悪癖

律華 須美寿

悪癖

 『部屋を片付けろ』。誰でも子供の頃に親から言われて育ってきたであろう言葉。私も散々言われてきた。それでもなお、部屋を自由自在に散らかして生きてきた。引っ張り出した玩具はそのまま床に放っていたし、タンスから取り出した衣服は仕舞われることもなくベッドの上に放り出されたままだった。読みかけのマンガで机の上はいっぱいだったし、掃除機をかけるのも換気をするのも完全に不定期だった。

 そんな生活をしていたからだろう。あのとき『あれ』に遭遇してしまったのは。家屋にはびこる件の虫なんかよりもっと恐ろしく不気味な、あの生き物に遭遇してしまったのは。


「ああ~……めんどくさ……」

 辛うじて存在するフローリングの見えるスペースに寝っ転がりながら独り言ちる。私が後五人も寝転がればそれでいっぱいになってしまうような大きさの小部屋の中、寝返りも打てない空間に私の体は収まっている。

 これほどまでに自由度がない理由など一つしかない。首を右に向ければ漫画の山がそこかしこに出来上がり、左を向けば小学校から送り込まれた教材の山が出来上がっている。

「…………」

 足をばたつかせようものなら棚から転がり落ちてきてそのままのぬいぐるみ達を吹っ飛ばしてしまいそうだし、頭の下で組んだ腕を開放したなら、きっと作りかけのプラモデルは見るも無残に粉砕されることだろう。

「…………」

 早い話が、この部屋は混沌に満ちていた。混沌の創造主足る私にすら、どこに何があるのかが全く分からない。辛うじて勉強道具は同じような場所に集中して散乱しているので捜索のしようもあろうと言うものだが、そのほかについては探すだけ無駄、マンガ一冊探すために部屋中引っ掻き回す羽目になること請負である。

「……そりゃあ……言われちゃうよなぁ……」

 ランドセルの上に乗っかった黄色い帽子へいたずらに手を伸ばす。筆箱が教科書の山から落っこちた。フタが開かなくてよかった。

 思い出すのはつい数分前。帰宅するや否や、私に着いてきて部屋の中を覗き込んだ母親が発した第一声が「汚っ!?」である。最後に掃除をしたのは一ヶ月前。母親の手伝いを受けながらの一大作業。そのかいあってか一応は床がきちんと見えるくらいには綺麗になった我が子供部屋だったが、瞬く間にかつての惨劇を再現してしまった。そのことについての絶望の悲鳴であった。

か細いクセに異様に声量のある悲鳴。耳がおかしくなりそうだが文句を言う暇もない。私を部屋に押し込むと同時に彼女は指示した。

「部屋を片付けろ」

当然私は異論を唱える。

「このままでも何も不自由していない。 むしろ快適だ。 掃除なんて必要ない」

 自信をもって答えた。それ柄が逆にいけなかったのかもしれない。

「方づけなさい! 終わるまで、おやつ無しよ!」

「ええ~ッ!?」

 血も涙もないとは思わないか。こんなこと。小学生に取って夕飯前のおやつがどれだけ需要なものかをわかっていないと言うつもりなのか。こんなこと、子を持つ親のすることじゃない。非人道的だ。名工が喚こうが、母の決意は固いままで。結局私は自分の部屋に軟禁状態となってしまったのだった。

「…………あ~もう……どうしてそんなに怒るかなァ……」

 目帰りの代わりに文句を垂れ流す。少しでも気分が晴れるかと思ったが、あまり効果はなさそうだ。片足を持ち上げてもう片足の膝に乗っける。こうすると、周りのものを蹴っ飛ばさずに姿勢を変えることが出来る。伊達に汚部屋暮らしが長いわけではないのだ。恐れ入ったか。

「なんて……言ってもしょうがないかぁ……」

 この場にいない他人に威張ったって仕方ない。いや、もしここに母がいたとしても、私の自慢を聞き入れてはくれないだろう。むしろもっと怒るかも。間違いない。絶対、怒る。

「…………するかァ~、……掃除…………」

 かったるいどころの騒ぎではないが仕方ない。大事なおやつタイムの為だ。この部屋を何とか、人並みぐらいには綺麗にして見せよう。

「……よし!」

 決断してからの私の行動は早かったと思う。とにかく早く、部屋を綺麗にする。その目的のために狭い部屋の中をちょこまかと走り回った。

「まずは……モノを置いとける場所が必要だよね……」

 どこに何を仕舞うのか、それが決まっているならまずはその通りに『仕分ける』作業をしなければならない。しかしこんな状態では満足に仕分けなんてできるわけもないし、場合によっては該当のものを仕舞うはずの場所に別の物が入っていることもあり得るので、取りあえずの『作業台』が必要なのだ。

