第2話 グリファという女


 遡ること数時間前───────




 ニュンベルの寮の部屋は、全てが二人部屋だ。

 その管理は杜撰なもので、新入生は空きのある部屋に適当に割り振られる。運が良ければ同級生との二人での暮らしとなるが、運が悪ければ上級生との二人部屋となってしまう。

 私はその「運が悪い」うちの一人で、学年が一つ上の人との相部屋ということだった。


 しかし、私が寮に入ってから一週間が経っても、同居者とは遭遇することがなかった。

 部屋の前に飾られているネームプレートを見る限り『グリファ・デーデル』という名前の人だということはわかるが、それ以上のことはわからない。部屋の中にも彼女が生活していたような形跡は少なく、私物と思われるようなものもほとんど置かれていなかったのだ。強いて言うのであれば、私物をあまり持たない人がわかると言えるだろうか。


 最初の頃は、どこかに遠出しているのだろうか、いつ帰ってくるのだろうか、などと常々気になっていたが、一週間も経てば徐々に気にならなくなってくる。彼女が帰ってきたのは、ちょうど彼女のことが頭から抜けてきた頃のことだった。




「あん?…………あー、そうか。新入生の…………」


 突然部屋に入ってきたグリファは、私のことを見てそんな言葉を呟いた。


 臭い演技だ。

 彼女の言葉を聞いて、思わずそんな感想が出る。部屋に入って真っ先に部屋の中を見渡したのも、言葉の響きが不自然なのも、「あん?」などと言っておきながら驚く素振りを見せないのも、グリファの行動の全てが私を意識しているということを示していた。


「はじめまして。ヴィルドレア・フォン・マルキュリーと申します」

「へぇ…………アタシはグリファ。ヴィルドレア様とでも呼べばいいのかな?貴族様」

「お好きなように呼んで頂いて構いません」


 嫌味ったらしい彼女の言葉を、バッサリと切り捨てる。

 どうやら、初対面だというのに随分と嫌われているらしい。正しくは私個人ではなく貴族という存在に対しての嫌悪感なのだろうが、こうも直接的に敵意を向けられるのは久しぶりのことだった。それこそ、地球で暮らしていた時ぶりだったかもしれない。




 …………回想終了。




 グリファと交わした言葉は、ほとんどそれだけだった。

 そこからはしばらく無言の時間が続き、私が食事を貰いに行こうと部屋を出ると、ついでに自分の分もとグリファにパシられたというのが現状である。


「ただいま戻りました」

「…………」


 私が部屋に戻ると、グリファは武具の手入れをしていた。

 寮の部屋は、二人部屋といってもそこまで広いものでは無い。そんな部屋の中で大きな槍をおっぴろげられると、警戒心が高まらざるを得なかった。


「あの、その危険物をしまって頂けませんか?」

「…………なんだ?怖いのか?」

「はい。非常識な方が武器を所持しているというのは、危険ではなくとも不安になってしまいます」

「は?」


 売り言葉に買い言葉。

 グリファの煽り言葉に対して、ついこちらも応戦してしまった。


 こちらの世界に来てから七年ほど家族の前で気弱なキャラクターを演じてきたが、地球に居た時にインターネットで培ってしまった口撃スキルと条件反射的に言い返してしまう癖は衰えていないらしい。衰えていれば良かったのに。


 とはいえ、私としては別に彼女と仲違いする気は無い。だが、隠す素振りもない嫌悪感をぶつけられても優しく接せるほど、私の精神は立派ではないというのもまた事実だった。


「それで、これはいらないのですか?」


 それ以上不毛な言い争いをする気もなかったので、無理やり話題を逸らす。

 グリファに学園から支給された食料を差し出すと、彼女は強引に私の手から奪い取った。


「はっ!無事に帰って来られるなんて、運だけはいいみたいだな。アンタみたいなか弱いお姫様がうろついてたら、飢えた男どもが放っておかないだろうに」

「…………そうですね。チンピラ紛いに一度しか絡まれなかったのは、とても運が良かったです」


 お互いに睨み合う。

 再び言い返してしまったわけだが、あまりにも不毛すぎる。これ以上やると本当に嫌われてしまいそうなので、思い切ってこちらから話を切り出した。


「失礼ながら、あなたは貴族がお嫌いなようですね」

「なんだ?喧嘩売ってんのか?」

「いいえ。貴族がお嫌いなのはわかりましたが…………私はあなたに何もしていませんよね?」


 私の言葉に、グリファは更に睨みを鋭くする。


「はっ!貴族なんてどいつもこいつも同じだろうが!アタシら平民のことを虫けら程度にしか思ってない!」

「…………」


 グリファの暴論に、思わずため息交じりに首を横に振ってしまう。

 私のその行動がグリファの自尊心を更に傷つけたようで、グリファは更に口調を荒げた。


「そうだろうが!じゃあアンタは平民のことをどう思ってるんだよ!」

「別に、何も」

「ほら見ろ!なんとも思ってないから、アンタたち貴族は自分の立場や力を使って平民から搾取するんだ!悪意すらない…………ただそれが当たり前だと言わんばかりに!」

「…………」


 私は激昂するグリファを前に、むしろ興味をそそられていた。

 いったい何が彼女をここまで駆り立てるのだろうか。過去に何かがあったのは間違いないのだろうが、それにしても狂犬すぎる。貴族というだけで噛みつかれては、厄介なことこの上ない。


