょっとくらい付き合ってくれても」


 彼女の声色は軽くて、地縛霊とか悪霊とかって感じは受けない。切実な様子もないし、本当に、会話がしたい、だけ?


「……何が話したいの」

「うーん? 特に何を、ってわけじゃないんですけど。おにいさん、何してた人ですか?」

「ごくフツーのサラリーマン」

「へー! サラリーマンって、何するんですか?」

「だから、フツー。営業したりとか、そんなん」

「フツーって言われてもわかりませんよぅ。私、会社員やったことないですもん」

「あんたは何やってたの?」

「私、漫画家だったんです!」


 どやぁ、という顔で、幽霊が胸を張った。


「すごいじゃん」

「でしょう、でしょう! まぁ、全然売れなかったんですけどね」


 たはは、と笑いを零す顔は、落ち込んでいる風には見えない。


「いいな」

「え?」

「楽しそうじゃん。売れなくても、楽しかったんだろ。漫画家」

「それはもう!」


 満面の笑みを浮かべる彼女に、ずくりと胸が痛んだ。


「私、漫画描くの大好きで、大好きすぎて。寝食忘れてずーっと漫画描いてて、そのせいで死んじゃったんですけど。最後の最後まで好きなことをして、ペンを握ったまま逝けたんです。もっと漫画を描いてたかったって気持ちはありますけど、それでも、幸せでした」

「……へぇ」


 俺は、そう返すので精一杯だった。

 羨ましい。妬ましい。でもそれを口にして、小さい男だと思われたくなかった。


「おにいさんは、幸せでしたか?」

「別に、フツー」

「またフツーですか」

「他に言うことないし」


 少し刺々しくなった声に、幽霊は困ったように眉を下げた。ああ、初対面の女に、当たることじゃないのに。


「何か、辛いことでもありました?」

「別に」

「良ければ話聞きますよ。ほら、第三者に話した方がすっきりすることってありますし!」


 拳を握って力説する幽霊に、俺はちょっと引いた。ぐいぐいくるな。

 ああ、でも、そうか。こいつは幽霊だから。こいつが会社の奴らに言いふらすってことは、絶対にないのか。

 それなら。愚痴の相手としては、安心かもしれない。


「大したことじゃねぇよ。ただ、仕事が忙しくて、ちょっと参ってるだけ」

「お仕事大変だったんですか?」

「いわゆる、ブラックってやつらしいけど。よくわからん。他を知らないし。俺、高卒でさ。就職難だったし、やっと入った会社で。五年くらい勤めた頃、もっとマシなところ、って探したこともあるんだけどさ。大した経歴があるわけじゃなくて、転職サイトとか登録してみたけど、厳しいって言われてさ。どこにも行けなくて、どうにもできなくて、なんかずるずる。今のまま」


 変わりたいと思って、変われなくて。資格とかスキルとかって言われたって、今の仕事を続けながらじゃそんな時間は取れない。もう何連勤だったか覚えてない。

 それでもやりたい仕事なら頑張れたかもしれないけど、ただ生きるためだけに就いた仕事だ。やりがいなんて微塵もない。

 毎日毎日、ただ作業をこなすだけ。こなして、怒られて、やり直して、怒られて、命令されて、怒鳴られて、貶されて。


「いいよなあんたは。好きなことして死ねたんならさ。俺も死にてえよ。だって生きててもなんもいいことねぇもん。さっさと死んでふらふら公園でも散歩してたいわ」


 八つ当たりだ。わかっていたけど、止められなかった。口にし始めたら止まらなかった。ああ、俺、こんなに弱音が溜まってたんだ。誰にも吐き出せないから、気づかなかった。


「ほんとはさ、死にたくて、ここに来たんだ」


 俺の言葉に、幽霊はやはり困ったように眉を下げていた。


「ほら、新月の夜ってさ。殺人とか、おきそうじゃん? 自分で死ぬような度胸はないからさ。保険も下りないし。他殺だったらさ。ちょっとは家族に金も残せるし、自殺ほど迷惑かけないし。なんか、仕方ないなって思えそうじゃん。だって俺のせいじゃないから。他人の手で、終わらせてくんないかなって」


