真夜中に脱け出して
佐倉伸哉
本編
織田“
再び眠ろうと布団に
このところ、ずっとこんな感じである。“またか”と半ば諦め、信長は身を起こす。
隣の布団には、スゥスゥと寝息を立てている女性が。正室・
小袖のまま部屋をそっと出ると、
「殿、
今は、
「……ちと、夜風に当たってくる」
寝床に居ても眠れそうにないと思った信長は、少し歩いて気分転換を図ろうと考えた。
「では我等も――」
信長が出掛けるとなれば小姓達も護衛に付き従わなければならない。立ち上がろうとした小姓達を、信長は手で制する。
「供は、不要。一人で考えたい。……俺はここで寝ている、いいな?」
「……
主君から命じられた以上、従わざるを得ない。小姓達はそのまま腰を下ろした。
これが普通の主君なら『もし万一何かあったら大変です!』と護衛につくことを譲らないが、信長はそうではない。家督を継ぐ前から夜中にこっそり城を抜け出した事は幾度もあり、家臣達も慣れていた。それに、あまりしつこく主張すると主君の
起きている者の方が少ない時間だけあって、辺りは静寂に包まれている。自らが地面を踏む音だけが響く中、信長は白い息を吐きながら黙々と進んでいく。
自分がなかなか寝付けない原因を、信長は理解していた。しかし、理由が分かっているからと言ってすぐに解決出来るとは限らない。
(
信長の脳裏に、一人の人物の顔が浮かぶ。
自分で言うのもアレだが、政秀にはとても苦労を掛けた。織田家の嫡男として相応しい人物になるよう
(どうして、俺を置いていった……)
口
世間では「家督を継いでからも奇行を止めない信長を諫める為の死」と捉えられている。実際、信長も間者を使ってそういう風に広めさせた。だが、実際は違う。
(俺の力がないばかりに、爺を死なせてしまった)
唇をギュッと噛む信長。絶対の味方である政秀を死に追いやったと自らを責めていた。
信長の置かれた状況は、大変厳しいものだった。織田“弾正忠”家は、父・信秀の才覚で尾張一国を統一しただけでなく西三河にも勢力を伸ばす程の一大勢力を築いた。信秀が頭角を現したのは戦に強かったのもあるが、津島や熱田などの商業地を押さえて経済的に強固な地盤を確立したことが大きかった。
だが、北の美濃には“美濃の
偉大な当主を失った織田“弾正忠”家は、生前からの取り決めで嫡男の信長が家督を継いだのだが……家中は一枚岩とは言い切れなかった。
尾張国内どころか周辺諸国にも“うつけ”で有名な信長の器量を、家臣の大半は疑問視していた。奇行ばかり目立つ信長とは対照的に、その弟である“勘十郎”
家の外も、内も、敵だらけ。信長が真に頼めるのは傅役である政秀くらいだけだが……信行の傅役を務めた柴田勝家や信長の家老をしているが内心は“信行側に付きたい”思いを抱く佐久間信盛・林秀貞と、政秀は四面楚歌の状況に置かれていた。信行方の家臣達に詰め腹を切らされた――それが今回の真相である。
自分がもっとしっかりしていれば、家中に
暗闇の中を、手
夜道を一人で歩いても、襲われる不安はなかった。信長の領内は、極めて治安が良かったからだ。経済的に余裕のあった織田家では、領内の道や橋などの
無心で歩いた信長は、城下を出て郊外に辿り着いてやっと足を止めた。辺りは田園地帯で、空を見上げれば満天の星が散らばっている。
寒空の下にも関わらず、信長の体は熱くて熱くてたまらなかった。竹筒の水で喉を潤し、暫しの間星空を眺める。
星を眺めていたからといって、妙案が浮かぶ訳でも問題が解決する訳でもない。けれど、信長は頭を空っぽにしたかった。他人の声を気にせず、一人で考えたかった。
(俺は、どうすればいいのだ……)
周囲から期待されてない事は分かっている。父も政秀も居ない今、信長の後ろ盾となってくれる人は居ない。一番の解決策は弟に家督を譲ることだが、それは一番の
