満月散歩

にゃべ♪

それは満月の夜の不思議な出来事

 今夜は満月らしい。窓の外からぼうっとその丸い光を見ていたら、何故だか無性に散歩をしたくなった。俺の中に眠る野生が先祖返りを起こしているのだろうか。

 外の空気は少し肌寒くて、そして割と心地良い。月光の下、まるでモノクロ映画の登場人物になったみたいな不思議な気持ちになる。耳を澄ませば、フィルムの回る音も聞こえてきそうだ。


 夜の散歩の心地良さに気付いたのはいつからだっただろう。あの頃と同じ感情が今の俺の心の中を満たしている。今宵はとてもいい散歩日和だ。あれ? 夜に日和と言う言葉を使うのはおかしいのかな?

 すっかり寝静まった住宅街は、繁華街と違って人1人、車一台ともすれ違わない。まるで世界に1人だけ取り残されたみたいだ。悪夢に捕らわれた囚人のようで、その疎外感もまた楽しい。


「まだ起きている人もいるみたいだけど、歩いている人はいないな」


 たまにマンションに目を向けると、ポツポツといくつか光が溢れている。ネットでもしているのか、電気をつけたまま眠っているのか。そう言うのを想像するのも楽しい。真夜中は妄想力が膨張するのだ。

 その膨張が俺に幻を見せている。前方からふわふわとおばけが飛んできたのだ。


「ん?」


 その見慣れない謎物体は、段々とその姿をハッキリとさせる。マジもんのおばけなら多少は驚いていただろう。けれど、近付いてくるそれは全く怖くなかった。何故なら、余りにファシーだったからだ。

 ふっくらとまるまるしたスタイル。つぶらな瞳。小さくて可愛らしい両手。怖がらす気ゼロのぬいぐるみのようなおばけは、迷いなく俺の前までやって来る。もしかして、その見た目で俺を怖がらそうとでも思っているのだろうか。


「うらめし……」

「やかましい」


 俺はおばけにツッコミをいれる。想定外のリアクションだったのか、おばけは目を丸くしてピタリと動きを止めた。


「おじちゃん、怖くないの?」

「こんなゆるキャラみたいなおばけがいるか!」

「ゆるキャラ?」


 おばけはゆるキャラを知らないようだ。嘘だろ? ゆるキャラって言葉が生まれてもう20年くらい経たないか? 目の前のおばけは実は結構年寄りなのか?

 気になった俺はじっくりおばけの顔を見る。そのつぶらな瞳を見る限り、どうにも高齢者のようには見えない。つまりそれは、このおばけが人間の文化とは無縁な暮らしをしていると言う事なのだろう。


「ゆるキャラってのは、つまり可愛らしいって意味だよ」

「えへへ~」


 容姿を褒められたおばけは表情をだらしなく崩した。ここまでのリアクションから、俺はこのおばけの正体を見抜く。


「お前、化かす気ないだろ」

「なんで僕がたぬきって分かったん?」


 ちょっとカマをかけたら、おばけは自分の正体をあっさりとバラした。そうしてボワンと軽く爆発して、元の姿に戻る。現れたのは予想通りの子供の狸。ポンポコ腹鼓を打つにはまだまだ若すぎる容姿だった。

 俺は彼から尊敬の眼差しを向けられて、軽く咳払いする。


「そりゃお前、見たら分かるし」

「おじちゃん、すっっごーい!」

「おじちゃんじゃねーよ!」


 子狸の無邪気な言葉に俺は大人気もなくキレてしまった。怒号を聞いた彼はビビったのか、今度は小僧の姿になって逃げていく。今どき小僧って……どこにいるんだよと、ちょっと受ける。

 て、その姿のまま行ったら人間に捕まってしまうぞ! こんな真夜中に小僧が住宅街を走っているって言うだけでも不自然なのに!


 小僧の正体がバレたら大変な事になってしまうだろう。そうなった場合の最悪パターンを考えた俺は、走り去る彼を保護する事にした。きっと近くに親もいるはずだ。無事に親元に返さなければ。


「待て~!」

「やだ~!」


 俺と子狸の追いかけっこはしばらく続く。真夜中に子供との追いかけっこ。段々とそれが楽しくなってきた。子供と遊ぶ父親ってこんな感じなのだろうか? 嬉しそうにはしゃぐ彼を見ていたら、段々テンションも上がってくる。


「ほら、人間に見つかるとヤバいんだって~」 

「じゃあ、おじちゃん捕まえてみなよ~」

「またおじちゃんて言ったな~!」


 夢中になって追いかけていたところで、ふと俺は今の自分の姿を俯瞰的な視点で見てしまう。あれ? これって他人から見たら通報案件なんじゃね? 嫌がる子供を追いかける不審者に見えてしまうんじゃね?

