14話 オタクってやっぱ複雑怪奇

 後に乙女はこう語る。


「でも、この世界のクィル様はわたくしの知っている『クィル様』でないんじゃ? と思ったら、本当に孤独になってしまうような、苦しい気持ちがいたしましたの」





 書庫の中は階段の外側の壁に本棚がずらりと並んでいる作りになっており、地上のみならず地下には通路もあるようだった。



「年代ごとに分類されているようですね……」



 本棚に触れ、ステューが言う。



「帰ろぉぜ、見ちまった内容によってはガチで消されんぞ」

「そう言う割について来ていますよね?」

「べつにー。お前に関係あるか?」

「はいはい」



(クィルの目的は……まあ、立場上ステューの邪魔、よね。それから、やっぱり……15歳の男の子だし好奇心もあるのかなぁ……やだな、ここで変に好感度が増減しそうなイベントとか疑心暗鬼になる場面が増えるの……)


 そう思い一息。吐いてゾフは振り返った。本棚を眺めるそれぞれの顔に向き合う。



「危ない、というのならば、効率よく探しませんこと?

 恐らくここでは、本のジャンルごとの分類がなされておりませんわ。

 ですから、ステュー様とティナは後ろ、クィル様と私が前に、2列に分かれては?

 隣り合った本棚をそれぞれ下段と上段から調べていきますの。歴史に分類される本がその棚になさそうな場合、次の棚に移る……いかがでしょうか?」


(これでティナがクィルに絡まれることも、クィルがステューを真横で見張ることもできなくなるはず……!)


 ティアナの顔が目に見えて明るくなる。ほっとしたような、すがる表情に揺れる白銀の尻尾を幻視した。



「まぁ……それがいいでしょうね。クラウディア嬢は図書館に不慣れでしょうし、僕がサポートしますよ」

「は、はい……! ありがとう存じますわ」

「ふふ、そんなに畏まらないでください。僕らは同級生でしょう?」



 しかし、その安心は一瞬で踏みならされる。



「引き剥がしたな」



 凄みのある低いウィスパーボイスにゾフの背筋が戦慄いた。

 横を見ても、クィルは本棚を見ているようにしか見えない。

 ゾフは自分に出せる限り小さい声で囁き返す。隣の本棚は遠いといえ、2人に聞こえてはいけない。2人の方を見やると、カンテラ代わりにステューが出した光の球体に、ティアナが喜んでいた。やはり、クィルが側にいない方がティアナは落ち着くようだ。

 

「……いえ、滅相もない。ただ、ティアナがあなたといると休まらないようなので」

「それだけじゃない。お前は俺をステューから引き離したな。何故だ?」


(ああ……流石王家の犬、諜報の家の生まれ……)


 ゾフは理解した。


 助け舟を出したつもりが、自分こそが最もクィルから怪しまれる立ち位置になってしまったのだと。


 生まれた時から諜報の訓練をしていた者に、自分の企みが見抜かれないわけがない。


(ここは、嘘で答えてはいけない。でも、真実も言えない……)



「……すごいですわね、そんなことまで見抜かれてしまうなんて……。さすが、公爵家の方ですわね。でも、違いますの。『わたくし』が、貴方様のことを気になっているからこの分け方をいたしましたの」



 小さく呟くと、クィルが一瞬目を丸くした。

 沈黙。予想外。緊張。


 ゾフの瞳がカンテラの明かりでゆらゆらと照らし出されている。『原作者として予想外の動きをしてくるクィルが何を考えているのか紐解きたい』という思いは、一切嘘ではない。むしろ、切実な思いだ。

 彼次第で今後のするべきことが全て変わってしまうのだから。


 とはいえ、多少この言い方は誤解を招くというか、大胆すぎたかもしれない。急いで誤魔化さなければ。そうだ、こういう言い方もある。

 ゾフはカンテラの光を大きく揺らした。



「なーんて、冗談ですわ! 失礼いたしました」



 クィルを納得させたくて、自然と早口になる。

 


「ステュー様が……ティナを気にしていらっしゃいましたの。髪色が珍しいからでしょうね。殿下に近付かれるのを、警戒していらっしゃった。2人きりで話せば、ティナの可愛らしさ、穏やかさ、純朴な心の美しさに気づいてくださるはずですわ。だから離れていただきましたの」



(うん! この理由も嘘じゃない! ちょっと苦しいけど! かなり苦しいけど!)