「まぁ、そんな怖い顔をされて。良いお顔が台無しですよ?」
突然声を掛けられ、ビックリする信長。直後、頬を指でツンとされ、さらに驚く。
反射的にそちらへ顔を向けると、そこには妻の帰蝶の姿が。
「ど、どうして
驚きのあまり声がやや裏返ってしまった信長。それもそうだ、帰蝶はついさっき那古野城の寝所で眠っているのをこの目で見ている。居る
それに対して、帰蝶は「ふふふっ」と笑みを漏らしてから言った。
「殿がこっそり出て行くので、つい後をつけてしまいました。あ、ご心配なさらず。犬殿が護衛についてきてくれました」
帰蝶が言う“犬殿”とは、本当の犬ではない。信長が
「犬千代め……」
「怒らないであげてください。
そう言われると、信長も自然と怒りが収まる。どういう訳か、気難しい信長は帰蝶と気がとても合った。
隣に座った帰蝶は、屈託のない笑みを浮かべながら言った。
「……綺麗な空ですね」
「……あぁ」
「
感謝の言葉を口にされ、むず
なんともおかしな光景ではある。真夜中に、夫婦二人で城の外に出て、星空を眺める。一体どうしてこうなったのか。
もう、あれこれ考えるのも馬鹿らしくなってきた。信長も腹を
「俺の味方をしてくれるのは、帰蝶だけになってしまった」
星空に目をやりながら、ポツリを漏らす信長。帰蝶は何も言わない。信長はさらに続ける。
「誰も俺を当主と認めたくない。だが、俺がこの座を譲れば織田家は確実に滅ぶ。親父も爺も居ない今、俺はどうしたらいいのか」
ありのままの自分を
すると、帰蝶は事も無げにあっさりと告げた。
「殿は一人で何もかも抱え過ぎなのです。少しは他人を頼ってはいかがですか?」
「頼ると言って、誰を頼れ――」
思わず反発しようとする信長を制するように、帰蝶は言った。
「父を頼りなさいませ」
父、父……帰蝶の言葉に、思わず頭が真っ白になる信長。
そして気付いた。俺にはまだ、頼るべき存在が居たのだ、と。
帰蝶が言う父、帰蝶の実の父・斎藤道三。
「美濃の斎藤家の後ろ盾があると知れば、家中の者達も敵対する者達もおいそれと手出しはしないことでしょう。父の睨みがある内に、家中を固めてしまいませ」
その言葉が、ズバッと信長の胸を貫いた。どうして俺はその手を思いつかなかったのか、と反省したいくらいだ。
まだ
しかし……この案には一つ懸念がある。
「……義父殿は、味方してくれるだろうか?」
信長が心配そうに漏らす。相手が弱っているとなれば吞み込んできたのが道三のやり方。例え娘婿だとしても、道三が“
「ならば、父を騙してしまわれませ。それくらい出来ますよね?」
あっさりとした口調で訊ねる帰蝶。無理難題を突き付けたかと思いきや……信長の目は
「……やってやる。
力強く宣言する信長に、帰蝶は満足気に頷いた。
方向性は定まった。あとは、義理の父である道三の信を得るだけ。それくらい出来ないと乱世を生き抜けない。それくらいの
「さて、帰るとするか」
「はい。犬殿も寒い思いをして待っておられますし」
帰蝶に指摘されるまで、犬千代の存在はすっかり頭から抜け落ちていた。城に帰ったら
この年の四月、信長は道三と濃尾国境近くにある
予め先に到着していた道三は、近くの家に隠れて信長の様子を観察した。その時の信長は噂通りに傾奇いた服装をしており、相手がこんな様子なら“略装でもいいな”と判断した。
しかし――対面の座に現れた信長は、きちっとした正装。完全に一本取られた道三は、『我が子達はあの“うつけ”の
道三の後ろ盾を得た信長は、尾張国内の敵対勢力の掃討に時間を費やすこととなる。後年、天下人としてその名を轟かせることになるキッカケは、あの日の夜の出来事があったからかも知れない――。
真夜中に脱け出して 佐倉伸哉 @fourrami
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