あなたのための本、あります KAC20234【深夜の散歩で起きた出来事】

霧野

星空の下で

 ほろ酔いのいい気分で深夜に戻ってきた店主は、シミの不機嫌そうなジト目で迎えられた。


「どこ行ってたの」


 言葉としては疑問系だが、語尾の上がらない口調は詰問しているようでもある。


「……深夜のお散歩です」


 一瞬言い淀んだものの、店主はにっこりと微笑んでみせた。アルコールの程よい酩酊感が笑顔を後押ししてくれる。


「どうしました? 怖い夢でもみて起きちゃったかな」

「そんなんじゃない」


 シミは小さく鼻を啜って唇を引き結んだ。


「……起きたら、てんちょが居なかったから」


 声に含まれる僅かな湿りに気づき、店主は助手席のシミの顔を覗き込む。近くでよく見れば、少し目が赤くなっているのがわかった。


「顔、ちけーよ」

「シミ、黙って出かけて悪かった。よく眠っていたものだから」

「……別に、いいけど」

「メモぐらい置いておけばよかったね」


 真っ白な髪を撫でてやると、黙って大人しくしている。普段なら文句を言いながら避けるのに。

 店主が思うより、シミは相当不安だったらしい。考えてみれば、知らない夜の街で車の中に子供が一人残されていたわけだ。いっぱしに生意気な口をきくけれど、まだまだ子供。いくら眠っていたからとはいえ、迂闊だったと後悔する。


「寒くないかい?」

 ひとしきり頭を撫でると、膝の上でくしゃっと丸まっていた毛布をかけてやる。


「少し仮眠したら出発するよ。シミが目覚める頃には、次の街に着いてるでしょう」

「……俺、もう眠くない」


 拗ねたような口調に、薄青いレンズの奥の瞳が優しく細められた。


「そっか。じゃあ、その辺を少し散歩でもしましょうか」

「一人で行く。てんちょは寝てなよ」

「こんな時間に一人でうろついていたら、補導されちゃいますよ。いい夜ですし、この街とも今日でお別れです。一緒に行きましょう」




 深夜の商店街は恐ろしく静かだ。流石にこの時間ではどこも開いていない。遠くに24時間営業のコンビニの明かりが見えるけれど、おそらく客もほとんど居ないだろう。


「考えてみたら、よその街を散歩するなんて初めてですね。しかも、こんな時間に」

「俺、昼間は外出れねえし、そもそも仕事してるもんな」


 夜のお出かけというのは、なんだか心が躍るもの。シミの機嫌も直ったようだ。弾むような足取りで、楽しそうにずんずん歩いていく。

 商店街を通り抜け、住宅街に迷い込む。街灯がまばらで暗く、明かりのついた部屋もごく僅か。郊外だからか、細い月と星が綺麗に見える。


「昼間は曇ってたのに、晴れたね」

「そうですねえ。星を眺めながらの散歩も、たまにはいいものです」

「たまには、って。さっきも散歩したんだろ?」

「あ、ええ……そうですそうです。そうでした」


 先を歩いていたシミの足がぴたりと止まった。くるりと振り向いて店主に指を突きつける。


「何か隠してるな」

「……人を指さしてはいけません」

「何か隠してるな」

「そう詰め寄らなくても」


 しかめ面でジリジリと間合いを詰めてくるシミから視線を逸らし、銀縁眼鏡を外してシャツの袖でわざとらしくレンズを磨き始める。


「吐け。俺を置いてどこで何をしていた」

「……だからお散歩ですよ」

「誰と」

「……ひとりで……」

「嘘だ。香水くさい」

「……昼間来たお客さんです……」

「何を」

「誘われて、少しお酒を……その、昨日今日と続けてたくさん本を買ってくれたので、断るのも悪いかな〜、なんて」

「それで」

「家まで送っただけです」


 疑わしげに睨んでくるシミに、店主は片目を瞑って一瞬だけ片方の口角を上げてみせ、澄ました顔で眼鏡をかけた。


「野暮な詮索はよしましょうね、大人には大人の付き合いというものがあるんです」

「なーにが大人の付き合いだキザ眼鏡。バーカバーカ」


 シミは再び背を向けると、大股でどんどん歩き始めた。店主も慌てて後を追う。


「バーカ!」


 顔だけこちらへ向けてそう叫ぶと、走り出した。


「待って! 待ちなさい、シミ!」



 十数メートル先の曲がり角ですぐに追いつく。本気で走ったわけではなかったらしい。街灯の寒々しく白い光の下、店主はシミの腕を掴むと胸の中に引き寄せた。


「もう二度と、黙って置いていったりしないから」

 強く背中をさすり、シミの頭をぎゅっと胸に押し付けて抱きしめる。


「・・・・・」

 シミが何か言ったが、声がくぐもって聞き取れない。店主は手を離し、シミの顔を覗き込んだ。


「何?」

「……くるしい、香水臭いって言ったんだ」

「そりゃあ……悪かった。走っていくシミの背中を見たら、そのまま夜空に飛んでいって消えてしまうんじゃないかと思って……焦ったんです」



 鼻の頭を赤くしたシミは、少し照れくさそうに唇を尖らせながら真っ白な髪を撫でつけた。灰色がかった瞳がキラリと光り、ついに嬉しさを隠しきれずにニヤッと笑う。


「ばーか。紙魚シミにははねが無いから、飛んでいったりしねえよ」



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