「確かにそういった側面もあるかもしれませんが、少なくとも今この状況においては、あなたの意見は暴論でしょう」

「暴論?正論だろ?」

「いえ、少なくともこの学園都市においては、私もあなたも同じ立場のはずです。あなたの理由では、私を毛嫌いする理由にはなりません」


 もちろん、この学園都市に限らずとも暴論であることに変わりはないですが…………と、心の中で追記しておく。

 グリファは私の言葉に反論できなくなったのか、相変わらず私のことを睨みつけたまま固まってしまった。それと同様に、私も動けなくなる。


 それにしても、嫌われるのがおかしいと正論で諭すなんて、むしろ嫌われそうな行動ではないだろうか。

 喧嘩を売られていると思われても困るので、その旨訂正しておこう。


「とにかく、私はあなたと争う気はないのです。あなたが貴族を嫌いだというのなら、ここでは一旦貴族ではないということにしましょう」

「はぁ?」


 私のとんでも論に、気が抜けたような声を出すグリファ。


「私はただのヴィルドレアです。それで良くありませんか?」

「いやいや…………だいたい、アタシなんかと仲良くしてアンタに何のメリットがあるって言うんだよ」

「メリットなんて知りませんよ。あなたはメリットやデメリットを考えて友達を作るのですか?」

「それは違うが…………」

「では、それで」


 納得していないグリファを、無理矢理説得する。

 そんな私に毒気を抜かれたのか、グリファは諦めたようにため息をついた。


「はぁ…………アンタが箱入り娘だってことはよくわかったよ」

「箱入り娘?」

「知らないのか?アンタに関する噂話さ。ぬくぬくと育てられた引きこもりの貴族の箱入り娘が、ノコノコと現実を知りにやってくるってね」

「なるほど」


 そんな噂が出回るほど、私は有名人だったらしい。

 道理で、やたらと男どもが絡んでくるわけだ。出かける度に絡まれることに違和感は抱いていたのだが、そんな噂が出回っていたのなら納得もできる。


 しかし、悔しいことにその噂は概ね間違いでは無い。

 私は十二になるまで自邸から一歩も出たことがなく、正しく引きこもり状態だった。

 その噂の間違っているところといえば、私が転生者であるが故に、既にその『現実』とやらを知っているということだろうか。


「なるほどってことは、心当たりはあるんだな?」

「そうですね。この学園都市ニュンベルに来るまでは確かに外に出たことはなかったので」

「はっ…………そのヘンな考え、あんまり外では口にしない方がいいね。学園都市では全員平等を謳ってるのは確かだが、実際には格差社会だ。貴族はアタシら平民から金でコインを買い取ってる。下手したら、外の世界よりも険悪だ」

「コインを?それは、不正なのではないですか?」

「ああ、そうだな。ま、誰も気にしちゃいないが」


 コインというのは、学園都市内で使える通貨のことだ。

 学生たちの向上心のためにあるコインが金で取引されているなんて、もはや何の意味のないものではないだろうか。


「アンタもどうせ…………って、それを言うなって話だったか。悪い、また喧嘩腰になっちまった」

「いえ、構いませんよ。それに、私はそのような不正を働く気はないので」

「へぇ…………でも、アンタは買った方がいいと思うぞ?危険だろ?ここは」

「ご心配ありがとうございます。ですが、要らぬ心配ですよ。あの程度では私には勝てないので」

「ふうん」


 興味があるのかないのか、なんとも言えない相槌をしてから食事を始めるグリファ。

 私もそれに倣ってグリファと同じ席に着くと、支給されたご飯を広げた。


「…………相変わらず、味気のないご飯ですね」

「そうか?アタシは美味いと思うけどな」

「そうですか。私もそのうち、これに慣れてしまうのかもしれません」

「いやいや、アンタはもっと上を目指せばいいだろ?ここらの奴が相手にならないんだったら、すぐにでももっといい飯にありつけるようになる」


 一年以上この学園都市で過ごしているグリファがそういうのなら、きっとそうなのだろう。

 しかし、私はそれに対して、どこか惜しい気持ちを感じていた。


「グリファさんは行かないのですか?」


 その言葉を口にしてから、私はその気持ちの意味を理解した。

 最初はどうなることかと思ったが、私は意外にもグリファのことを気に入ってしまっているらしい。喧嘩の後に友情が芽生えるというやつだろうか。男でもあるまいに。

 …………まあ、地球で二十年ほど男をやっていたので、あながちそうではないとは言い切れないのだが。


 そんな私に対して、グリファは苦虫を噛み潰した様な顔を見せ、沈黙する。


「…………アンタには関係ないだろ」


 ようやくグリファから出てきた言葉は、私を拒絶するものだった。

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黄金の箱入り娘 @YA07

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