 作業台の候補は決まっている。私が立ち上がってから最初に向かったところがそうだ。

「この服……を。とりあえずタンスに詰めてからだな……」

 タンスの中が空っぽなことは知っていた。なにせ、取り出した私自身がそのまま仕舞わずにいるのだから。シャツとズボンを、下着と上着と。簡単に仕分けつつ、四段あるタンスの中に次々と押し込んでいく。キチンと畳んでいないせいですぐに次の服が入らなくなってくるが気にしない。どうせすぐにまた、こいつらは外に出てくるのだ。

「……ぃよし……! ……そしたら次は……」

 勢いよく一番上の段を押し込む。次は文房具だ。ある程度ものがまとまって置かれているので手が付けやすい。机の上に散らばった良くわからない雑貨類を抱えてはベッドの上に持っていき、教科書を差し込むはずの棚に収まったマンガ本を取り出して放り投げ、場所を作り出す。

「ん~……いいや。 とにかく入れちゃえ」

 本来は教科別にだとか、時間割を参考にだとかして収納するのだろうがそんなこと考えている時間が惜しい。手に取ったものから順に棚に挟み込む。残り三分の一を迎えた辺りで次を入れる場所がなくなっていることに気づき、少し考えてから、もう一杯まで使ったノートは処分してしまって良いかと思いつき、古いノートを取り出す。一応パラパラと中を捲って確認してから、ポイ。有り難う諸君。君たちは確かに私の勉学の役に立ってくれたよ。たぶん。

「あとはまぁ……テキトーに……」

 筆箱やら画材やらモノサシやら、机の上に置いておくのがよさそうなものはどんどん机の上に放り出す。仕分けてペン立てに、とかいう面倒なのは後回しだ。とにかく私は、この空間を誰が見ても「それなりに片付いてる」と思われるような部屋に仕立て上げなくてはいけないのだ。そのためには、少しくらいのズルだって許容されて然るべきだろう。

「恨むなら……母さんの暴挙を恨むんだね……!」

 私からオヤツを取り上げるなんて、絶対に許せない。

「さァ~て、これでどうだ……?」

 振り返る。この短時間で随分と見れるようになっているはずだ。少なくとも、フローリングの面積は明らかに上がっている。これだけでも快挙だ。自らの挙げた功績に思わず口角の上がるのが分かる。そうだ。私はやれば出来る子なのだ。このまま、この部屋を片付けて見せる!

「次は……マンガだな……」

 マンガの棚の間にまで移動する。ここは比較的マシかもしれない。マンガ集めは趣味だ。つまり、それなりにマンガのことは大事にしている。最近買った新しい奴はまだここに収められていないものだらけだが、それらを収納すればとりあえず目的は達成できる。尤も、巻数がバラバラなことを許容できるならのハナシではあるのだが。

「どうしよ……直すか……? 流石に……」

 愛するマンガたちを前に、愛のカケラもない思考を展開する。これが漫画の神様の逆鱗に触れたのかもしれない。

「……あっ、こんなとこに資料集が……なくしたと思ってたやつ……。 ……これは、教科書の棚に…………えっ」

 振り返った先の景色を説明するには、それしかありえなかった。

「……え……なんで……」

 床一杯に、教科書が散乱していた。

「なんでこ……こんなこと……っ!」

 机の上に移動させたはずの筆箱が、教科書の山の上にある。

「…………どういうことッ!? これッ!」

 筆箱の蓋が開き、鉛筆が盛大にぶちまけられていた。


 足音が下に響くかも。そんなことを考える余裕もなく、私は散乱した教科書の元に駆け込んだ。確かに詰め込んだはずの教科書たちが無残な姿をさらしている。それどころか、捨てるために分けたはずの古いノートまでもが一緒くたになって目の前に広がっている。間違いない。さっきまでの姿だ。

「いや……それはちょっと違うか……」

 ひっくり返った筆箱に手を伸ばす。これは開いていなかったはずだ。確かにこの目で見た。悪化している。掃除する前よりも確実に。

「なんでだ……?」

 首をかしげるよりなかった。だってそうだろう。この部屋には私しかいない。つまり私以外にこの部屋のものをどうこうできる人間などいるはずがないのだ。おまけに教科書たちが床に散らばる物音もしなかった。まるでこいつらが意志を持って、私に気づかれないよう慎重にここまで出てきたみたいだ。無論そんなことはありない。では私が気づかなかっただけか? これだけのモノが棚から落っこちてきた物音に。