 ゾフが淑女スマイルを装備してぴるぴる震えていると、手元から暖かな光が持ち上がった。

 クィルがカンテラを取り上げたのだ。



「……そういうことにしておいてやる」



 相変わらず書架から目を動かさないその顔。耳が少し、何故か赤い。

 何故この場面で赤くなるのか。考え、気付いた。


(……もしかして私の嘘、共感性羞恥で赤くなるほど下手だった!? 恥の上塗りでしかなかった!? ひぇ〜、やっぱり半端じゃないな本職……やだな、これから私たち全員きっと数えきれないほど嘘をついて生きていかなきゃいけないのに……。誰だこんな近くに嘘発見機設置したやつ)


 当然自分なのであった。


 ゾフがため息をつくと同時、向こうから「ここにはありませんでした!」とステューの声が聞こえた。クィルが声を返す。



「こっちにもない。移動するぞ」




 どれくらいの間経っただろうか。

『ない』を何回繰り返したかもう思い出せない。ただひたすら螺旋階段を登っている。

 吹き抜けの下から漂ってくる冷気が恐ろしくて、階段の下を見れなくなった。


 依然カンテラを持っているのはクィルだった。何度か代わろうとはしたのだ。ゾフが何を言ってもクィルはぶすっとした顔で断り続けた。


 自分は伯爵家の人間なのに、公爵家の長男(仮)にそんな風にされていると、いっぱしのレディになったようで肩身が狭い。


(あ。『レディ扱い』されてるのか。もしかして)


 そういえば、「ない」と後ろに叫ぶ役も取られっぱなしだ。

 クィルがそうしたいなら、そうすると決めたなら、それを拒む権利はゾフにはない。

 ゾフは黙ってその『レディ扱い』を受け取り続けた。



「あ、あの……そろそろ、今日は、帰りませんか?」



 ふいに、こちらに走り寄ってきたティアナがそう言う。その表情を見るに、どうやら彼女たちの方には成果があったようだ。

 ティアナ自らこちらに来たのは、ステューの顔を見せられないと判断したからだろう。相変わらずクィルとは目を合わせられないティアナなら、クィルに王国の秘密を知った動揺を読み取られない。ティアナはそう判断した。

 クィルが舌打ちすると、肩が可哀想に縮む。

 後でたくさんお菓子をあげなければ……と思いながらティアナをよく見ると、様子がおかしい。どこか、顔色が悪いような……。



「殿下とエレーナ様もご心配されているでしょうし、……りょ、寮のご飯にもまにあわなくなってしまいますわ……」



 具合でも悪いの? 大丈夫?

 そう声をかけるつもりだった。ゾフは乙女の肩に触れようと手を伸ばした。

 

 パシッ。


 その手は振り払われた。

 振り払った方のその手首から、銀色のアンクルが外れ螺旋階段の吹き抜けの方へ。


 ゾフは迷わなかった。


(あれがなきゃ、私達はここで遭難する。そう決まっている)


 迷わず、アンクルの方へ手を伸ばし、翔け、跳んだ。階段に片足を乗せ、アンクルを掴み取る。

 ほっとしたのも束の間、手すりから足が滑りゾフの体は宙に投げ出された。


「ゾフ!」

「ゾフお姉様!」


 どれくらい登ってきただろう。どのくらい地下があるだろう。

 もしここで死んだら、この体はどこに行くのだろう。


 加速する思考の中、ふっとそんなことを思った。



(あれ、死んでない)


