本の川

佐古間

本の川

「い、一体何が起きたんです……?」

 日曜日の閉店間近。

 客入りのピークを越えて、店内にいるお客さんの数はまばらだ。お客さんからの在庫確認の問い合わせを受けてバックヤードに入った私は、目の前に広がる光景に思わずそう問いかけた。

 “とまり書房”は寂れた駅前に建つ寂れたビルの、小さなテナント店である。

 店舗自体が小さい上に、そもそもがあまり人の多い地域ではないため、平日昼間は閑古鳥が鳴いてしまうが、休日ならば多少は忙しい。人の多い地域ではない分、周辺に遊べる場所がないせいで、近隣に住む方が「ちょっと出かけるか」くらいの感覚で立ち寄られるのである。もっとも、ただの書店な上に、店舗面積が小さいゆえに限られた棚づくりをしているため、文房具や雑貨なんかは当然おけず、大きな書店の客入りと比べようもない。まあ、よくある、地域の本屋さんだった。

 その、“とまり書房”のバックヤードで、雪崩が起きていた。

 普段、狭いバックヤードながら、きちんと棚に収まっている在庫の本や段ボールなんかが、床にぐちゃぐちゃと散乱されている。奥にあるパソコン前に座って、呆然としている店長のハヤシダさんと目が合う。私はもう一度、「何が起きたんですか……?」と首を傾げた。

「いや、それが、僕にもさっぱり……」

 ハヤシダさんははっとした顔で私を見つめなおすと、一拍置いてようやく立ち上がった。雪崩が起きたせいで、私との間に本の川が出来ている。

 見れば、本は本でも、付録の小冊子が殆どの様だった。週間雑誌の付録で、これから雑誌とひとまとめにするものだ。昨日の朝入って以降、ある程度組み終わったと思っていたが。まだこんなにあったのか、と、私はぼんやり考えた。今はまだ店舗対応しながら仕事を覚えている最中なので、バックヤードの中なんてしっかり見ていなかった。

「とにかく片付けなきゃ」

 冊子を踏まないように気を付けて、ハヤシダさんが床に散乱した冊子を一束手に取った。傷やほこりが付いていないか確認しながら、倒れた段ボールに戻していく。

「きっちり収まってましたよね? なんで倒れたんでしょう」

 その、段ボールは、棚の最下段に収まっていて、少しばかりはみ出ていたものの、引っ掛けて転ばすほどははみ出ていなかった。第一、私がバックヤードに来る時まで物音なんかは聞こえなかったし、一体いつ倒れたのか。ハヤシダさんも不思議そうに首を傾げた。

「さあ……全然気づかなかった。軽かったから音しなかったのかな?」

 ハヤシダさんがやや落ち込んだ声を上げたので、私は「どうなんでしょう」と首の傾ぎを深くした。

 とりあえず、林田さんの手の中から冊子を奪って、「それよりも、検索してほしい本があって」とお客さんからの要望を伝える。ハヤシダさんは慌ててパソコンに向き直ると、伝えた本の検索を始めた。

「僕が案内してくるよ」

「お願いします」

 ややあって出てきた結果を持って、ひょい、と川を越えたハヤシダさんがバックヤードを出て行った。バックヤードは特に扉が付いているわけではなく、暖簾で仕切られているだけなので、今までの会話は全て小声だ。暖簾の向こうから、接客用の柔らかく少し高めの声にしたハヤシダさんが「お探しのご本ですが……」と案内し始めるのが聞こえた。

 さて、一通り冊子をかき集めて、巻き添えで倒れたらしい備品なんかを定位置に戻して、私は漸くふう、と一息ついた。

 その頃には対応を終えたハヤシダさんが戻って来て、「ミツヤマさん、ミツヤマさん」と私を呼ぶ。

「片付けありがとう。ちょっといい?」

 手招かれたのでレジの方へ向かう。時計を見るともう閉店十分前で、いつの間にか店内のお客さんは誰もいなくなっていた。

 そろそろ閉店準備だから呼ばれたのだろうか? レジには本日もう一人のアルバイトである、先輩のカイダさんが神妙な顔で私を待っていた。

「どうしました?」

 閉店準備ですか?

 素直に問うた私に、ハヤシダさんが「うん、時間はそうなんだけどね」と前置く。

「さっき、棚の段ボールが倒れてたでしょ」

 続いた言葉におや、と首を傾げた。今日は首を傾げてばかりだ、明日、左の首筋が筋肉痛になってるかもしれない。

 ハヤシダさんの言葉に頷くと、カイダさんが「俺、見たんですよね」と、表情通りの神妙な声で言った。

 カイダさんは私より随分前に入ったベテランアルバイトで、フリーターの男性である。私と同じくらいの身長で、長い髪を後ろで一つにまとめていた。中世的な顔立ちなのでぱっと見は女性に見えることもあるが、声は低いし、じっくり見ると体つきがしっかり男性的である。肩幅がひろく、足が長い。同じくらいの身長なのに、腰位置が私よりも上なので少しばかり嫉妬していた。私の胴が長いだけ、というのは置いておいて。

 その、カイダさんは、普段あまり表情が変わらず感情の見えない方なのだが。話してみるとよく冗談を言うし、とても面白い方だった。トンダさんやハヤシダさんと会話しているのを聞くのはとても楽しい。私の教育係でもあって、割合、カイダさんとシフトが被る日は多い。

