第131話 風吹けば吹け

 モウマンタイ ナンマイダ

 ながいながいと おもいしも

 ただ放屁の あいだなり

 くさい月日も すぐきえる

 四の五のいうても しょうもなや


 目に立たぬところに、ではあるも、すでにイナゴだとかケラの死骸が、カラムシ(草)だとか枝の先にさされてあり。ハヤニエをつくったモズが鋭く啼いている。カヤツリグサらのなす川辺の草むらから、どこか軋むに似たキリギリスの音のしきりにしていて。下には、なにか小さな虫のなきがらが転がっているが、しきりにうごめく黒いものに被われていて何であるか見さだめにくい。往き来するアリの群れ。ススキの茎に、カマキリのタマゴをつけたもののあり。とりどりな生滅がひっそりと弛みなく行われている一方、往来では跫音あらく、声かまびすしく、乱れおよそ秩序のない流れができていて。

「ぼんさん、さっきからなにしとるん」

「そやねん。うちも聞いてるんやけどなぁ」

 不審げに話す女人ふたりの目のさきにあるものは、彼女らもその一部をなす人らの先頭で。訝るのはふたりのみならず、訝ることでできたひとつの纏まり、といってもまんざら誤りではなさそうな気配。先導する格好になっているのはネギボウズのような白髪あたまの、文字どおり糞掃衣といった体のなりをした老人。声をはりあげ調子っぱずれに謡いながら、撞木で鉦をうち拍子をとるが如く杖で、ともに歩くものを打ちながら。さりながら撲ちすえる、というほど力強くではなく、肩や背などをかるく小突くような具合であったが。あたかも、いまにも逃げだすか、ぐずぐずして進みたがらない相手であるため促して、といった風情。そして、その叩かれているものとは、リウで。


 モウマンタイ ナンマイダ

 はなの命は みじかくて

 ひらひらひとらの あさ知恵よ

 ひとたび無常の風ふけば

 花とあさ知恵 散りはてぬ


 警策で喝をいれるかの如く連打しながら、喝だとすればどこかしら姿勢に歪みだとか外れているものが老人には見えて、正そうとしてのことだろうか。喩えばそれがバサラであるとか飲んだくれたりしているだらしのない者であればここまで注目を集めることはなかったろうが、ひと目で裕福な家の令息とわかる身なりのよく、見目の麗しい若人であって。遊んでいるような崩れたさまのつゆさらなく、むしろ今どき都では見かけぬような清楚で清らかな眸子で口もとのきりりと締まり、それゆえに目につくのは右ほお辺りのすり傷や右肩の布地の汚れであり。右肩のほうは払ってあったが、頬のほうはみどりの色が塗られて。薬草の汁であるようであったが。およそ共通点のなさそうな組みあわせであったわけであるし。また、それがなくとも僧のなりをした老人、サンキュウには人を惹きつけるなにかしらの力があるらしく、ただただ寄ってたかって騒ぎたいものも少なからずいてだろう、ぞろぞろ行列をなして行進していて。アリたちとは異なり、秩序もなんの目的もない不毛な。戸外に出るという、あってはならぬであろう状況となり、かつ頭巾をかぶるでなくほっかむりするでなく面をむき出しにしていて、しかもこれ以上ないほど衆目を集めるというていたらくで。すべきでないことを、いくつもいくつもつみ重ねてしまっているわけで、ここまで行くといっそふっ切れて開きなおる気持にもなり、後は野となれ山となれ、笑いすら湧いてくる。当てられる杖の頭が、かるくでもあったからか心地よいくらいであり。


 モウマンタイ ナンマイダ

 生まれ死ぬるのあいだにも

 連れだつものも なかりけり

 たったひとりで生まれ死に

 たどる道こそ あるいみ安気


 鉦をたたくもの、小太鼓をたたくもの、あいの手を入れるもの、ともに和して唄うもの、手をあげ足をあげおどるものらがいつの間にやら当たりまえのように列をなし熱狂していて。どうも吾に注意をむけてくるものはいない、ことはないかもしれないが、それよりも自分のこと、というのか唄ったり踊ったりすることに夢中になっているものが大方で、他(吾)に気をむけるもの、それだけ冷静でいるものはそういなさそうであり、そもそういうものであれば加わらないであろうし。往来で見ているものも、見慣れたようすで、ことさらにリウに目をむけるものなどいないようで。そしてリウ自身気にならなくなり、低声であったがともに歌ったりもし。


