捕食者

岡本梨紅

第1話

「この世界は間違っている‼ なぜあの老害共はそれをわかろうとしない!!」


 そう叫んで、桐谷伸二きりたにしんじは自分のラボの机を、ダンッと拳で叩いた。


 彼は生命体学の研究者である。生命体を研究するうちに、このまま人間が自然破壊を進めていけば、虫や動物たちはもちろん、いずれは人間たちまでもが、暮らすことができなくなることに気づいた。


 伸二はそのことを生命体会の学会発表の場でそれを力説した。だが、だれも伸二の意見に耳を貸すどころか、会場には大きな笑い声が響き渡った。伸二は自分の考えが理解されなくて、悔しくて悔しくてたまらなかった。


「桐谷君」

「……朝霧あさぎり先生」


 憔悴する伸二に声をかけたのは、伸二に生命体研究の道に進むよう勧めた恩師の朝霧だった。


「私は君の言いたいこと、なんとなくは分かるよ。だが、世界の危機で大きな問題であるというのは、少々オーバーに言いすぎだったんじゃないかな」

「ですが、このままいけばっ」

「桐谷君。先のことを考えるのも重要なことかもしれないが、今は目先の研究をしたらどうだい? たしか、人工的に生命体が作れるかどうかの研究をしているんじゃなかったかな?」

「はい。もちろん、それにも取り組んでいますが」

「なら、今日の学会ではそれの途中経過とちゅうけいかでもいいから発表すべきだったね。そうすれば、あんな笑い者にはならなかっただろう」

「……」


 朝霧の言葉にうつむく伸二。そんな彼をなぐさめるように、朝霧は肩をポンポンっと叩いた。


「君はまだまだ若いんだ。これから、いろいろと頑張がんばっていけばいい」

「……はい。ありがとうございます」

「それじゃあね」


 朝霧が去っていき、その場に一人取り残される伸二。伸二は先ほどの学会に参加していた教授たちの笑い声が頭に響き渡り、ギリッと歯をかみしめ、血が出るんじゃないかと思うほど、強くこぶしを握りしめた。


 自分のラボに帰ってきた伸二は、それからずっと研究室にこもり、人工生命体を生み出すことに時間を費やした。研究室に泊まり込み、食事もロクに取らず、風呂にも入らず。それこそ不眠不休で研究をしていた。いつの間にか、弟子たちがいなくなっていることも知らずに。

 

 そしてついに、ある生命体が誕生した。


「できた。ついに出来たぞ!」


 培養液の中で動く無数の小さな生命体たち。それは一見すると、微生物のようでもあり、漫画やアニメにでてくるスライムのようでもあった。


「この世界の人間はおかしいんだ。自分たちが犯している罪の重さに気づいていない。だからこそ、俺がそいつらに天罰をくだしてやるんだ! この僕が生み出した人工生命体を、あらゆる動物たちに埋め込んで化け物に変貌へんぼうさせるんだ。

そして、ありとあらゆる人間たちを喰わしていけばいい。その中で幸運にも生き残った者が、神に選ばれた人間というわけだ。

 まるで旧約聖書にでてくるノアの箱舟のようじゃないか。人間に襲い掛かるのは大津波ではなく、化け物だが。さらにいえば、助言を与える神も存在しないがな。アハハハハ!!」


 それからというもの、伸二はありとあらゆる生命体を集めた。ライオンなどの獰猛な動物から、犬や猫、ハムスターなどの小動物に小さい虫まで。そして集めたすべての生命体に、自分が作り上げた人工生命体を埋め込んでいった。


 異物が入ったことで、動物たちは苦しみだす。だが、伸二はじっと様子を見守る。すると、ライオンだったものが、どんどんと体が大きくなり、研究室の中に納まりきらず、屋根を貫いた。犬歯は大きく伸び、もうライオンの面影もない。そのほかの生命体たちも次々と体に変化が訪れる。


「おぉ! 成功だ! 成功したぞ!!」


 伸二は目を輝かせた。ライオンだったものが大きく咆哮し、建物を破壊して外に走りだしていく。変貌した動物たち、いや、もはや化け物の姿になったモノたちもそれに続いて外に飛び出していった。


