傑作はぐちゃぐちゃの紙に
If
傑作はぐちゃぐちゃの紙に
「これが、私の最高傑作なんです」
部屋に満ちた絵の中の、とある一つ。画家はそれを指さした。
「えっ」
そんな声が出てしまった私を、誰が責められようか。数々の名作を生み出してきた彼女の最高傑作。どれほど素晴らしいものだろうかと期待したが、そこにあったのはぐちゃぐちゃの紙に描かれた鉛筆での……落書き。失礼だが、そう評する他はないような代物だったのだから。おそらくは随分昔に描かれたものだろう。才は感じるものの、未熟さも目立つ。描かれているのが海だと気づくまでにも、少々時間を要するほどだ。
「これがですか?」
「不思議ですよね」
他人ごとのように言って、彼女は目を細める。過去を尊ぶ瞳をしていた。
「この落書き、小学生のときに学校で描いてたんですよ。プリントの裏紙に。それがからかい好きの男子に見つかってしまったんです」
案の定男子は彼女をからかいながら、プリントをぐしゃりと丸めた。強い悪意があってのことではなさそうだったが、当時の彼女は大変に傷ついたらしい。
「私、きっと泣きそうでした。そのときにね」
その男子の頬を、力一杯張った別の男子がいた。
「昴君って言うんですよ。名字は忘れちゃったけど。もちろん暴力はいけないことです。でも当時の私は、彼が怒ってくれたことに救われた。今も絵を描き続けられているのは、昴君のおかげかもしれません」
「この絵があなたの支えになっているから、最高傑作と?」
「支えになっているのはそうなんですけど、傑作の理由は別ですね」
彼女はゆったりと歩み寄ると、額縁に収められたその絵を優しく撫ぜた。
「この絵は、思い出の主役になれました。私は、そういうものを、描いていきたい」
刻み直すように言う彼女の横顔を見て、私は納得した。彼女の絵はこれからも売れていくだろう。他人の人生の鍵の一つになろうとする貪欲さによって。
私はその貪欲さを、とても好きだと思った。
傑作はぐちゃぐちゃの紙に If @If_
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