 りゅう女はホトケになりにける

 たといりゅうには ならぬとも

 五障の雲こそ あつくとも

 ホトケの慈悲は くまなくてらし

 モウマンタイ ナンマイダ

 オン・アミリタ・テイセイ・カラ・ウン


 ニワマキの口車にのせられたとはいえーーそれも巧みではなく拙い口上であったというのにーー、不用意にも戸外へと出てしまい攫われ、危ういところで助けだされるも、かすり傷とはいえ目につくところに傷をおい、キモノの一部に汚れがついたため何ごともなかったとごまかしようのなくなりもして。スケとカクが襲撃されてスケがかどわかせれたのが数日前でもあるし。このままただ戻っても、リウ自身はそう咎められぬにしろ厨に務める若い女人ふたりだとか、セヒョもだろう、リョウヤだとか他にもいるかもしれぬ、責を問われてゆくことは必定。それだけでも罪責感にさいなまれるものの、おそらくそれだけでは済まぬだろうから。ことにリョウヤの立場であれば。ことが明らかになれば、庇うことも困難になるであろう。さりとて、だとしても守りぬこうという意はあったわけだが、どれだけ貫いてゆけるものかおのが胆力を危ぶみはしていて。無事帰りつけるということを想定しての憂悶であったわけだが、その前にニワマキらと出くわさないとは限らぬし、天礼の手のものらのはった網にかかる恐れもあり。

 いかにしてゆけば良いものか、いや、良いようにしてゆける行動などあるものか、なにも見いだせずにいたなか、河原に住するものらの長から、ちょうどそこに居あわせた(寝ていた)サンキュウに託されて。ちょうどそこに居あわせたというのか、どうやらそこにいる人たちと交友でもあるらしくともに寝起きすることをよくしていたようで、一目置かれた存在でもあるらしく。ただし、一目置いているのは長をはじめ一部のものだけらしく(そういえば、ただ者ではないとコヅキも言っていたものであったが。なんでも、元はこの国最大の寺院、国家鎮護をつかさどるヒクウ山エンコン寺の座主であったのだとか。)、頼みにすることを案内してくれたコッコは訝り、正直リウもおなじくではあったが、他に手だてなどなく、すくなくともリウには思いつけずにいたため、ワラにもすがるといった体で。ワラよりも頼りないものであるかもしれない、と思いつつ。大あくびをして、白髪あたまをかいたり、尻をかいたり気のないようすで聞いているのかいないのか分からないさまの老僧に事情を説明すると、

ーーまぁなんとでもなるじゃろう。ほんらい空にいまぞおもむく。

 そう言いながら立つやいなや、右手にそばにある土砂をつかんでいたものらしく、塩でも撒くようにあたまから振りかけられて。突然の意想外なことにこと葉も出ず。そばにいたコッコも呆気にとられていたが、

ーーなにしとんねん、おっさん。

ーードロかぶりならぬ、ツチかぶりでな。そんなんごちゃごちゃいうてないで、はよゆかななぁ。

 サンキュウは土砂をかけたことの理由らしい理由を言うことのなく、もしかするとなんの意味・目的もなく、したことなのかもしれぬ、歩みはじめ。リウは慌ててついてゆく。土手をあがっていったところで、