 卑怯だとは、自分でも思う。でも、時々、思うのだ。誰かこの人生を終わらせてくれないかって。

 もっとひどいことを思う時もある。でかい隕石とか、落ちてこないかなって。

 だってそれなら避けようがない。俺だけじゃない。みんな一緒だ。俺だけが、酷い目に遭うんじゃない。

 一人は寂しいから。みんな一緒に、死んでくれよ。


「なんて。殺人なんて、さ。そうそう起こるわけねぇんだけど」


 乾いた笑いをこぼした俺に、幽霊はずっと閉ざしていた口を、ゆっくりと開いた。


「私たち、もっと早く出会えたら良かったですね」

「は……?」

「そうしたら。私は、おにいさんの手を引っ張って、無理やりお仕事をやめさせて、漫画のアシスタントをさせたりなんかして」


 何を阿呆なことを。ぽかんとするばかりの俺に、幽霊は穏やかな笑顔を向けた。


「そんな未来も、あったかもしれませんね」


 ありもしないたらればを並び立てて。そんな空想、何の意味もない。

 それでも彼女は。もし、自分と出会えていたなら。俺を救ってくれたと、言っているのだ。

 そして今、彼女がこう言ってくれるのなら。この先、別の誰かが、俺にまたこう言ってくれる未来もあるかもしれない、ということだ。

 それが、口先だけの安っぽい慰めだとしても。

 口先だけ死にたいなんて言ってるような、臆病な俺には十分だった。


「あんた売れてなかったんだろ。アシスタント代なんて払えんのかよ」

「そ、そこはなんとかしますよぅ! 人間やる気になれば、なんだってできるもんです!」

「はは、なんだって、か。俺もそんくらい適当に考えたら良かったんだな」

「て、適当ってなんですかぁ!」


 もう! と怒りながらぽこぽこ叩いてくる幽霊に、俺は声を上げて笑った。

 今からでも、できるだろうか。やりたいことなんて、何もないけど。

 全部放り投げて、生きられるだろうか。例えば、やりたいことを全力で頑張っている誰かを支えるような仕事を。頑張りすぎて死んでしまうような誰かを、守ってやれるような仕事を。

 俺にはない、夢や希望を持っている誰かを。

 そんな眩しさを眺めていられるのなら、俺も、そうなりたいと思えるかもしれない。


「幽霊に人生相談ってのも変な話だけど、話せて良かったよ。ありがとうな」

「いえ! おにいさんの気持ちが軽くなったなら、私も嬉しいです」


 にこにこと笑う幽霊に、いつしか友情のようなものを感じていた。本当に、生きている内に出会えたら良かった。


「さて、んじゃ俺は帰って辞表でも書くわ。元気でな、幽霊」


 幽霊に元気で、というのも変な話だが。彼女は元気そうだから、別にいいだろう。

 しかし、そう言って帰ろうとした俺に、何故だか幽霊は慌てだした。


「えっ!? おにいさん、帰っちゃうんですか!? まだまだ夜はこれからですよ」

「いやこれからって。もうとっくに真夜中過ぎてるだろ。そろそろ寝ないと、俺明日も仕事だし。辞めるけど」

「……やっぱりおにいさん、気づいてないんですね」


 急に落ち込んだ声に、俺は首を傾げた。愚痴を聞いてもらっておいてこちらの都合で帰るのは申し訳ないが、こちとら生活がある。用がないなら、また後日にしてほしい。


「何が?」

「おにいさん。足元、見てください」

「あんた足ないじゃん」

「私じゃなくて、おにいさんの」


 はぁ? と思いながら、俺は自分の足元に目を落とした。何か落ちてるのか。靴紐でも解けているのか。


 俺は、目をこすった。


「……は?」


 足が、ない。


「…………はぁ?」


 いや。いやいやいや。なんで。だって、足がないのは、幽霊の方で。


 ばっと顔を上げると、痛ましげな顔をした彼女と目が合った。


 ――『おにいさん、何人ですか?』


 なんで。いつから。おれ。




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