ぼくはおばけの風太郎【KAC20234】

藤井光

小さな男の子

十二月に入った寒い空の上をおばけが一人、ふわふわと飛んでおりました。

白いおばけの子供でした。

名前は風太郎といいました。


「さむいなあ。今日はおさんぽ、これぐらいにしておこうかなあ。」

空の上で、風太郎はつぶやきました。

風太郎の下には今、電球がきらきらした夜の町が広がっています。


風太郎はおばけです。おばけの子供です。

怖いおばけではありません。

大きさはちょうどバレーのボールぐらい。ふっくらした丸い体に、人間の子供みたいな細い腕と小さい手、そしてとかげみたいな長いしっぽ。

しっぽのついた風船みたいな丸い見た目は、ふわふわのぬいぐるみのようでした。


おばけも飛ぶのには練習が必要です。

風太郎はまだ子供だからたくさん飛ぶことはできません。

だから今夜もこうして夜の町をおさんぽしながら、飛ぶ練習ををしていたのです。


「あれえ?」

帰ろうとして回れ右した風太郎はあることに気がつきました。

「あんなところに、男の子がいる。」


驚きました。

おばけが飛ぶような時間だというのに、目の前のアパートのベランダには、小さな男の子が一人で座っているのです。

ベランダに出る大きな窓には明かりがついていましたが、カーテンは閉められ、男の子はベランダでひとり、ひざを抱いて、しゃがみ込んでいたのでした。

風太郎はゆっくりと男の子のそばへ近づきました。

「こんばんは。」

「うわあっ!」

いきなり目の前に現れた風太郎に、男の子はびっくりして大きな声をあげました。

途端に、家の中からどん、と何かが壁に当たってくる音がしました。


「今のはなに?」

「……けんじさんがきているんだ。」

そういって男の子は袖口で顔をぬぐいました。

男の子はジャンパーを着ていましたが、顔も手も、寒さで真っ赤になっていました。


「けんじさんって?」

「ママの大事な人なんだって。ママはけんじさんと仲良くしたいけど、ぼくがいるとできないから、ぼくはこうやってベランダで待っているんだ。」

「きみのお母さんは、きみがこんなところにいても平気なの?」

「ママは、けんじさんが好きなんだ。二人きりでいたいんだって。

 ……大丈夫だよ。けんじさんが帰れば家に入れてもらえるし、あったかい布団で寝ることもできるんだ。」

そういって男の子はもう一度、自分の膝へと顔を埋めてしまいました。


「だめだよそんなの! けんじさんがいなければ、きみはこんな所にいなくて済むんでしょ!