 この行動のヤバさに気付いた俺は、ピタリと足を止めた。それを見た子狸も走るのを止める。


「おじちゃん?」

「お前、今腹空いてないか?」

「あ、空いてる!」

「よし! 今から美味しい物買ってくるから、そこの公園で待ってな」


 俺は近くにあった公園を指定して、小僧姿の子狸を待たせた。コンビニでチキンを買って、ベンチに座っていた彼の隣に座る。


「ほら、これ食いな」

「何これ!」

「美味しいやつだ」


 美味しい匂いに緊張が解けたのか、子狸は本来の姿に戻っていた。そしてチキンを両手で持つと、恐る恐るその小さな口に含む。彼の顔が至福に包まれるのに時間はかからなかった。


「うんまっ!」

「だろ?」

「おじちゃん、有難う!」

「だから俺はおじちゃんじゃ……まぁいいか」


 目を輝かせながら夢中でチキンを食べる子狸を見ながら、俺は話すタイミングを見計らった。モグムグと食べるその姿は本当に幸せそうだ。あんまり美味しそうに食べるものだから、買ってきて良かったと俺は心の底から思う。


「お前、ここには1人で来たのか?」

「1人じゃないけど、母ちゃんが狸は人を化かして一人前って言うから……」


 つまり、自分は一人前だと言う事を証明したくて人を化かそうとしていた訳か。こうして事情も分かり、俺は小さくため息を吐き出す。


「じゃあ分かっただろ、お前はまだ子供だ。それを食べたら早く親の所に帰りな」

「なんで? もっと遊ぼうよ」


 子狸は子供らしい純真な瞳で俺を見つめ返してきた。チキンを食べ終わった彼は、今度こそ普通にいても違和感がない小学生男児の姿に化ける。


「これならいいんでしょ?」

「いや、深夜に子供と一緒にいるって言うのがヤバいから」

「なんで?」


 目の前の男児は可愛らしく小首をかしげる。やはりそうだ。人間社会の常識を全く知らない。きっと今まで人間の世界とは無縁なところで生活をしていたんだろう。狸だしなあ。

 俺はそんな無知な子供に、社会の理不尽さを教える。


「誰かに見つかったら俺が通報されてしまうんだよ」

「この誘拐犯!」

「ほら、こんな感じでって、誰ー?!」


 気が付くと、俺達の前に主婦っぽい雰囲気の女性がいた。もしかして誤解されている? と一瞬身構えたものの、言い訳をする前に隣りに座っていた子狸が彼女に向けて声を張り上げる。


「母ちゃん!」

「まったく、心配させるんじゃないよ」

「あー」


 どうやらその女性は人間に化けた子狸の母親のようだ。流石は大人の狸。完璧に化けている。全然分からなかった。でも親子なら、狸同士ならすぐに分かるんだろうな。俺はこの深い絆に感動する。

 うんうんとうなずいていると、母狸がきつい視線を俺に向けてきた。


「早くその狐から離れな! 何されるか分かんないよ!」

「え?」


 母親の言葉に子狸は目を丸くする。どうやらずっと俺の正体に気付いていなかったみたいだ。子供は騙せても大人は騙せないなと、俺は2人の前でカミングアウトした。


「そう、俺は狐だよ」


 俺は両手を合わせて本当の姿に戻る。子狸は驚いていたみたいだけど、母狸は全く動じない。今までにいくつもの修羅場をくぐり抜けてきたのだろう。こうしてお互いに秘密がなくなったところで、俺達は情報をすり合わせる。

 何とか誤解も解けたところで、母狸は子供を連れて行こうとした。


「行くあてはあるのか?」

「今度行く山は仲間が大勢いるから大丈夫さ」

「そっか、元気でな」


 人間の姿に戻った俺は、去っていく2人に向かって手を振って見送る。親子狸はしばらく歩いて、そして振り返った。


「あんたも来なよ。人の中で生きるより……」

「いや、俺はいい。結構この暮らしも楽しいんだぜ」


 俺はサムズアップをしながら、母狸の誘いを断る。人間世界での生活の方が長いんだ。今更山でなんて暮らせない。返事を聞いた彼女は踵を返す。

 そのタイミングで、今度は子狸が振り返りながら手を振った。


「またね、おじちゃーん!」

「だから、俺はまだ若いって!」


 俺も負けじと手を振って、2人が見えなくなるまで見送る。母親と一緒だから子狸もきっと大丈夫だろう。仲間も多いって話だから、友達もたくさん出来るといいな。


 こうして、満月の夜の狸問題は無事に解決。この体験を心の宝箱にしまった俺は、軽く背伸びをして足の向きを変えた。


「さて、帰るか」

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