「見たって、何を見たんです? まさか、ネズミとか……?」

 ふと、思いついて口にした言葉に、自分でぞわりと鳥肌が立った。

 棚から段ボールを落とすほどの何か、となれば、虫ではなく小動物の可能性があるだろう。この店舗で見かけたことはないが、もしいるならば次からの仕事が不安だ。自分で自分の腕を摩った私に、カイダさんは「いや、ネズミは見てない」ときっぱり首を振った。

「あ、ネズミじゃないんですね」

「違う。ちなみに、Gとかでもない」

「うっ……まあ、Gの可能性は考えてませんでしたけど……見てないならよかったです」

 神妙な顔のまま、カイダさんは天敵の虫のイニシャルを伝えて「これも違う」と首を振った。

 では一体何を見たのか。いよいよわからなくなって、私は急かすように「それで、何を見たんですか」と問いかけた。隣に立つハヤシダさんも、妙に真剣な顔をしているのが気になった。

「……妖精だよ」

「……は?」

 それで、続いた言葉に思わず間抜けな声が出た。

 妖精、ようせい。ここのところ、度々聞く言葉である。

 私はばっとハヤシダさんの顔を見上げた。今日も背の高い(背が低い日なんて一日たりともないけれど!)ハヤシダさんは、私を見て大きく頷いた。いや、頷かれても。

「妖精を見たらしいんだ、カイダくん」

「いやいやいや」

 頷きついでに、真剣な声で同意されて、私は思い切り首を振った。

「そうやってまた二人して揶揄う……! 妖精なんていないですよね!?」

 一度ならず二度までも、うっかりちょっと騙されかけた経験のある私としては、ここでまた言いくるめられるのは恥である。“揶揄っている”と認めさせねばなるまい、と二人の顔を睨んだが、カイダさんは素知らぬ様子で「いや、本当に見たんだって」と主張するばかりだ。

「じゃあどんな妖精を見たって言うんですか」

 あんまり真剣に「妖精が」というものだから、ひとつ、息を吐いて続きを問うた。見たと言うからには、話しに続きがあるのだろう。

 カイダさんは頷くと、「このくらいの小さい妖精でさ」と両手でバレーボールくらいの大きさの幅を作った。

「とんがり帽子を被ってて、眼鏡かけてたかな。黄色いシャツに青いズボン履いてた。沢山積み重ねた本を両手で抱えてよたよた歩いてて、そいつがうっかり段ボールに当たったんだよ」

 カイダさんは本当に見てきたように言い切ると、「そのまま妖精のやつ、奥のコミック棚の引き出しン中に吸い込まれてった」と付け足した。

 指で示されて、思わずその棚の方を見つめた。

 大判の四コマなんかが並ぶ棚で、今は隙間なくぴしりと漫画が埋まっている。

(……まさか、ね?)

 いやいや、と、一瞬信じそうな自分を叱咤して首を振った。キッと目を吊り上げて、カイダさんに向き直る。

「ちょっと面白いですけど! ほんとなら可愛いですけど! っていうか私も見たかったですけど!」

「めっちゃ半分くらい信じてるじゃん……」

「もしそうなら、カイダさん、倒した冊子そのままにしたってことですよね!」

 ぐわっと指摘すれば、カイダさんはうっと体を仰け反って、演技じみた調子で頬をひきつらせた。

「くっ……俺がサボったことに気づいてしまったか……!」

「いや普通に妖精の話が嘘ですよね! カイダさんがそういうの、放っておくわけないじゃないですか」

 然も当然、と付け足せば、カイダさんの瞳がきょとんと丸くなって、まじまじと私を見つめる。カイダさんのそういう表情は初めて見たので、私はいたたまれずにハヤシダさんに視線を向けた。

「……ぶはっ」

 ハヤシダさんは堪えきれずに吹き出していた。

 文字通り、お腹を抱えて身をよじって笑っている。くっくっく、と、もう閉店時間を過ぎたからか、遠慮なく笑う様子はいっそ清々しい。

「……やっぱり二人して揶揄ってるじゃないですか、も~!」

 大方、カイダさんがバックヤードに行ったときに何かに引っ掛けて倒してしまったのを、気づかずに出てしまったとかそんなところだろう、と思う。軽い荷物なので音も立たず、あるいはカイダさんも接客中で気が付かなかった。

 私がバックヤードに行く前は、私がレジ打ち、カイダさんが接客対応していたので、倒したとしたらその時だろう。カイダさんはひょいと肩を竦めると、「まあ、今回は気づかなかったんだけど」と苦笑した。

「片付けさせちゃってすみません。それと、ありがとう。ハヤシダさんも、気づかずすみませんでした」

「それはさっきも聞いたから大丈夫だよぉ。あー、面白い、ミツヤマさんってちょっと天然だよね」

 少し笑いの波が引いたらしい、ハヤシダさんはうっすら涙を浮かべながらもカイダさんに「気にしないで」と手を振った。私がレジまで呼ばれた理由は、単純に、カイダさんがお礼と謝罪をするためだったらしい。

「天然……とは……?」

 それで、何故か告げられた不本意な表現にぽかん、と口を開ける。

 カイダさんが「そうっすよね~、しっかりしてそうなのにちょっとぽやんっとしてるというか」と付け足して、“天然”なる評価を後押ししている。

(天然……天然!?)

 私が?!

 と、叫ぶことは憚られたものの。

 どのあたりが!? と疑問に思ったことは表情に出たらしい。ハヤシダさんとカイダさんはニヤニヤしながら顔を見合わせると、全く同じタイミングで、示し合わせたように言ったのだった。

「「なんか、突拍子もないことでもちょっと信じやすいところ」」

 ぐうの音も出なかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

本の川 佐古間 @sakomakoma

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説