ーーナンマイダー、バンザイダー。ナンマイダー、サンザイダー。ナンマイダー、ナムサンダー。

 と大音声でとなえはじめ、杖でリウの背後を打ちだして、人らが集まってきた頃あいで謡いだし。


 モウマンタイ ナンマイダ

 生まれ死ぬるのあいだにも

 連れだつものも なかりけり

 たったひとりで生まれ死に

 たどる道こそ あるいみ安気


 モウマンタイ ナンマイダ

 ながいながいと おもいしも

 ただ放屁の あいだなり

 くさい月日も すぐきえる

 四の五のいうても しょうもなや


 モウマンタイ ナンマイダ

 はなの命は みじかくて

 ひらひらひとらの あさ知恵よ

 ひとたび無常の風ふけば

 花とあさ知恵 散りはてぬ


 りゅう女はホトケになりにける

 たといりゅうには ならぬとも

 五障の雲こそ あつくとも

 ホトケの慈悲は くまなくてらし

 モウマンタイ ナンマイダ

 オン・アミリタ・テイセイ・カラ・ウン


 騒がしく行進してゆく一団。個というものはそのうち同化して消えてゆき、個人を気にするようなものはいなくなっているようであり。あるように見えるのは、例えば自分の手のあがりを気にしたり、壁や木にぶつからないように肩をそらしたりするために意識をむけるようなもので。くわわらずに通路から見ているものらもあったが、それとて部分を見ているのではなく、目がむいていてたとしても全体におけるそれでしかなく、一部分にことに注意をむけるものなどまずおらぬ気色で。また、他にも見世物があるわけだし、そうでなければ忙しげにとおり過ぎゆくばかり。変にひと目を避けてゆくよりもかえって目立たぬのかもしれぬ、とリウは察しはじめていて。それがサンキュウの狙いであるのか半信半疑ながら。確かにただ者ではない、のかもしれない。そんななか、かつて見たもののそぞろに連想されてもいて、リウの思いはそちらへとむいてゆく。共通点といえば、群衆の行進と往来というくらいであったのだったが。いまのこの流れと異なり、鳴りものがあり、唄い踊りするのはおなじであっても、このようにごった返して雑多な感じではなく、賑やかななかにも整然とした静けさのあり。なにより違うのは、和やかさだろうか。通りのまん真ん中を躍るように身体全体をうごかしゆく一行。唄うモノ、鉦をうつモノ、跳び上がるモノ。かつては、ワラジだったろうモノ、カモジだったろうモノ、ヒシャクだったろうモノ等々の一群で、チョウチンはもっていなかったが、それらがそれぞれぼんやり弱い光を放っていてしるくそのありさまが目にでき。目にした瞬間は度肝をぬかれ立ちすくんでしまったものだったが、それらがこちらに気がついているのかいないのか、近づいてくるでも睨みつけてくるでもなく、賑やかに進みゆく。蔭から見ているわけでもなく往来の上にいるわけだから、気がつかぬわけがなく。楽しそうですらあると見てとることのかない。それらは百鬼夜行というのだそうな。モノに宿ったものが古びモノノケと化したものなのだとか。それらの姿を見たものは、気ぐるいになったり病にかかったり、死ぬることもあるということで恐れられていたが、たしかに人やケモノなど見慣れたものでないためはじめ怯みはしたもので。さりながらなんの危害をくわえてくることもなかったし、その後それらのせいで何かしら支障をきたしたということもなく。唄ったりうごくさまは、むしろ愛嬌があるくらいであり、人よりも恐ろしさを感じずに、親しみすら覚えたほどで。ただし、そこに現れいでたものは別。頭上たかくに睨めつけてきたヌエという異形のもの。目をむき赤らんだサルの首、けば立ったタヌキの胴体、鋭いかぎ爪をもった太いトラの手足、うねうぬうねるヘビの尾。最近宮中上空に訪れるようになり、天長を悩まし、そのために床に臥すようになったのだとかまことしやかに語られていて。祭司長なりだれなり祓うか討伐すればよいはずであるのだが、なんの手も打てずにいるものらしい。それが事実であれば、実際に目撃したわけだからヌエという存在は事実に間違いなく、であれば天長にしろ祭司長にしろその力の衰退をはしなくも露呈してしまっている、ということになるが。歯をむいて、トラツグミに似た声で吼えて襲いかかられて。モノノケどもは既に散り散りに逃げさっているなか、取りのこされた格好でいるなか。そこへニジが現れ、オトリになるように誘導していったものだったが。ああ、ニジ。なにがあったのかなかったのか、傷ひとつ負わずにいたものだったが。(またぞろ、ニジと離れることとなってしまったが、平気だろうか。ちいさいナリをしてたくましく、賢いから平気だとは思いはするが。)ヌエの出現のため、そう長くは百鬼夜行の一行と一緒にはいられなかったが、その唄の文句はよく憶えていて、時おりふっと思いだすことのあり。