 ぼくちょっと行ってくるから!」

風太郎は言うと、体を透き通らせて、壁へと向かっていきました。


「駄目だよ!」

男の子が立ち上がって風太郎を捕まえようとしましたが、男の子の体は風太郎をすり抜けて、そのままベランダへとたおれてしまいました。

男の子が倒れる音が響きました。

また家の中から、どん、という音が聞こえました。


「だ、大丈夫?」

風太郎は男の子に近づき、手を差し出しました。

「ありがとう。」

男の子は風太郎の手を取ると、体を起こして、もういちどベランダの床に座りました。


「ありがとう、きみは、やっぱりおばけなの?」

男の子は、風太郎を見て、言いました。

「うん、ぼくは、おばけの風太郎。

 お寺の向こうのおばけが森からやってきたんだ。」

風太郎が言うと、男の子は少し笑って言いました。

「ぼくは、こうたろう。たちばな こうたろう。

 きみの名前、ぼくに少し似ているね。」

「あは、そうだね。」

風太郎も笑いました。


「きみはおばけだけど、人に触ることができるんだね。おばけって人に触れるの?」

「おばけは、触れる姿と、触れない姿を使い分けることができるんだ。

 ほら、こんな感じにね。」

そういうと風太郎はちゃんと見えていた姿から、透き通った、向こうがすけて見える姿へと変わりました。

「さわってごらん。」

男の子が伸ばした手は、風太郎の体を通り抜けました。

風太郎の体の部分はひんやりとしました。

「ふしぎな感じ。さっきはこれで壁を抜けようとしたんだね。

 でも、けんじさんには合わない方がいいよ。からて、とかいうのをしていたんだって。

 なぐられると、すごくいたいんだ。」

「お母さんは、君を助けてくれないの?」

こうたろうくんは答えませんでした。


「お父さんは? こうたろうくんのお父さんはどこにいるの?」

風太郎はもう一度聞きました。


その時でした。

窓のカーテンがしゃあっと開いて、風太郎は慌ててベランダの下に隠れました。

そしておずおずと、ベランダの柵の間から、ベランダの上を覗きました。

現れたのは女の人でした。


女の人は窓の鍵を回すと、窓を開けて、こうたろうくんを家の中へと入れてくれました。

家の中にいたのは女の人だけでした。

けんじさんは、もういないようでした。

こうたろうくんは一度振り返ってベランダの方を見ましたが、お母さんがカーテンを閉めてしまったので、こうたろうくんの姿はそれきり見えなくなりました。


風太郎はため息をつきました。

そして、ふわふわと空へ浮かぶと、お寺の向こうのおばけが森へ向かって飛び始めました。


お家へ帰った風太郎はお母さんにぎゅっと抱きしめられました。

そばではお父さんが安心したように笑っていました。

お母さんもお父さんも、帰りの遅い風太郎をずっと心配していたのでした。

風太郎はお母さんの胸へと顔をくっつけました。

そして、こうたろうくんのことが気になりました。

こうたろうくんのお母さんは、こうたろうくんを心配してくれていたのでしょうか。


そして次の夜、風太郎はまたこうたろうくんのアパートに向かいました。

こうたろうくんはやっぱりベランダにいました。

風太郎を見つけるとこうたろうくんは立ち上がり、手を振って迎えてくれました。


「ねえ、こうたろうくん?」

こうたろうくんの膝に抱かれて、風太郎は言いました。

「ぼく、このままじゃいけないと思うよ。」

「うん……」

「このままだといつかこうたろうくん、病気になっちゃうよ。

 死んじゃうかもしれないよ。

 人間は病気になったら死んじゃうんでしょ?」

「そんなことはないよ。」

「ねえ、こうたろうくん、こうたろうくんのお父さんはどこにいるの?

