天使の梯子

西しまこ

第1話


 雲の切れ間から、光が幾筋も射した。地上へ向かって。

 わたしはあまりに美しい、幻想的なその光景にふと歩みを止めた。


 きれいだな。

 雲の向こうには、神様の世界があるようだ。そして、光の梯子を天使が下りてくるような錯覚を覚えた。

 少し重たい雲が空にあり、しかしその雲は神々しい光を湛えていた。空は不思議な光に満ちていて、世界は天使の光に包まれているような、妙な幸福感。


 わたしは写真を撮ることもせずに、ただ、空を見つめた。

 この感動は写真では伝わらない。


 ――気づいたら、涙を流していた。


 もうずっと、重い恋愛をしていた。わたしたちは既に終わっていたのだ、と唐突に気づいた。いっしょにいても苦しい。話は弾まない。前はなんでもないことで、笑い合ったのに。もう終わりなんだ、という気持ちが湧き上がってきて、営業の仕事で外に出ているのも忘れて、思い切り泣いていた。


 近くにあった公園のベンチに座り、わたしはハンカチを握り締めて涙を拭きつつ、その天使の梯子を眺めた。仕事に戻る気にはなれなかった。少しトラブルがあって遅れる旨を上司にLINEで連絡しておいた。


 鞄からコーヒーを出し、ゆっくり飲む。

 そう言えば、最近、ゆっくりお茶を飲むこともしていなかった。

 そうだ、ごはんをきちんと食べることもしていない。ただ、栄養補給をするだけ。おいしいとかそういう感情はなく、ただお腹を満たすだけだった。


 今日は、きちんとごはんを作って、そしてゆっくり食べよう。

 ちゃんとランチョンマットを敷いて、お皿にきれいに盛り付けて。食後は紅茶を葉っぱで淹れよう。料理も好きだし、紅茶を淹れることも好きだったのに、最近はあまりに忙しくて、好きだということすら、忘れていた。


 今度の週末は、彼と話そう。そして、きちんと終わらせよう、この恋を。終わらせないと、次に行くことも出来なくて、お互いに苦しい。もう終わりなんだということがあまりにもよく分かっていたのに、これまでの幸せな記憶が邪魔をして、終わらせられないでいた。


 彼にはきっと、ちょっといいなと思っている子がいる。応援は出来ないけれど、もう手を放そう。

 わたしたちは、お互い苦しむためにいっしょにいたわけじゃない。

 お互い、幸せになるためにいっしょにいたんだ。


 わたしは私用のスマホを取り出して、彼にLINEをした。

 ふと空を見上げると、天使の梯子はもうだいぶ薄くなって、光はほとんど失われ、日常の空に戻りつつあった。


 天使。ありがとう。勇気をくれて。

 わたしは立ち上がり、背筋を伸ばして歩き始めた。




   了



一話完結です。

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☆☆☆いままでのショートショートはこちら☆☆☆

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