 ハアラ エライコッチャ エライコッチャ

 ヨイ ヨイ ヨイ ヨイ


 アホの殿さん 地の上さんの

 今がそうだよ アホ踊り


 アホはええんか 地の上さんの

 お威勢踊だ 底抜けだ


 顔は見えねど おみすの越しに

 見えたアホづら から踊り


 ハアラ エライコッチャ エライコッチャ

 ヨイ ヨイ ヨイ ヨイ


 踊るアホに見るアホ おなじアホなら

 踊らにゃ損々


 歌の詞の意味ははっきりとは分からぬものの、どうやら宮中に鎮座まします方々をからかった内容であるらしい。形態は異なれど、ヌエというものもまた、おなじいことを証しだてているように思われる。マツリゴトを司るものらのいまのありさまを。そのヌエというものだが、なにとなく覚えがあるような気のされてならず。ヨネがおのが身のうちに取りこみ浄化していたもの。シュガの内にタマシイに括りつけてあったもの。後者は厖大数のものが濃縮され得体の知れないものと化してはいたものの、より別けてひとつびとつ見てゆけば、欠損させられた四つ足であったものの霊体。もっとも、シュガには、ふたつ足のものらのものも含まれてあったようだが。ヌエはどうもそれらと繋がりのある腐敗臭があって。その腐敗臭とは、なにも嗅覚のみで感ぜられるものでなしに、うちなるもので捉えられるもので、知覚ともちがう感覚であり。ケモノという共通点によるものだろうか。それはもちろんあるわけだったが、なかんずく強く感ぜられるのは手をくわえられてある、ということで。人為的につくり出された形跡(気配というのか)がすずろに感ぜられたもので。それら全てに、自然ではあり得ぬ歪み、ねじれのあり。喩えるなら、腐った根の、いまにも倒壊しそうな大樹に葉が茂り、花が満開であるような、違和感。違和感が昂じたものが恐怖であるのかもしれぬと気がつく。さりながら、腑分けして見てゆけばそう恐れるものでもないのかもしれぬ、と現今いる流れを引きあいにして思いもする。ひとつの大きな流れ、大きな生きもののように見えるが、ひとりびとりの人のより集まりでしかなく。シュガに注ぎこまれ留められていた有象無象も、ヌエも、複合体。恐れるというのか厭うべきは複合体ではなく、そういうことをした輩ではないのか。それにしても、一体そんなことをするのは何者であるのか。イチとモリゾウの亡きがらを回収し、呪具としもして。今までの一連のながれからゆけば、無論つまびらかに知っているわけではないが、あの者らの差しがねだとしか思えないが、どうなのだろうか。


 モウマンタイ ナンマイダ

 はなの命は みじかくて

 ひらひらひとらの あさ知恵よ

 ひとたび無常の風ふけば

 花とあさ知恵 散りはてぬ


 モミジという女盗賊の一味を利用し、不必要になったからなのか何なのかそのネグラごと壊滅させ、巷間では天長、祭司長を貶め(貶め、というのか事実と言えなくもないことではあったが)天礼こそがマツリゴトを司るにふさわしいという言説を流布させて。水戸やが天授であることを察してのことだろう、別墅を焼きはらったり、スケとカクを襲い、スケを連れ去り。身辺であったりして知っているだけでも非道行為は、他にも幾つかあったわけで、それらが天礼側のしわざであるということは、一見筋がとおっているようには見える。さりながら、リウは違和感を覚えていて。すべてが天礼によるものなのだろうか。どこがどう、と具体的におかしな箇所に気づいたわけではないし、そうできるだけの詳細を知らなかったわけで、感触というのかあくまでも感覚的なものではあったのだったが。さりながら仮に天礼ばかりの所業でないとしたら、他になにがあるのだろうか。ニワマキらのような刹那的に犯行に手を染めたものが、たまたま天礼の思惑に沿っていたという蓋然性が無きにしもあらずであろうけれども。それが何ものであろう(何ものもであろう)という当たりはつかないものの、それらに通底しているもののあるような気のされて。なんだろう。その存在とは。そして何ゆえにそう感じられるのか、すらリウには掴めずに、自分自身のこころのはたらきも怪訝に思ったりしながら、とりとめもなく思いを巡らしていて。と、袖を引かれて止められて、

「ちゃうやろ」

 愕いてふり返り、その途中で打つのが止まっていて、ひっぱり注意してきたのがサンキュウだと心づき。なにをちがう、誤っていると言われているのだろう。天礼のしわざではないかもしれない、ということなのか。もしくは方向性についてか。それ以前に、まず考えなければならぬこと、気にせねばならぬことがあろうと窘められているものか。だとすれば、内心を読まれていた(相手が読む能力を有する)ということになるのわけで。信じられない、気味がわるい、というふうに感じはしなかったものの、誰もいないと思いしていたひとりごとを聞かれていたときに湧くに似た決まりのわるさを覚え。そして同時に、およそ通じるもののない人と思っていたものだったが、そぞろにうっすり親近感も覚えていて。