 頭が重い。宙吊りになっている。



「馬鹿かお前! 死にたいのか!?」

「お、お姉様ぁ、お姉様! ごめんなさい、ごめんなさい……!」



 クィルとティアナが、ゾフの脚を掴んでいた。必死な声に、遠のきかけていた意識を慌てて引き戻す。



「引き上げるぞ!」



 体が引き上げられる。スカートを抑え、ティアナの手を取り、ゾフは床の上まで戻ってきた。ティアナが泣いている。ステューも走ってきたのがわかる。



「お姉様、お姉様……ッ」

「……不安にさせてごめんね、ティナ」

「お姉様、違いますわ。私が手を振り回したから、て、手を払ったから。ごめんなさい……ッ!」

「大丈夫よ」

「大丈夫じゃ、ないです!」

「そうだ。どういうつもりだよ、ゾフ・オルヴィナ。今のは一歩間違ったら死んでたぞ」

「登ってきた階段の数は数えてる。君がそこまでする必要はありませんでしたよ」


 口々に言われ、あっけにとられた。


(でも。ここには目眩ましの魔術がかかっているからティアナのアンクルがないと出口にたどり着けない。だから無茶をする場面だった。……ああ、クィルとステューはそんなこと知らないか)



「ごめんなさい。焦ってしまって」

「……ティアナさんもゾフさんも、探索で疲れたんですね。戻りましょう。学園に」



 素直に謝ったが、クィルはまだ納得していないようだった。表情を見せたくなくて目を伏せて、乱れた服を整えた。スカートからはみ出たシャツ、シワの寄った靴下は淑女の装いとはいいがたい。確かに無理をしてしまったのかもしれなかった。



「……えっと。ティナ、クィル様。さっきは命を助けてくれてありがとうございました」



 ぺこ、と頭を下げると、ティアナが泣きながらぶんぶんと首を横に振った。


(……これはちょっとお話を聞かなきゃ、かなあ)





「私、クィル様の……ことが、その、えっと。前の世界で、わたし……夢女子でしたの」

「夢女子っていうのは……」

「リア恋、というものですわ」



(うっそぉ)


 口に出しこそしないが、思った。自分の作品のキャラに恋をする人間などがいたなんて。


 学生寮、ゾフの自室。

 今日あったことを話すいつもの時間、ゾフとエレーナの前でティアナはクッションを抱いて座り込み、告白していた。



「今もそうなの?」

「……わかりませんの。『クィル様』は目の前にいてもとても格好良くて、す、素敵だった。でしたわ。でも、でも、あの隣にわたくしが立つなんてとても出来ない……」



 エレーナが甲斐甲斐しく涙を拭く中、乙女の告解は続く。


「……わたくし、わたしは、『クィル様』と結婚したくて、私と『クィル様』は結婚するんだって、そのために生きていて、い、いつか結ばれるんだって……でも、私のことを好きになるクィル様なんて『クィル様』じゃないんです。だって、彼が好きなのは『ティアナ』でしょう? でも今はわたしがティアナで、……クィル様がわたくしのことを好きになるなんてあっちゃいけない。だから、別にわたくしに興味がなくても、いつか好きにならなくても、構いませんの……お見かけできるだけで嬉しかった。なのに、……でも、この世界のクィル様はわたくしの知っている『クィル様』でないんじゃ? と思ったら、本当に孤独になってしまうような、苦しい気持ちがいたしましたの」



「ルシルがゾフを気にしてたみたいに、クィルがゾフを気にする可能性があると思って不安になっていたみたいね。それで攻撃的になっちゃったそうよ」

「エレーナ様は翻訳者か何かですの?」

「怪文書の解読なら任せて頂戴」

「はあ……」



 エレーナがティアナを抱きしめて撫でる。



「馬鹿ね。ティナ。ティナが前の世界でどうだったかは知らないけど、今は私達がいるじゃない」

「……ぅ、う…………だって、だって、お二人は生きているから、おき、……お気持ちが変わるかもしれないでしょう? そう、ですの。ここの皆さんも生きている。怖い。生きている人は……怖いですわ……」



 変化を恐れる気持ち。それは、今のゾフにとって馴染み深いものだった。思わず近付いて、2人を抱きしめる。



「生きているから、これからが楽しみなのよ? これから訪れる、一緒にいられる時間が。まだまだ知らないあなたのことが……」



 自分は未来を楽しみにしているのだろうか。

 それはわからない。わからないことだらけだ、未来も、自分も。嘘ばかり吐いて、騙して、黙っていることばかり増えていく。

 しかし、今は2人をそばで見ていたい。

 その気持ちだけは本物だと、確信できた。

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ファンタジー小説世界に転生した原作者ですが、読者も転生してたので帰りたいし溺愛はご遠慮頂きたいです 一匹羊。 @ippikihitsuji

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