「いや……ありえないでしょ……流石に……」

 拾い上げたノートを見ながら呟く。太いマジックペンで記された『言永ことながひかり』の文字があざ笑うようにこちらを見上げている。もう一度詰め直すしかないか。しかし今度は落ちて来ないという保証はない。またこうなったら、流石に心が折れる。

「じゃなくって……この部屋居られなくなるよ……怖すぎる……」

 まるで霊障だ。もしかして知らないうちに良くないものを引き寄せてしまったのだろうか。先ほどまでとはまるで別の悩みがこの身にのしかかる。恐ろしい。この場にいるのが、たまらなく。

「……! そうだタンス……」

 これが幽霊の悪さなら、真っ先に片付けたはずの衣服も無事では済まないはずだ。弾かれた様に振り返る。何も起こらないでいてくれと願う気持ちと、何でも良いから原因を特定したい気持ちとがないまぜになって心を満たす。果たして。

「……空いてる……」

 視線の先、木でできたタンスの最上段が出っ張っている。下の三段は何ともない。四段目も、確かに閉めたのに。

「……服の圧力で押し出された……? ……いやだったら、全部のタンスが開いてないと可笑しいよ……」

 一歩一歩タンスに近づく。見えない脅威を探し出そうとするかのように。タンスの中から衣服以外のものが出てくることを恐れるように。

「虫か……? ……虫であってくれ……! ……いややっぱり虫はヤだ! 嫌だけど……だけど……!」

 幽霊の方がもっと嫌だ。

 祈るような気持ちで手を伸ばす。件の段に指をかける。

「……ミギッ!」

「わっ!?」

 次の瞬間、タンスからパンツが出てきた。ピンクと白の縞模様の、私のパンツ。

 予想外の事態に完全に硬直してしまうがそれどころではない。今何か聞こえた。確実に、何かの鳴き声が。

「な…………何……が…………?」

 回答はすぐにやってきた。

「ミギミギッ! ミギッ、ミャギャアアアアアアアッ!!」

「きゃあああああぁぁぁ……ッ!!!」

 タンスの中から飛び出してきたのは小人の群れだった。そうとしか形容できなかった。

 ぎょろりとした瞳を持つ、小さな人型で緑の生き物の群れ。それが不気味な鳴き声を挙げながら一斉に押し寄せてきたのだ。


私の悲鳴を聞きつけた母が部屋に戻ってくると、部屋の中心で私が大の字になって倒れていたらしい。

 数十分前以上に混沌とした空間で、口角から泡を吹いて倒れる娘の姿にさしもの母もかなり動揺したようだったが、慌てた母が救急車に電話を入れているうちに私は目覚め、取りあえずと搬入された病院での検査も異常なし。胸をなでおろすのみで事は終幕を迎えた。

「何があったのよ。 虫でも出た?」

 帰り道。夕暮れの道路を二人でとぼとぼ歩きながら母は問うた。もしそうならお前の責任だとも言った。部屋を綺麗にしないから、そういう嫌な輩に目を付けられて棲み処にされてしまったのだと。

「…………うん」

 そう答えるしかなかった。だってそうだろう。緑色の小人が出てきた、だなんて言えるはずもない。そいつが部屋を余計に荒らしていったのだ、なんて言おうものなら私は本当に病院送りにされてしまう。

「……びっくりした。 ……その……今度から、気を付けるよ」

 そう答えるしかなかったし、実際私もそのつもりだった。汚い部屋には相応の『もの』が住み着く。それが分かってしまったから。

「……ごめんなさい」

 誰に行ったのかも定かではない謝罪をしたことを覚えている。後で知ったことだが、世界にはいくつも『小人』や『妖精』の伝承が存在するのだと言う。その多くに共通して語られているのが『親切で悪戯好きな、家の守護者』というイメージであった。だが何事にも例外はあり得る。もし。もし私の見たあの生き物が、うえをやらかす、家の破壊者であったなら。私の部屋を荒らしていたのが、家に憑りつき、台無しにするための下準備だったとするなら。

「…………」

あの謝罪の効力が今まで続いていますように。脳裏に焼き付いたあの不気味な緑を振り払い、もう二度と奴らが私の部屋に現れないよう努めるには、十分すぎる願いだった。

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