「そっちとちゃうがな。ゆきすぎや」

 思いの進行が行きすぎ、偏りがある、と言っているのか。サンキュウの垢じみて黒ずんだ顔を見ると、目と顎で指ししめす。その方向には水戸やのしきりにひるがえるノレン。その主は風によるものでなく、人の出はいりによるもので。すっかり失念してしまっていたことに、リウはようよう気がつく。なにも拍子をとって口ずさみ、ぼんやり思いを巡らせるために歩いていたのではないことに。ここに送り届けてもらうことこそが目的であったことに。

「ほな、ちょっと抜けさせてもらうわ」

 サンキュウは後ろをむかずに言いのこし、リウを小突くように押して店頭へむかわせて、声を張りあげ、

「ナンマイダー、ザンパイダー。ナンマイダー、バンザイダー。ナンマイダー、ゼンザイダー。ナンマイダー、アンミツダー」

 リウの背を杖でたたき、追いまわすようにしてふたりで店内へとはいってゆく。ぎょっとした目をむけてくる者らを尻目に。傍若無人、といった体であったが、そうとられるよう狙ってのものだろうとリウは察して、老坊主に一目おくという発言を聞くたび、そうなんだろうかと疑わしく思ったものだったが、おのが目のほうが曇っていたらしいと気のつく。すくなくも、ひとりであったらこうすんなり入ってゆけなどしなかったろうし。

「ナンマイダー、カンパイダー。ナンマイダー、シュウマイダー。ナンマイダー、チェンマイダー。ナンマイダー、アンパイダー。ナンマイダー、レンチャンダー」

「リウさま、ようご無事で」

 血相を変えたカクが片足を引きずりながら早足でくる背後に、端坐したミズクミの姿が見え。帳面をくくりこちらへ目をくれることもなかったが、その横顔は心なしな青ざめてこわばり。めくる指さきに、ふるえが起きているような。

「ここではなんですので、奥へ」

 と室内へと導かれてゆき。当然の如くついてゆくサンキュウ。フジバカマとミズヒキという控えめな花のくみ合わせで活けられてあり、背後の掛け軸には葛の花が堂々咲きほこる室内へととおされ。ノレンをくぐり蹴放をこえてから、極度に緊張していたおのれを、リウは腰をおろしてから見てとる。運ばれてきた茶碗にくちびるを吸いつけて、音をたててすすり上げているサンキュウが、キライが近寄ってきたところから、叩いたり朗唱したりするのをぴたりと止めたことをも、今さらながらに思いあたるほどに。案じさせたことより何より、おのがせいで責を負い処分されていないか、処分されることにならないかが気がかりでならず。往路からさまで離れていないというのに、水をうったように閑かで、ツグミのさえずりのいずこから聞こえ。リウはうつむき、卓上に目をおとし。握りしめた手は汗でぬれ。

「まぁ、そうおもいわずらなくともええかもしれんな。わずらいたいなら、わずらうのもおつなもんやけどな。雨ふらば降れ。風ふかば吹け」

 こちらを見るでなく、老体はゲップをひとつ吐いてから、ひとりごつように呟き。ええ、とリウはちいさく肯いてみせ。然り、なるようにしかならない。たしかにそれはそうなのだけれども。

「もどってきたんか。サンキュウさんと」

 低めたざわめきと、複数の跫音がくうきをかき乱す。ミズクミ、おトモ、コヅキが、キライやカクを従えて現れ。

「これまた勢ぞろいで。ごっそ(ごちそう)でもでるんかな・・・・て、そういうふんいきでもないな。みなさん、そろいもそろってフンづまりみたいなツラしはって、いれるどころやないか、まず出さなな」

 そう露わではなかったが、サンキュウの言うとおり、いつもとり澄ましたような三人のおもてに動揺の影が揺曳していて。キライからもつくり笑いが退いている。コヅキ、おトモ、ミズクミが腰をおろすやいなや口をひらき、

「無事でなによりやったわ。てまえまで・・・・やないかと」

「ほんまに。キモ冷やしたわ。てっきり・・・・さすがにここにまで、とは考えにくいけどなぁ」

 おトモが胸もとに手をあて、ため息をつき。なんのことを言われているのか、リウは掴めずに三人を眺めていて。吾の姿が見えなくなった、ということの他になにかあったということなのか。リウの疑問を受けとってか、戸口に控えたキライが卓のほうへにじり寄り、

「リウさまはご存知ないようですので、わてから。別宅にいたはるかたがたみな、先ほどかどわかされはりました」

 みな、とは。リウが息を呑んでいると留めるをさされるように、

「シュガ、いわはるひとふくめ、わらべらも」

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みずのささやき、ひのしらべ 佐々木広治 @senntarou

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