 お父さんに来てもらおうよ。助けてもらおうよ。」

こうたろうくんはしばらく答えてくれませんでした。


でもやがてゆっくりと、こうたろうくんは言いました。

「どこにいるのか、わからないんだ。」

「ええっ?」

「いつ頃かな、パパが仕事に行っている間にけんじさんが来るようになって、でも一度、けんじさんとパパがあってしまって、それからパパはずっと帰ってきてないんだ。」

「そんなあ。」

「でも、働いている場所ならわかるよ。ほら、ここから見えるでしょ。青い看板の大きなビル。

 あの四階の『なんとかしょうしゃ』とかいう所でパパは働いているんだって。」

「ふうん。」

風太郎はビルを見ました。

「ねえ、行かないで。ずっと一緒にいて。」

何かに気づいたように、こうたろうくんはぎゅっと風太郎を抱きしめました。

今日は昨日よりもずっと、寒い日でした。

こうたろうくんの手は昨日よりずっと冷たく感じられました。


そして夜が遅くなって、また窓が開いて、こうたろうくんは家へと入っていきました。

カーテンが閉まり、こうたろうくんが見えなくなると、風太郎は飛び出しました。

お家ではありませんでした。

青い看板のビルを目指して、風太郎は飛びました。


青い看板のビルの四階の部屋には、机がいっぱい並んでいました。

机の上には小さなテレビに似たものと、小さなボタンがいっぱい並んだ板が仲良く並んでおかれていました。

部屋は真っ暗で、走る人と矢印が書かれた看板だけが白く光って、辺りを照らしていました。

人間はだれもいませんでした。


すり抜ける姿になって部屋に入ると、風太郎はきょろきょろ周りを見回しました。

「こうたろうくんのお父さんの机はどれだろう。」

風太郎もひらがなはわかります。お母さんとお父さんが教えてくれました。

人間の言葉も少しは覚えていくものよ。と教えてくれたのでした。

でも、机の上には風太郎が知らないものしかありません。

本はいっぱいあるのですが、風太郎には読めません。

「……における……の……について? わかんないよ。」


風太郎は窓の外を見ました。空が白くなり始めていました。

朝が来ようとしているのです。

おばけは朝日を浴びると溶けてしまいます。

「あわわ……」

風太郎はあわてて、近くの机の大きな引き出しの中へと飛び込みました。

引き出しの中には、固い紙や板に挟まれた多くの書類がありました。

でも何とか自分の入れそうな場所を見つけて、風太郎は丸くなりました。

そして、そのまま眠ってしまいました。


きーん こーん かーん こーん。

チャイムが鳴ります。

人間達の仕事の始まる時間です。部屋はすっかり騒がしくなっていました。

風太郎の眠る机に座った男の人は大きな引き出しをがらりと開けて、書類を取り出そうとしました。

中も見ずに突っ込まれた手は丸まっていた風太郎に当たりました。

「うわっ!」

男の人は声を上げました。風太郎も慌てて目を覚ましました。


「なんだ、今の。」

男の人は引き出しをのぞき込みました。

風太郎は慌てて透き通る姿になると、書類の下へ潜り込みました。

「どうしました? 橘さん。」

引き出しをのぞき込む男の人に後ろから、女の人が声をかけました。

「いやね、なにかいた気がしたんですよ。白い猫みたいな。」

「……猫なんかいませんよ?」

「そうですよね。つかれているのかなあ。」

(猫だって? 失礼だなあ。)

一緒に引き出しをのぞき込んだ女の人が言って、男の人は頭を搔きながら、引き出しを押して閉めました。

風太郎は書類の奥でモヤモヤしていました。


(今、女の人は『たちばなさん』って呼んでいたなあ。

 もしかして、この人がこうたろうくんのお父さんなのかも。)

風太郎は辺りを見回しました。

ちょうど都合良く、プラスチック板に挟まれるようにしてくっついた一枚の紙がありました。板には一緒に鉛筆もくっついていました。

(これだ!)

風太郎は鉛筆を持ちました。乗っかるようにして、プラスチックの板に向き合いました。


「おーい、橘、メシいくぞー!」

「あ、はい!」

お昼休みです。

自分を呼ぶ仕事仲間の声に、橘さんはもう一度大きな引き出しを開け、手にした書類を放り込もうとしました。

「!」

橘さんは驚きました。

「いた……」

書類の上には、白いバレーボールみたいなふわふわの、猫みたいな丸いものが寝ていました。

ふわふわの下にはなにやら紙がありました。何か書かれているようです。

「なになに?」

橘さんは紙を取りました。

「!」

とたんに、橘さんの顔は青ざめていきました。


「おーい、橘、まだかー!」

「すみません!」

引き出しをばん、と勢いよく閉じると橘さんは立ち上がりました。

「所用ができました! 始業開始までには戻ります!」

そういうと橘さんは、紙を抱えて飛び出していきました。


紙には、へたっぴなひらがなで、でも力一杯書かれていました。

「おとさん たすけて けんじさん なぐるひと」


お父さんは大急ぎでアパートに走ると、手に持った鍵で扉を勢いよく開けました。

中にはこうたろうくんのお母さんと、けんじさんがいました。

お母さんは押し入れを指さしていました。

けんじさんは空手の構えをしていました。


でも、お父さんは何も気にしないように辺りを見回すと二人の前を通り過ぎて、窓のカーテンを開けました。

こうたろうくんはやっぱりベランダにいました。


お父さんは窓を開けてかがみ込むとこうたろうくんを抱きしめました。

こうたろうくんもお父さんに抱きつきました。


そしてお父さんはこうたろうくんを抱き上げると、立ったままのお母さんとけんじさんを見ようともしないで、そのまま玄関を開けて出て行きました。

あとにはぼんやりとするお母さんと、けんじさんが残されるだけでした。


気がつけば夜になっていました。

風太郎はようやく目を覚ましました。

体の下にあった紙はなくなっていました。

風太郎は慌てましたが、どれだけ探しても見つかりません。

仕方なく風太郎は引き出しからゆっくりと出ていきました。


そして、ふわふわとこうたろうくんのアパートへとやってきました。

窓には明かりがついていましたが、こうたろうくんはいませんでした。


そして次の日も、その次の日も、それからずっと、ベランダでこうたろうくんを見ることはありませんでした。


そしてそれから何か月か経って、おばけが森に一通の手紙が届きました。

中には一枚の写真が入っていました。


それはお父さんと並んで明るい笑顔を見せている、こうたろうくんの写真でした。










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ぼくはおばけの風太郎【KAC20234】 藤井光 @Fujii_Hikaru

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