「やったぞ! 僕の実験は大成功だ! アハハハハッ!」


 伸二の笑い声はどこまでも響いた。


「きゃあああ!」

「な、なんなんだよ、こいつら!」

「とにかくにげ、ぎゃあああ!」 


一方、街のほうでは突如として現れた化け物たちによって、人間たちは喰い散らかされていた。


大人も子どもも関係ない。化け物たちにとって、目の前に動く者すべてが餌である。


「あ、自衛隊だ!」


 あちこちの幹線道路を使って自衛隊の車や、空からはヘリも駆け付けた。少しでも生存者を逃がそうとするために、少しでも化け物たちの足止めをするために。


「全員、配置につけ‼」


 部隊長の命令に従い、銃を持った隊員たちが化け物たちに銃を向ける。


「撃て‼」


 一斉に銃が火を吹いた。だが、弾丸が当たっても、傷ひとつつくどころか、化け物たちは鬱陶うっとうしそうに、首を横に振るだけである。


「な⁉ 効かない、だと……‼」

「隊長! ご指示を‼」

「う、撃ちまくれ! ありったけの弾を撃ちまくれ‼」


 少しでも足止めをするため、部隊長は全弾の使用許可をだした。だが、やはり意味をなさない。むしろ、犬から変貌したほかと化け物と比べると小型の化け物が、素早い速さで飛び掛かり、前線を崩した。


「ぎゃあああ!」

「う、うわぁぁぁ‼」


 目の前で仲間が喰われ、その返り血を顔に浴びた隣にいた隊員は、銃を捨てて化け物に背を向けて逃げ出した。犬型の化け物は高く跳躍し、大きな口を開けて、逃げた隊員の頭を喰い千切った。頭をなくした体は、ばだりとその場に倒れる。それに群がる猫型やネズミの化け物たち。ぐちゃぐちゃぐちゃと音を立てて肉を食い千切り、骨をバリバリとかみ砕く。化け物たちがそこをどくと、あるのは血だまりだけ。


 化け物たちの視線が、生きている自衛隊たちに向けられる。


「む、無理だ。こんな銃も効かない相手と戦うなんて‼」

「逃げろ‼」


 ある者は車に乗り込み、ある者はその荷台に飛び乗って逃げる。またある者は

「諦めるものか!」と銃を撃ち続けるが、あっさりとその体は切り裂かれて、ぐちゃぐちゃと食べられる。


 もう街は大パニックだった。自衛隊は機能しない。世界に救援要請を送ったところで、彼らが着いた頃には、もう日本は滅亡しているかもしれない。


 伸二は部屋の隅に置かれていたために、壊れていなかったテレビをつけて、街の様子を見てみることにした。そこには緊急速報としてニュースが流れていたが、キャスターたちが速報を伝えている途中で、小型の化け物たちが中に入り込み、襲い掛かっている様子が映った。そしてそのまま、テレビ画面は一面砂嵐に。


「アハハハハ! なんて愉快で無様な光景だ! そうだ逃げろ。逃げ続けろ、愚かな人間どもよ。そして、僕のかわいい研究成果たちの餌となれ!」

「桐谷君! いるかね⁉」

「……朝霧先生?」


 そこで現れたのは、額から血を垂れ流し、土煙で汚れた朝霧だった。


「おぉ。君は無事だったんだね」

「先生こそ。あぁでも、怪我をなされているじゃありませんか。手当しますよ」


 伸二は平然を装って、近くに落ちていた椅子の汚れを払い、朝霧を座らせる。


「すまないね、桐谷君。それにしても、この研究所の破壊された様子は……」


 屋根はなく、壁すらもない研究所。いや、もはや今にも崩れそうな廃墟同然の建物だ。

 伸二はなんとか包帯と消毒液を見つけると、朝霧の傷の手当をしながら説明した。


「今、テレビでちょうど見ていたところです。未確認の化け物たちが、この近くを通ったようでしてね。なにもかも破壊されてしまったんですよ。幸い、僕は別のところにいたので無傷でしたが」

「そうか。それはよかった。だが、このままじゃ日本は、あの化け物たちによって、滅ぼされてしまう。日本が滅んだら、奴らは餌を求めて世界中に散らばるかもしれん。そうなれば、今度は世界の滅亡だ」

「……」

「まさか、地球温暖化や大気汚染の前に、未知の化け物に殺されることになろうとは……」


 朝霧はうなだれてしまった。


「先生。そういえば、他のご家族はどうしたんです?」

「……みんな、ここに来る途中に化け物に食われてしまったよ。娘は私に手を伸ばしながら『お父さん、助けて‼』と叫んでいたのに、私は恐ろしくて、背を向けて逃げ出してしまった。背後から聞こえてくるぐちゃぐちゃと食べる音に耳を塞ぎながら、ただひたすら走り続けて。そうしたら、いつの間にかここに来ていたんだよ」

