【KAC20234深夜の散歩で起きた出来事】手招きする女

ながる

事実は小説より

 寝付けなくて散歩に出た。

 朝から色々ありすぎて、体はヘトヘトなのに神経がささくれ立っている気がする。目を瞑っても一向に眠れないし、酒でもあおって、と開けた冷蔵庫にはビールの在庫もなかった。

 近所のスーパーはとっくに明かりが落ちている。仕方なく、少し遠いコンビニを目指すことにした。


 都会と違って、街灯と街灯の間隔が広く、灯りが届かない暗がりがそこかしこにある道をぼんやりと進む。上司の知り合いの家の納戸の整理から始まった一日は、その家にあったぬいぐるみに振り回されて終わった気がする。

 小さなクマのぬいぐるみは、なんだかちょっとありそうな品で、『お伽堂』という店から委託されたオマエさんが引き取っていった。

 彼が軽トラで戻ってしまってから、積み忘れの段ボールがもうひと箱見つかって、つい、「届けます」と言ってしまった。そう重くもなかったし。直帰していいことになってたし。同じ方向だったし……

 それで、『お伽堂』のドアを開けて一歩踏み込んだら……クマが飛んできたのだ。

 たぶん、比喩じゃない。オマエさんが呆れたようにこちらを見て、頭に張り付いたクマを引き剥がそうとしたけれど離れず……神社でお祓いを受ける羽目になったのだった。


「だーれだ」

「……うわっ!!」


 つらつらと一日の出来事を思い返していたら、後ろから誰かに頭を掴まれて驚いた。振り返れば、オマエさんだった。一瞬、またクマでも飛んできたのかと、心臓がバクバクいっている。


「丑三つ時にぼんやりしながら歩いていると危ないですよ? こんな時間にどうしました?」

「……こちらのセリフだが。オマエさんこそ、何を」


 胸を撫で下ろした俺にオマエさんはふっと妖しい笑みを浮かべると、「狩りをね」と言った。


「暗がりにはいろんなものが潜んでるんですよ?」

「……物騒な冗談はやめてくださいよ。若者もオヤジも狩っちゃだめですよ?」


 コンビニ前でたむろするヤンキーや、酔っ払いのオヤジを思い出して眉をしかめる。妙に落ち着いた雰囲気なのに、なんとなくやりかねないと思えるのは、ちぐはぐな言動のせいだろうか。


「治安維持には役立ってると思ったんですけどねぇ。ハザマさんはお仕事ですか?」

「ああ、いや。コンビニに」

「そうですか。お供しても?」

「別に、いいが……」


 では、とオマエさんは横に並んで歩き出した。


「その後調子は大丈夫ですか?」

「おかげさまで」

「なら、よかった。あんなに必死に逃げ出そうとするとは思いませんで。お祓いの後、何かお詫びをしようかとも思ったのですが、すぐ帰られてしまいましたし。お疲れだったのかな、と」


 本当に、この人物はこういう物言いがそわそわする。


「逃げ出す? ぬいぐるみが、ですか?」


 そうじゃないかと薄々思っていても信じたくない気持ちの方が強い。


「あんなにしがみつかれても、信じようとしないものなんですねぇ。では、今自分がどこを歩いているかは?」

「……は?」


 都会よりは街灯の間隔が長いけれども、それでも初めての道でもない。何を言っているのかと首を巡らせて、あるはずの建物がないのに気付く。驚いて足を止めて暗がりに目を凝らせば、隣町に続く峠道の入り口の青看板が目に入った。

 コンビニははるか前に通り過ぎていたことになる。


「あれ? そんなに歩いてた……か?」


 慌てて戻ろうと振り返れば、ひとつ向こうの切れそうに明滅している街灯の下に、長い髪の女性がひとりうつむいて立っていた。ゆっくりと手を持ち上げて、ゆらりゆらりと手招きを始める。

 ばくん、と心臓が強く打った。


「おや。狐狸の類じゃなくて、彼女が呼んだんですかね? 知ってます? 彼女の噂」

「て……手招きする、女?」

「そうそう」


 一緒に納戸整理をした同僚が、面白おかしく教えてくれた。峠の手前で手招きする女が現れる。うっかり近寄ると首を絞められるとか、逃げ出すと追いかけてくるとか、それっぽい都市伝説だと思っていた。

 こういう時、どうするのが正解なのかと冷や汗が背を伝うのを感じていたのに、オマエさんは鼻歌混じりに手招きする彼女へと近づいて行った。


「オマエさん?! ちょっと……」


 俺がひとり慌てているうちに、彼は手招きする彼女の手を取ったかと思うと、その手にキスをした……ように見えた。女は一瞬動きを止めて、次の瞬間には跡形もなく消え去ってしまった。

 オマエさんは何食わぬ顔で戻ってくる。


「爽やか系ですね。面白い。あ、アレはもう出ませんから、ご安心ください」

「……は? ど、ど、ど、どういう? え? 何? なに、を?」


 満足そうに唇を舐めているオマエさんは、にっこりと笑って俺の背を押した。


「え? 話を聞きたいですか? ふふ。じゃあ、まずコンビニに行きましょう。知ってます? 怪異っていうのは、だいたい酒が大好きなんですよ?」

「あ、いや! 話を聞きたいわけじゃ……」


 はっと気づいて否定した時はもう遅かった。コンビニで酒を買い込まされて、家に上がり込まれて……


 いったいどうしてこうなった!?




手招きする女 終

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