神の村

九十九

神の村

 地に落ち踏み潰された椿の様に、ぐちゃぐちゃになった人間だった塊が転がっていた。

 

 近頃、閉鎖的な村の中には死体が溢れている。出て来る死体はどれもこれもぐちゃぐちゃで人間だった頃の姿なんて見る影も無い。まるで大きな何かに執拗に踏み潰された様なそれは小さな村の中で人々の恐怖を掻き立てている。

 男は煙草を一本口に咥えながら、ブルーシートの下を覗き込んだ。人間だった筈の塊は元の形を留めず、赤色を撒き散らしながら転がっている。咽せ返るほどの死の匂いに男は眉一つ動かさず、ブルーシートを下ろした。

「大丈夫か」

 男が振り返れば、茂みの奥で吐いていた青年が顔を上げる。青を通り越して白い顔色の青年は何とか頷いた後腰を上げる。それでも死体がある方には歩いて来ないので、男は頭を掻きながら青年の元へと歩み寄る。

「これ、見たのは初めてか」

「資料では」

「そうか」

 ほんの数日前に村にやって来た青年は初めて見た酷い死体に耐えきれなかったらしい。それでも死体の上で吐かなかっただけ良い、と男は青年を見る。最初の頃は、発見した村人がその場で吐いていたから、死体と吐瀉物を合わせて見る羽目になっていた。

「誰が、どうやってこんな事をしているんでしょう」

「誰が、ねえ」

「未だに何も?」

「ある日、突如として執拗に踏み潰された肉塊とも言える死体が転がっている。現場を見た者はおらず、人間を踏み潰せるような重機の跡も無し。不審な人物の目撃例もこちらも無し。事故の可能性も無し。無し尽だ」

「この事件に捜査員が割かれないのは?」

「来た端から死んでたら誰も来なくもなる。俺は元々この村に居た上に生きているが、外から来た奴は片っ端から潰れている。お前さんも気を付けろよ」

 男が青年の胸を手の甲で軽く叩き笑えば、青年は息を飲んだ。

 帰りたいだろうに、この村を放ってはおけないと顔を白くしながらも必死にしがみ付いている。この村にやって来て、そうして死んでいく人間は皆そんな人間ばかりだった。

「死にたく無いなら帰れよ。この村はもう終わっている」

「は……ごほっ」

 質問してくる前に青年の口に咥えていた煙草を突っ込んで黙らせる。

「口直しだ」

 煙で咽せる青年を傍に、男は隈が出来やすい目を細めると、処理のために死体の元へ歩いて行った。


「ん、ほら飯」

「有難うございます」

 相変わらず青い顔で青年は男からおにぎりを受け取った。もう既に村人の半分が死んでいるこの現象は、青年が来てから三件目に突入した。最初の一件以外、死体を見て吐く事は無くなった青年だが、未だ顔色を青くする。

 真面、なのだろうと男はおにぎりを齧りながら、横目でおにぎりを口に持っていけない青年を見やる。正しく真面なのだ、この青年は。ここに来て死んでいった彼等と同じ様に。

「食わないと力出ねえぞ」

「はい」

 返事はしても一向におにぎりを開ける気配は無い。

「お前、帰んないの?」

 青年の手からおにぎりを取り上げて、念の為買ってきたゼリーを渡してやる。青年はやっと食べる決意をしたのか、ゼリーの蓋を開けた。

「まだ帰れません」

「帰った方が良いと思うけどな、俺。この事件は前に進めない。それに果たして本当に人間がやったのかも分からない事件だ。きっとこのままここに居たら碌な事にならない」

「けれどあなたは?」

「俺はこの村の人間だからここに居るだけだ。調べてる訳じゃない、後処理してるだけだ」

「けど」

「けど?」

「怯えている人が居ます。俺はそれを見ているだけなんて出来無い」

 青年は真っ直ぐ男を見た。少なくともこの青年は何も得られずに帰る事は無いのだろう、と男は知られぬように溜め息をつく。

「帰りたくなったら俺に挨拶なんていらないから何時でも帰れよ。取り返しが付く内にな」

 これ以上何を言っても無駄だろう、と男は青年に当て付ける様に溜め息を吐く。しっかりと頷いた青年から、帰る気配はやはり感じられない。

「恨むなよ」

「恨みません」

「その言葉、覚えておくからな」

 二個目のおにぎりの最後の一口を口に放り込むと、男は後処理のために立ち上がった。


「だから言ったのにな、帰れって」

 男が咥えた煙草を深く吸うと、灰が煙草を縮める。灰が折れた瞬間、男の隣、何もない場所から腕が飛び出し、煙草の灰を手で掬った。

 月のない夜道で男と青年だけが息をしていた。暗くとも男には青年の顔色が色を失くしているのが分かった。浅く早い息遣いが青年から聞こえる。青年は男が己側の人間では無い事に勘付き始めている様だった。困惑と信頼と失望が青年の目の中でぐるぐると回る。

「待ってたんだけどな」

 お前が帰るの、と男は呟く。

 青年が訪れてから二ヶ月、男は常に青年が帰るのを待っていた。帰ってこの村の事なんて忘れてしまうのを、ずっと待っていた。けれどもうタイムリミットだ。怯えた人々を切り離せなかった正しく真面な青年は、男の神に見つかってしまった。

 男の神は今にも青年を踏み潰さんと足を上げている。その時が来れば青年は他の者達と同様に潰れた椿になる。

「今から逃げても逃げられる確証はないが、逃げてみるか?」

 出来ないと分かっていてそんなことを聞く。意地の悪い慰めだ。

 ゆらゆらと立ち昇る煙草の煙を暫く眺めていても、青年はこの場から動く事は無かった。

「どうして」

 沈黙が降りた夜道に、青年の声が落ちる。

「俺の神様が唯、そうするから」

 どうして。幾重にも内包したどうしてのその全てに答えずに、男は唯そう言った。


 神の足が空から降りてくる。可哀想な青年は身動きも出来ないまま、失せた顔色で男を見ていた。青年は唯、最後まで男を見ていた。

 ぐちゃり、ぐちゃり、ぐちゃぐちゃ。人だったものが神に踏まれ形を無くしていく。神の足が退けば、後に残るのは皆一緒、赤い肉の塊だ。

 男は煙草の灰を落とす。手は灰を受け止め、男の手から短くなった煙草を取り上げるとぐしゃりと潰した。

「この村はとっくに終わっている」

 人の形を失った青年にそう呟く。

「村人は約束を違えた。誰がどう願おうが、この村は全て神様に取り上げられる。全てがあいつらの自業自得だ」

 この村は神の村だ。神のために存在していた筈の村。神からの恩恵を受けていた村。神との約束を違えた村。

「それを分かっていて尚、あいつらは村から出られない。お前達が助けようとする必要なんて何処にも無かったんだよ」

 器官を失った肉塊が、男の言葉を理解する事はもう無い。慈悲に縋る村人に彼等が情を移す必要は無かったのだ。あれらはもう終わったものなのだから。

「だから言ったのにな、帰れって」

 この村から逃げてくれれば良かったのに、と男は深く溜め息を吐く。結局、青年は神に見つかり潰されてしまった。

 処理は明日だと、男は肉塊に背を向けた。男の背後で腕がゆらりと消えていく。男も腕も居なくなれば、そこには人の形を失くしたもの一つだけになった。

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神の村 九十九 @chimaira

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