「そうだったんですか」

「桐谷君がいなかったら、私は発狂していただろう。手当までしてもらって、本当にすまないね」

「いえ。こういう時こそ、助け合いが重要ですよ」


 伸二は手当ての道具を片づけるために、朝霧のそばを離れた。道具を片づけた伸二は、腕に自分が作り上げた人工生命体を埋め込んだ。その瞬間、体がまるで沸騰するかのように熱くなった。


「う、うぅぅ!」

「桐谷君⁉」


 伸二は耐え切れなくなり、その場に倒れこんだ。朝霧が驚いて椅子を蹴倒しながら立ち上がり、伸二に近づき抱き起す。


「いったい、どうしたというんだ! 桐谷君、しっかりしたまえ!」


 朝霧の言葉に伸二が目を見開いた。その瞳は赤く変貌し、瞳孔は細く縦長になっていた。


「ひぇぇぇ⁉」


 伸二は、爪も伸び、人間にもある犬歯までもが大きく口から飛び出した。そして体が一回り、二回りも大きくなっていく。彼の変貌ぶりに、朝霧は目を離せなくなりながらも、必死に後ずさりをする。


「うぅぅああ」


 やがて、変貌が止まったのか、伸二は首をコキコキと鳴らしながら立ち上がる。


「どうしたんです? 朝霧先生?」

「き、君は、本当に、桐谷君、なのか?」

「えぇそうですよ。先生に可愛がってもらった、桐谷伸二ですよ~。驚きましたか?

 先生にはたくさんお世話になりましたからね、特別に教えて差し上げますよ」


 伸二は青く光る注射器を取り出した。


「この中には、僕が作り出した人工生命体がいます。それは、今見てお分かりいただけたように、他の生命体に投与すると、このように姿が変貌します。もはやこれは、進化と言ってもいい」

「ま、まさか、街にいる化け物たちは……!」

「さすがです先生! 察しがいいですね。僕はこの人工生命体を作り上げてから、世界中の生命体を集めました。獰猛なライオンから小さな小動物に虫まで。それらすべてに、これを投与したんです」

「き、君! 君は狂っているぞ⁉」


 朝霧の言葉に、伸二は首を傾げました。


「狂っている? 僕は学会で言ったはずですよ。このままいけば、世界が滅びるって。それが少し早まっただけじゃありませんか」

「きみの、いや、おまえのせいでっ、おまえのせいで、私は妻と娘を失ったんだぞ⁉」

「結果的に逃げ出したのは、朝霧先生じゃないですか。僕に罪はありませんよ」

「おまえが化け物を生み出さなければ、平和だったんだ!」

「あぁもう、うるさいな! なら、ご家族のもとに送って差し上げますよ!」


 伸二は朝霧に飛び掛かり、首の頸動脈を噛み千切った。伸二は一瞬で全身を真っ赤に染まった。それから腕を千切り、むしゃぶりついて、のこりの部位も同じようにぐちゃぐちゃと食べ進めていく。


「まぁまぁな味だったな」


 伸二は立ち上がり、口元の血を拭った。


「さて、街はどんな様子になったのか見てこようか」


 伸二はご機嫌な足取りで、街へと足を向けた。



 街は悲惨な有様だった。仮に台風が直撃したとしても、大きな建物が崩壊していたり、道路に大きく穴が開いていたりはしないだろう。そして辺りにあるのは血だまりだらけ。まさにそれは地獄絵図と言っていいだろう。


「アハハハハ! 愚かな人間たちめ、これで思い知っただろ! 死と言う名の恐怖と絶望を! アハハハハハ‼」


 伸二が道の真ん中で高笑いをしていると、その背後にゆらりと迫る巨大な影ができた。伸二が振り返ると、そこには最初に人工生命体を投与した、かろうじてライオンの面影を残した化け物がいた。その足元には中型の化け物や小型の化け物たちが勢ぞろいしていた。


「おぉ、おまえたち。ここら一帯の人間どもは喰いつくしたのか? ならばほかに散らばるといい。自然破壊や環境汚染を繰り返す愚かな人間たちは、腐るほどいるのだか」


 そこで伸二の言葉は途切れた。伸二の上半身は大型の化け物に噛み千切られたからだ。大型の化け物が頭を振ると、下半身が千切れて空を舞ってから地面にべしゃりと落ちる。それに中型から小型の化け物たちがむさぼりついた。


 大型の化け物は大きく咆哮した。


「ウワォォォォォ‼」



 それから数年後、化け物たちは姿を消した。人間という人間を食べつくしたあと、彼らは飢えて共喰いを始めたのだ。そして最後の一匹が死に絶えた。日本という国とともに。

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